おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson196 無いものをアウトプットする 自分が「まだやってないこと」を、 人に説明するのは、つらい。 どうのりきったらいいのだろうか? 例えば、こんな苦しみは、若者だけではないはずだ。 <減っていく自信> 私は今就職活動中の大学三年生です。 就職活動やめたい、と、私は今思っています。 別にやりたいことがない訳ではありません。 むしろ、「あります」。 でもそれにたいして段々自信がもてなくなって来ました。 「どうして、やりたいの?」とか、 「どうしてうちの会社?」とか、 「うちの会社で何がやりたいの?」 という質問に、詰まります。 「志望している業界の中の会社だから」 「御社が募集していた職種」 という答えしか私は持ち合わせていません。 「明確な目標を持ったあなたを歓迎します」 なんて謳い文句で募集されても、 この人たちはその明確な目標の元に その仕事に就いたんだろうか? 元々持っている目標を、無理矢理具体化して 提出しなければならない就職活動に、 少し嫌気がさしてしまって。 実際に働いている人たちが それほど「こうなりたい!」という目標の元に 仕事をしているようには感じられないし、 やりたいことが見つからないと 自己嫌悪に陥るのは確かによくないと思うのですが、 生計を立てるためだけの仕事がしたいなら、 就活を辞める人ってそんなにいないんじゃないでしょうか。 (読者の大学生 Eさんからのメール) 先日お会いした、編集者のWさんは、 転職で3社目、やっと満足いく職場をつかんだという、 いかにもできる感じの人だった。 彼も、最初の就職活動は、大苦戦だったそうだ。 とにかく、 落ちて、落ちて、落ちて、落ちて、落ちて……。 新卒で就職活動をつづけるが、 さらに、落ちて、落ちて、落ちて、落ちて、落ちて……。 ぜんぜん、受からない。 「志望理由」と「自己PR」を必ず聞かれたが、 まだ働いたことがないから、 つきつめていくと「ない」と感じる。 「ない」ものを「出せ」といわれるのが、 ものすごくつらかったそうだ。 ところが、転職で2社目を受けたとき、こんどは、 なんと! 10社受けて、10社とも受かってしまった。 「志望理由」と聞かれても、こんどは、 会社で働いたことがあるから、ちゃんと言える。 「自己PR」と聞かれても、 「私は、営業で こんな経験をしてまして、それゆえ長所は……」 と、言葉が出てくる。 「なんだ、実際に働いてみたら、言えるじゃないか」と。 この感じ、痛いほどわかった。 私も、フリーランスになりたてのとき、 プロフィールを書くのが、いやでいやでたまらなかった。 だって、フリーランスはまだ、これからだった。 実績を書こうとしてもひとつも出てこない。 会社員時代のことだけ書いても、 自分を「過去」だけで語るのは、 「過去の人」のようでツライ。 かといって、「未来」を語ろうとすれば、実績がないから、 「やる気」だけの 「決意表明」みたいになってしまい、うさんくさい。 「無いものをアウトプットする」つらさ。 ほんの短いプロフィールに、 おおげさじゃなく、七転八倒した。 ところが、あれから4年、大学で教えるために、 履歴書を書いたら、こんどは、どんどん書ける。 「講義・講演は、こんなのをやってます。 著作は、何年何月、これらを出しました。 これらの経験に立って、動機は…」と、 どんどん書けることに、自分でも驚いた! なんだ、2〜3年、経験したら、書けるじゃないか! その間に、人との関わりで、 いろいろ引き出してもらえたからだ。 足りないものは「経験」だったんだ。 小学校にあがるまえのこどもに、 「国語と算数と理科と社会、どれがやりたい?」 と聞いたら、どう答えるだろう? 「わかんないよ、 サンスウってなに? コクゴってなに?」 いきおいで「リカ!」と答えた子がいたとしても、 そこをさらに、 「なぜ、理科なの? なぜ算数でなくて理科なの? 理科で具体的にどんな勉強したいの?」 と聞いたとしたら? 「実際に会社に入って働いてる人でも、 やりたいことはと聞かれて、 出せない人はいっぱいいますよ。」 編集者のWさんが言った。同感だった。 目標やビジョンを はっきり持った社会人もたくさんいるが、 リーダーでさえ、 やりたいことを出せない人は、たくさんいる。 りっぱに停年まで勤め上げた人たちはどうだろう? 今日で会社を去るという日、 「やりたいことは何でしたか、やれましたか?」 と聞いたら、どんな答えが返ってくるだろう? 話の流れで、ふと、Wさんがつぶやいた。 「あなたに、 本当にやりたいことなんて、無いんだよ……」 もちろん、私のことを言ったのではない。 なのに、ぎくっ、とした。 瞬間、「虚無」の空気につつまれた。 虚無が、私の芯に達しそうになる寸前、 「そんなのいやだー!」 と心が叫んでいた。どぎまぎしながら、 「わたしは、 人の力を生かす教育の仕事がしたいんだ!」 と、心は訴えていた。 私には、意志があり、社会経験もある。 それでも、改めてそこを直撃されると 不安になるのはなぜだろう。 「なんにもない、なんてラクチンじゃないですか〜」 以前、私が 「もう信じるものなどなくなった」ような気になった日、 友人が言った。彼の考え方には、いつも幸福感がただよう。 「そっか、ラクチンか〜」と心が軽くなった。 でも多くの人が、 「無い」から「楽」、「軽やかだ」とは考えない。 そこに、生きる意味を重ねてしまうからなのか。 (生きてるだけで、もう意味なのに) そこを裸にされないで、そっとベールに包んでおきたい。 ベールの中に何か「ある」と、私も信じて生きている。 だから、まだ社会経験のない若者が、 ベールをとっぱらって、 そこを根掘り、葉掘り、聞かれるのは、 ほんとう、つらいだろうなあ。 でも、まてよ。 これ、就職活動の若者に限ったことだろうか? 「まだ無いものをアウトプットさせられる」 これって、おとなも、いつもやっていることだ。 たとえば、会社で書いていた新商品の企画書。 世の中に「まだ無い」ないから、 新しいものをつくろうとする。 当然、企画を書いた本人も、 だれも、まだ、それをつくってない。 でも、企画会議では、 「ここで、こんな問題が起こったらどうするのか?」 「で、具体的にお客さんにどうなってもらいたいの?」 厳しい質問が、あびせられる。 「まだそんな細かいことまで考えてないよ」 「それは、やってみなきゃだれにもわからないよ」 と言うような質問もある。 たたかれ、否定されているうちに、 ベールの中の自信が、どんどんしぼんでいくこともある。 新米で、はじめての企画はすごく苦しい。 でも、慣れてくると楽かというと、必ずしもそうではない。 すでにやったことの焼き直しなら、次々楽になるが、 「まったく新しいこと」 に挑み続ける人に、苦しさはともなう。 演劇の野田秀樹さんだって、 まだ、この世に「無い」芝居を書き、 常に新たな挑戦をしている。 まだ、 「この世にない」「やってみてもいない」芝居について、 スタッフに説明し、俳優を巻き込み、説得する。 就職で、「やりたいこと」を聞かれ、苦痛になる という人は、誠実な人だと思う。 何か、聞かれたときは、まず、自分の腹をさぐり、 自分の腹から出た、実感のある言葉を出そうとする。 自分の腹を探って、「無い」とわかったとき、 「無い」ものを出せば「うそ」になる、と苦しむ。 うそがつけないゆえの痛み、 そういう人にがんばってほしい。 自分の中をあれこれ探してみても、 「やりたいことがない」とき、 どうすればいいのだろうか? 私は、こう思うのだ、 どうか、誤解しないで聞いてほしい。 「無い」ものは「作文」すればいい、と思うのだ。 うそをつけと言っているのでは、決してない、 どうか、ここを誤解しないでほしい。 まだ実際に働いてもないのに、 企業に採用される人の文章、 新商品開発と言われて書く、社会人の企画書、 戯曲家が書き上げたばかりの、 まだ誰も見たことの無い芝居。 これらは、この段階では、まだ「机上の文章」だ。 まったく新しいことをやるとき、だれも未来にいって、 実際に商品をつくってみて、 それが使われている現場をみて、 もどってきてから、企画書を書くわけにはいかない。 だれも、初めての就職活動で、 面接官を3年先に連れて行って、 実際に働いている自分を見せることはできない。 だから、「無い」ものを、 どうやって人に伝えるかというと、 「書いて」「見せている」、のだ。 実際に「無いものを作ってみせた」わけではない。 作ったのは、まだ無いものに関する「文章」だ。 つまり、言葉だ。 「作った」のは「文章」。だから、「作文力」なのだ。 言葉の力が、すべてではないけれど、 実際にやってみる、やってみせることができない段階では、 「言葉」が左右する部分は大きい。 「無い」ものを「出す」というと、 いっそくとびに、「うそ」とか、「ねつ造」という、 悪いイメージを持つ人もいるだろう。 でも、建物の設計図、新商品開発の企画書のように 無いものを「構築する」、「立論する」ことはできる。 イメージし、調べ、考え、自分の言葉で構築していくのだ。 私は、まだ、講演を一度もしたことがないとき、 まず、講演の構成表、A4一枚だけを、書いてみた。 書きあがったのは「文章」だが、 そこに「やること」が見えてきた。 そうやって、書いて、書いて、道をつけてきたと思う。 やりたいことが、明確にあって書き始めたこともあるし、 やりたいことがいっこうに見えず、 会社に迫られ、期限に迫られ、 書いているうちに、次第に見えてきたこともある。 「やりたいこと」が無いと苦しい人は、 いったん次元を落として、 求められているのは一枚の「作文」だと、 想定してみてはどうか。 いま、求められているのは、 自分の「生きる意味」というような大それたものではない、 「やりたいこと」を焦って見つけることでもない、 と、いったん、落ち着いてみる。そこで、 求められているのは、 まず「働く自分」に関する「仮説」と、 それを説明する「文章」だと、いったん想定してみる。 自分を社会に送り出すための 「企画」を立ててみる、とか、 就職に向けて動くための 「作業仮説」をつくると考えてもいい。 それも、800字くらいの短い作文でいい。 期限を決めて書く。 「これだけは大事にしたい」とか、 「これだけはやりたくない」とか、 自分が書きやすい方法で自由に書いていいのだ。 例えば、こんな構成もたたき台になる。 1.私は、今の社会をこう見ています (現代社会認識) 2.この会社と仕事をこう理解しています (企業と仕事の理解) 3.今まで生きてきた私は、こんな人間です (自己理解) ↓ 4.以上の3つから考えて、その会社にはいって、 やりたいこと(やるべきこと,できること)はこうです (意志) 要素が4つ、 各200字くらいにざっくりまとめて800字。 今の社会を自分はどうみているか(現代社会認識)は、 動き出してみると、実は、かなり重要だとわかる。 今まで学んできたこと、 ニュース、文献、体験も総動員して、 「今の社会の問題点はここだ」、あるいは、 「理想の社会はこうだ」というビジョンから、 200字くらいで ざっくり、自分の見方をまとめてみよう。 「企業と仕事への理解」は、 候補となる会社を、まずは1社はあげてみて、 「その会社や仕事は、人や社会にどう貢献しているか?」 「どこに共感するか?」を、自分の言葉にしてみる。 その会社や仕事に関する情報が少ないと、 共感も生まれようが無いので、情報を集め、 その会社について 「よく調べ」「よく知り」「よく理解」 した上で書くといい。 「自己理解」は、自分の過去、現在、未来を想ってみて、 自分のいいところ(仕事をしていくにも)を、洗い出し、 根拠となる体験とともに、自分の言葉でまとめておこう。 いまの社会を自分はどうみるか? と、 その企業と仕事を自分はどのように理解しているか? と、 自分はどんな資質をもつか? この3つを並べ、 3つのつながりや脈絡を、じっくり考えて、 その会社に入ったとしたらやりたいこと (やるべきこと・やれそうなことでもいい) を導き出してみよう。 いま自分で考えられる限りの結論を 200字で打ち出してみる。 そうしたわずか800字の文章でも、 動き出す「仮説」にはなる。 迷ったとき戻れるベースにもなる。 現時点で 自己ベストの仮説を打ち出したことに自信も持てる。 仮説だから、あとは、実際に動いて、人と関わって、 現実と自分の想いに照らしながら、修正していけばいい。 不具合があっても、 一気に「やりたいこと」の問題にはせず、 社会に対する認識不足か、その企業や仕事への理解不足か、 自己理解不足か、この3つをつなぐ 論の組み立てがおかしいのか、と考えながら、 文章を、1ミリでも2ミリでも、納得に近づけていこう。 文章の構成力は、現実の「構想力」に通じる。 自分の未来を考えるのが あまりに重いとき、足がかりにまず、 未来に関する1枚の文章をゴールにしてはどうだろうか? 『あなたの話はなぜ「通じない」のか』 筑摩書房1400円 『伝わる・揺さぶる!文章を書く』 山田ズーニー著 PHP新書660円 内容紹介(PHP新書リードより) お願い、お詫び、議事録、志望理由など、 私たちは日々、文章を書いている。 どんな小さなメモにも、 読み手がいて、目指す結果がある。 どうしたら誤解されずに想いを伝え、 読み手の気持ちを動かすことができるのだろう? 自分の頭で考え、他者と関わることの 痛みと歓びを問いかける、心を揺さぶる表現の技術。 (書き下ろし236ページ) |
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2004-05-05-WED
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