おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson418 社会常識はどこからくるか? 学生や若い人からの進路相談で、 「会社にはいるか、 それともフリーとして自分でなにかやっていくか?」 という質問をよく受ける。 よっぽどやりたい強いものがない限り 私は未社会人にフリーをすすめたことがない。 組織を経験せず、いきなりフリーで始めた人が、 なかなか自由にはなれない現実がある。 その根元にあるのが、 「社会常識はどこからくるか?」 という問題意識だ。 私は、常識がない人間はダメだとか そんなことを言いたいんじゃない。 常識的な人間がつまらないことだってあるし、 どちらかというと常識を打ち破っていく人に あこがれをもってもいるし。 けど人より抜きでた才能の持ち主が、 ちょっとした仕事常識がないために、 本来の能力以前の問題で、 人とぶつかったり、消耗したりしているのをみると、 ある程度の社会常識は、 才能を生かすためにも必要だろうと思う。そこで、 「社会常識はどこからくるか?」 きょうは読者のこんなメールから考えてみたい。 とってもいいメールで、いただいたときから、 いつか紹介したいとずっと思っていたメールだ。 <おとうふの水> 今も後悔していることがひとつあります。 それは母親に料理を教わらなかったということです。 私の母は私が高校2年の時に家を出ていってしまいました。 母は専業主婦でしたが、 キッチリと家のことをする人だったので、 子供の頃から既製品やインスタントものは 口にすることはありませんでした。 母がいなくなってから、特に悲しいということはなく、 学校にも普通に通っていました。 私の愛読雑誌は普通はセブンティーンとかの年頃ですが、 『きょうの料理』や『オレンジページ』などに 変わりました。 料理雑誌にのっているのも、手順どおりに作ってみると、 この雑誌の系統は味が合うとか、一味違うとか そんな違いもあり、自分流に磨きがかかっていきました。 高校では弁当は彩り、味、料理の仕方で ダブらない献立を考えていました。 ケーキやクッキーなども作っては、 クラスメートや先生に配り、 進路指導の時には 調理方面へ進むのですか? と担任に聞かれたほど熱中していました。 スーパーでよい品を捜すコツや、 チラシを丹念に見ることを すごく熱中していたように思います。 今にして思うと、 当時私があんなに料理に夢中になったのは、 クラスメートや先生に「わーすごい」と褒められたい 気持ちが強かったのだと思います。 それだけ、母がいなくなったことが、寂しかったし、 いなくても平気よ、と 自分に言い聞かせたかったのかもしれません。 でも当時の私はいっぱい、いっぱいで 自分の心にまで、気をつかうのが 無理だったのかもしれません。 あるとき豆腐を一丁買ってきて、 全部使うことが出来ず、冷蔵庫にしまっておいたら、 一日ですっぱい臭いがして 腐らせてしまうことを何度が経験しました。 使い切れない、でももったいない、 そんな時に、昔は、お豆腐屋が売りに来て、 子供が器に水を張って入れているのが思い浮かびました。 ああ、これだと思って、 ボールに残りの豆腐半分を入れて水を満たして 冷蔵庫に保管したのです。 実験は大成功で、豆腐は腐らなかったのです。 これは大発見と思い、 一番の親友に話したことがありました。 それくらい嬉しかったのです。 でも親友の返事は 「そんなの当たり前じゃん、 でも、あんまり入れておくと、味が落ちるのよね」と。 そのとき私がショックだったのは、 知らなかったのは私だけで、普通は知っていること、 普通に母親がいる家庭は知っていることで 発見でもなんでもなかった。 知らないのは自分ばかりという 取り返しのつかない大きな欠落。 アジの手開きや、シュウマイ餃子は皮から作り、 本に載っている料理は作り続けていても、 あまりにも初歩的な料理の基礎は 当時の雑誌では当たり前すぎて載っていなかったです。 それからも私の料理奮闘は続きました。 母の味の欠落、そんなことにも、私なりの 私が料理のルーツになる味をみつければいいのよと 意識を変えて、 そこまでやる? というぐらい作りました。 高校を卒業してから、浪人して、通信教育で短大を出て、 その間は働いたり、家事手伝いをやっていました。 家事手伝いは 自宅住まいの何もやっていない女の子の常套句でしたが、 私の家事は料理も掃除も洗濯も手抜きはありませんでした。 主婦って、えらいなと思い、 主婦の仕事は全部職業になっている という事に気がついたときに 主婦の仕事はこの世の中で一番凄い仕事かもしれない と思っていました。 今は得意料理がないほどに料理は上達しました。 舌が肥えてくると、記憶の遠くを手繰り寄せるように、 子供の頃に作ってもらった料理の味を 思い出した時期がありました。 運のいいものは、 近い料理を本などから見つけ出すことができて 再現することができます。 でも、母のオリジナルっぽい料理の中で、 どうしても再現できないものもあるのです。 あの美味しかった料理は いったいどうやって作ったのだろう? こんなに料理が得意になっても 作ることができない現実に、 後悔という言葉が浮かびます。 私は全てのむすめさんたちに、 教えてくれる人がいるうちに、 習っておいた方がいいと思いました。 以前食材の接客販売をしていた時に、 ご年配のおばさまがたから、 よくちょっとした料理の工夫やコツを 教えていただくことがやたら多かったです。 こんな他人の店員に教えてくれるそのおばさまがたの、 たくましさと寂しさみたいなものを感じては、 私が感心すると笑顔で「あーらなんでもないのよ」という 大きさみたいな明るいものを受け取っていました。 自分の主観が大きくて 押し付けがましいことを書いてしまいましたが、 料理本にも載っていないちょっとしたことって、 人口が少なくて消えていく文化ぐらい 大切なものだと思います。 (読者のバンビーナさんから) Lesson384「おかんの戦場」にいただいた メールほぼ全文を掲載 この中で美しいまでに印象的に書かれているのが、 バンビーナさんの感じた 「取り返しのつかない大きな欠落」感だ。 自分独りがやっきになって工夫・開発して やったと思うことは、 集団生活の日常でなんということはなく 受け継がれていく知恵に遠く及ばないのではないか? よくこんな大事なことを、 よく高校生で、気づかれたな、 よっぽど自立して限界まで努力しておられたんだな、 と思う。 その甲斐あって、 いまや料理ではなかなか一般の人がいけない域までいった バンビーナさんが、 それでもいまもなお、家庭の中で主婦たちが 受け継いでいく、なんということはない、 ちょっとした知恵に、 おおいなる敬愛を注いでいるところが尊いと思う。 「この会社には何も吸収するものがない」 そんな捨てゼリフをはいて会社を辞める若者もいる。 私は会社勤めを16年、フリーランスになって8年だが、 もといた会社は人気企業になるにつれ、 よい大学をでた頭のいい新人がくるようになった。 しかし、そのころから、社会全体としても、 せっかく入った会社を早々に辞めてしまう人も増えた。 早々に会社をあとにする新人の言う、 「吸収するもの」とは、 「主観的に自分の成長につながったもの」とか、 「飛躍的に人や社会に貢献できる技術」なのかもしれない。 でもそれは、成功者のノウハウを結集した本とか 講演会で学べる。 バンビーナさんで言えば、 料理本で独学できるものかもしれない。 個々の成果とか、華々しい技術ではない、その「あいだ」。 独学でなかなか学べないのが、 「あいだ」をとりもつ、融通性というか、機転というか、 会社や社会でやっていくための、なんとはない、 ほんのちょっとした社会常識なのではないだろうか。 ごくフツウのサラリーマンが、 ごくフツウに仕事をしつづけていくには、 一見なんともないようでいて、 ものすごい量の、体系立てた知恵の集積がある。 私がなぜいま1人立ちして食べていかれるかといえば、 ものすごい数の先輩・同僚から、 学んだとも思わず、それゆえ感謝さえもせず、 いま思い出そうとしても、あまりに些細なことの集積だから 思い出せもしないようなこと、 の集まりがあるからのように思う。 そういうものは、やはり会社に入って、せめて5年以上、 集団のなかでもまれて初めて得られるものでは ないだろうか? すでに会社で働く若い人も、 自分はできる、才能がある、と思っている人ほど、 自分からは凡庸に見える先輩の、 こまかくて、どうでもいいような指摘を うざいと感じているかもしれない。 若くて才能のある人ほど、 あまりにもこまかくてうざいと思う平凡な先輩の指摘。 「それで仕事の成果になんの影響があるの?」 「成績さえあげていればこっちのものだ」 と右から左に聞き流して捨ててしまい、 見むきもしないようなこと。 しかし、それこそが、 バンビーノさんが知りたかった、「おとうふの水」 ではないだろうか? |
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2008-10-29-WED
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