YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson184 視野がせまいと言われて

「あの…、視野をひろげるには、
どうしたらいいんでしょう?」

先週、大学の講義のあとで、学生さんの質問にドキッとした。

「視野がせまいって、ある先生から言われて、
どうやって広げたらいいのか……。」

むずかしい、と思った。

私は、小論文の経験を通じて、
こうした質問は何度か受けていたはずなのに、
なぜか、生まれてはじめて受けたように新鮮だった。

たぶん、私自身の受け止め方が変わったんだろう。

私は、4年ほど前に、
会社を辞め、フリーランスとして生きはじめた。
よくもわるくも、考え方も、世の中の見え方も、
以前とは、ものすごく変わってしまった。

現実の、以前とはまるで違った側面を見る。
これが、「視野が広がる」ことだとしたら、
別の人生を生きてみることでしか
手にできないものではないか?

「視野が広がる」ことは、私にとって、
コツコツとした、長い、苦痛を伴う、実生活の改革だった。
昔は、よくも簡単に、
「視野を広げよう」などと言えたものだな、と思う。

別の人生を生きてみてこその、この感覚を、いったい、
学生さんにどう伝えたらいいのだろう?
困った…、と思った私の口をついて次の言葉が出てきた。

「あなたに視野がせまいって言った先生は、
 どういう意味で言ったの?」

と自分で言ったあとで、「そうだった、そうだった」思った。
例えば、「視野がせまい」とか、抽象的な言葉は、
人によって、こめる意味がずいぶん違う。
まず、相手の定義を理解して、答えるのはそれからだ。
落ち着け、私。

すると、学生さんから、意外な答えが返ってきた。

「例えば、一升ビンがあって、
 おまえ、これ何に見える? と聞かれたんです。
 僕は、一升ビンだと答えました。
 ところが、先生は、これは花瓶だと言う。 

 僕は、そう言われてもまだ一升ビンにしか見えなかった。
 だからお前は視野がせまいんだと言われました。

 例えば、一升ビンでも、それしか見えないんじゃなく、
 いろんな見え方ができるようになるには、
 どうすればいいのか?」

学生さんは、いっぺんとうではない多様なものの見方が
できるようになることを言ってるんだな、と思った。

こういうとき、人は、
「発想力を豊かに」とか
「イマジネーションをふくらませよう」とか、
「思考を柔軟に」などと
アドバイスするのかな、とよぎった。

でも、そういう抽象論、言われたほうは、いちばん困る。
それができないから苦労しているのだ。

センスとか、才能に頼らず、
どんな人でも、具体的に着実に、
一升ビンの見え方を変える方法はないものか? 
と私は考えた。

それには、
「別の人生を生きる」というほど大げさでなくとも、
ほんの1ミリでも2ミリでも、
自分の外を歩いてくるようなことが不可欠だと思った。

だって、自分がいままでちゃんと生きてきて、
ちゃんと向き合って、
一升ビンにしか見えないということは、
それが、いま自分の「限界」だ。

このまんま、いまの自分のまんまで、
一発アイデアとかにたよって、
発想をひねりだすのでは、結局は、同工異曲、
たいして変わった見方は出てこないのではないか?

でも、現実的に、自分の内面が変化すれば、
同じ一升ビンに向かっても、
以前とまったく同じに見ることはできない。
少しは、違った印象がわきおこってくる。

つまり、「センス」みたいな茫漠としたものを拝むよりも、
自分の内面に現実的な変化を起こしたほうが、
見方を変えるには、より確実な気がする。

そして、現実的に変化を起こすには、「動く」しかない。

頭を動かし、手を動かし、足を動かし。
見たり、聴いたり、調べたり、
新しい知識を食べ、1ミリでも新しい外を体験をして、
自分に化学変化を起こす。

そこで、私が、取り出したのは、
小論文の基礎中のキソのシートだった。

「これだけ考えて、こんな基礎かよ!」
と自分にツッコミをいれたが、
基礎はあなどれない。
迷ったときほど、結局、立ち戻るのは基礎だ。
これまで何度、基礎の重要さに打たれたことか。

そこには、だれでも着実に実行できる、
小論文流の7通りの動き方が書いてあった。

1. 自分の体験から考える
頭を動かし、
一升ビンにまつわる自分の体験を総動員してみる。
例えば、生まれてはじめて一升ビンを見たのはいつか?
そこに何が入っていたか?
お父さん、お母さんの一升ビンにまつわる出来事は
なかったか?
おばあさんやおじいさんは、
変わった使い方はしてなかったか?
病院など意外な場所で一升ビンを見たことはないか?

2. 基礎知識から考える
そもそも一升とは何か? 一升ビンとは何か?
高さ、重さ、各パーツはどう呼ぶの? など、
辞典や事典も使って、
自分の中に基礎を整えると、その先の見聞きに変化が?

3. 具体例から考える
一升ビンに関係した出来事、事件、
ニュースなどにあたってみる。

4. 別の立場から考える
一升ビンについて、
自分とは違う見え方をする人の目にいったんなってみる。
例えば、一升ビンが花瓶だというその先生は、
なぜ、どのような背景からそういう見方をするように
なったのだろうか?

5. 世界の視野から考える
一升ビンは日本だけのものか?
海外で使われているとしたらどこ?
一升ビンがない国は、何をつかっている?
一升ビンがない国の人から、これは、どう見える?

6. 歴史から考える
一升ビンは、いったい、いつごろ、なぜ、だれがつくって
どういう歴史をたどって、今の形になったのか?
未来の一升ビンの姿は?

7. スペシャリストの視点から考える
一升ビンを創っている人や、酒屋さんなど、
その道に詳しい人の話を聞いてみる。

地道に、具体的に、だれでもできること、にも関わらず、
これを一通り、いや、ひとつでもふたつでもやってから
もとの一升ビンに戻って、もう一度向かうと、自分の中に、
前とは、なにか違う感覚が自然にわきあがってくると思う。

その感覚を、自分にしっくりくる言葉でつかまえたとき、
人からは「個性的な見方」と映ったり。
ふつふつと、いろいろな感じが
わきあがってくるようになったら、
人からは「多様な見方ができる」と映るのだろう。

そう考えると、
「動かないし、変わらない、
 居ながらにして多様な見方を」
と待ち望む方が、
ずっと勝算の低い賭けのような気がする。

先日、3年前の会話を記録した
4時間近いテープが出てきた。
テープの中の私が、
あまりにも今と別人なことに愕然となった。

ひと言でいって、そのときの私の話には、
編集に慣れた人間の悪いクセが全面にあらわれていた。

当時、16年近く勤めた
企業での編集職を離れたばかりの私は、
相手の言っていることを、すぐさま、
2つとか、3つの視点で、切り分けて、
整理してしまっていた。
会話の要所で、きれいなまとめが入る。
というより、会話の早い段階から、
「落としどころ」をさだめ、
そのまとめに向かって会話をしている節さえある。
会話を編集してしまっており、その切り口も浅い。

相手は、そんな私に、ときにうんざりしている。
いま聴けば、それがはっきりわかる。当時の私は、
うんざりされていることにさえ、気づけなかった。

1つに固定されてしまったあるものの見方をほどくには、
自分に現実的な変化を起こすほうが確実で、
そのためには「動く」しかない。

私も「動き」たかったのだ。

会社を辞めるときは、ずいぶん迷ったが、
どっちに動くか? どう動くか? の選択ではなく、
「動き出す」という道を選択していたのだ。




『あなたの話はなぜ「通じない」のか』
筑摩書房1400円




『伝わる・揺さぶる!文章を書く』
山田ズーニー著 PHP新書660円


内容紹介(PHP新書リードより)
お願い、お詫び、議事録、志望理由など、
私たちは日々、文章を書いている。
どんな小さなメモにも、
読み手がいて、目指す結果がある。
どうしたら誤解されずに想いを伝え、
読み手の気持ちを動かすことができるのだろう?
自分の頭で考え、他者と関わることの
痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。
(書き下ろし236ページ)

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2004-02-11-WED

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