おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson648 「誰かのせいで何かができない」と言わない自立 ー5.未来は誰の手にある? 過日、強い風雨の日、 私は、ビルの谷間を目的地へ向け、歩いた。 傘と一緒に吹き飛ばされそうでいっこうに前に進めず、 あちら、こちらで、 「キャー!」と悲鳴が起こっては、 傘がバコーンと逆むきに折れ曲がっていた。 私は、「濡れてもいいや!」と雨の中、 傘をたたんで歩き出したら、 驚くほどすいすい進めた。 皮肉だなあ、 自分を守ってくれる「傘」が、 逆に抵抗になってしまうとは。 「自立」も似ているかもしれない。 いちばん自分を守ってくれた存在が、 いつのまにか、いちばんの抵抗になっている。 先週のれんさんの文章には、 感動、衝撃、言葉にならない‥‥と、 たくさんの反響をいただいた。 まず、1通紹介しよう! <ここからどう反応するかは私次第> れんさんの文章を読み終わったとき、 すぐには反応できませんでした。 なぜなら、想定した結末と、 全然違っていたからとても驚いてしまって。 「すごい、すごい‥‥」っと、ただ口から出ていました。 「こうされて、○○だ!」「ああ言われて、○○だ!」 っていうリアクションを決めるのは、 自分の自由なんですね。 その自由度の素晴らしい例がれんさん。 彼女が自分を生きているのは、 物事に対するリアクションが 既存の型にはまっていないから。 私たちは日常的に、 「他人からあることをされた→ コレってきっと悲しむべき状況だ→ ああ悲しい!」 という方程式を自分の中で つくってしまっている。 それって退屈なことなんじゃないか。 わたしがどう感じていくかは、 わたしだけが決めることですよね。 わたしは最近、恋をしていた人に 付き合えないと言われてしまいました。 とても残念でした、まだまだ生傷です。 しかしやはり得るものはありました、 こうならないと得られませんでした。 以前だったら大騒ぎして 友人たちに泣きついて話しまくったりする所を、 今回はどうしてしないのか、 少し分かりました。 失恋という悲しさは多くの人と共感できる事柄ですが、 その中身はわたしだけのものだから わたしだけがこの先のリアクションを決められる。 「誰にもこの先の私の未来を決めて欲しくなかった。」 状況は全く違うのですが、、、れんさんの この言葉に胸を打たれたのも、 わたしも自分の経験を誰かに定義付けられたり、 リアクションを定められたり されたくなかったからだと思います。 この先にある、自分だけのリアクションに 期待しているんです。 生傷を抱えていても必死で自分に期待している。 れんさんの最後の一文、 「いつか素直になれるまで何度も生まれ変わればいい。」 その器の大きさ‥‥ 今まで感じたことがなかった 人間の果てしなさを感じました。 その果てしなさにとても希望を感じます。 (お砂糖) 「誰にも甘えないから 誰にもこの先の私の未来を決めて欲しくなかった。」 れんさんの文章で 私がいちばん心を動かされたのも、上の2行だ。 れんさんが、たったひとつ「恐れ」たもの。 それは、父親の暴力ではなく、 いじめっこでもなく、 授業料をとめられたことでもなく、 体にさわろうとするお客でも、 自分を海に投げ捨てる男でもなく、 父親から投げ飛ばされれば、 子供の権利について考え、 皆勤賞で小学校に通い、 いじめっこは、心の急所を読み取って、泣かせ。 授業料を止められれば 雪道をバイクでホステスのアルバイトに通い、 客から体をさわられそうになれば、 演歌を覚えて歌って切り抜け、 海に捨てられ、あわや殺されかねない状況で、 自慢の泳ぎで、すいすいと、何キロでも、 陸まで泳いで帰ってきてしまったれんさん。 こどものころ家をほうりだされても、 田舎の夜道をひとり朝まで歩いても、 自分の横を車が何台通り過ぎても、 母親や、おばあさんに守ってもらえなくても、 恐れなかったれんさんの ただ一つ恐れたことが、 卒業まで1週間というときに、 高校を辞めさせられてしまうかも、 ということだった。 自分の努力とか、知恵とか、創造とかと、 まったく関係ないところで、 自分以外の人間が、勝手に 自分の未来を決めてしまうこと。 それが子供にとってもっとも奪われたくないものだった というところに希望がある。 「自分のこの先の未来は自分で決めたい!」 と、れんさんは言っている。 もちろん、自分で決めたからといって、 思い通りには決していかない世の中だし、 自分で決めれば、決めた分、 プレッシャーと責任も重くのしかかる。 挫折したときの痛みだって、ハンパないだろう。 にもかかわらず、 こどものれんさんが、たったひとつ、 どーしても守りたかったものが、 自分のこの先の未来を自分で決める自由だった。 れんさんはこうも言っている。 「子供だった私はきっとどんな状況の時でも 未来を信じ 自分自身で切り開こうとしていたのだろう。 それを自分自身で気付かないほど 必死であったんだろう。 それに気付かないほど 必死で信じ、必死で生きていたのだ。」 私たちは、「相談」という皮をかぶって、 しばしば、自分の未来の一部を人にゆだね、 それとわからないように、 人に決めさせてしまうことがある。 なぜそうするかというと、 「傘」がほしいのだろう。 人生の天候は予測がつかず、 人間ひとりはとても弱く、 何日か雨に打たれつづければ、 あっけなく体を壊す。 しかし、自分をいちばん守ってくれるものが、 いちばん抵抗になることがある。 依存とは、自分の未来の一部を 切り売りしている状態かもしれない。 でもそれは、10代のれんさんが、 たったひとつ、これだけは! と本能的に守り通した 「宝石」のようなものを、 日々、削っているような状態だ。 この「宝石」は、いま、 ほとんどの人の中に1つずつある。 それを次々切り渡していくか? 守り通し、自分なりの磨きかたで磨いていくか? 自分のこの先の未来は、いま誰の手にある? 読者のおたよりを紹介して きょうは終わりたい。 <姉のひと言> 自立って何? どういうことを言うんだろう? そう思い始めた時は21歳。 生活は親に頼って(頼っているという自覚がなかった)、 「絵を描く仕事をしたい」というぼんやりとした夢を 追いかけていました。 いわゆる自己中心的な人間です。 就職活動をするにあたって、 自分で生活することをやっとこさ考え始めましたが、 時すでに遅く、就職できないまま22歳になりました。 その年、母が脳梗塞を起こし、 命は取り留めたものの言語障害を負うことに。 同じ年に、父が末期のがんで亡くなりました。 翌年、母が海に身を投げました。 おそらく、自分の介護を、 私には任せられないと思ったのだと思います。 私には10歳年上の姉がいます。 姉は結婚して家を出ていましたが、 その当時から本当にたくさんの場面で 私を助けてくれました。 ひとりになった私に、姉はこういいました。 「アルバイトじゃなくて、ちゃんと働き口を見つけなさい。 派遣でもいい、ちゃんと一日働くの。」 これが、自立の一歩だったと思います。 いまは、姉の家族と暮らしながら、 派遣社員をして毎月貯金できるくらいの お給料をいただいています。 自分で立って生きていけるようになったとは思いますが、 本当の意味での自立は、もっと、 精神的な部分なんじゃないかなぁと、思っています。 自己中心的な性格はまだ残っているし、 そのせいで家族に迷惑をかけることもあります。 「その程度の人間」と言われ、 ひどく落ち込むこともありましたが、 本当に「その程度」の人間なんだと思います。 家族に対して優しくできないなんて、 他の誰に対しても優しくできない‥‥あぁ、 文章で書くと、本当に酷いですね。 だけど、 「出来ない人間と思われているかもしれないけれど、 そうじゃない部分もあるんじゃないかなぁ」と、 かすかでも希望を持ちたいんです。 人に優しくありたいんだと思います、 誰でもみんな、もちろん私も。 「あのひと、困っているな、 助けになれることはなんだろう」 「あの人を喜ばせたいな」 「あの人を傷つけてしまった。。。ちゃんと謝ろう」 毎日、会社に通い、家に帰る。 どこに居ても周りに誰かがいる環境で、 私なりに「誰か」のことを考えることで、 目指すべく「優しさのある人」に近づけるんじゃないか と思っています。 そう信じて、行動する。 これが、今の私の「自立」です。 (みつみ) <自分だけの自立の儀式> れんさんの文章、 読了したら、つーっと涙がつたった。 自立とは、公に認められてこそかと思っていた。 でも、自分の中にだけある、非公式な自立の儀式が 私にとっては大切みたいだ。 今更ながら、再び頑張ります。 れんさん、ありがとう。感謝します。そして、幸あれ!!! (べるかんぷ) <感動しました!> 私はアスペルガーの父が 家庭内暴力を振るう家庭に生まれ、 父の虐待下で生まれました。 現在65歳です。 徐々に、徐々に、心の傷が癒え、 人間関係に恵まれてきています。 そんな過程を、小説にしようと、奮闘しています。 そうです! 回復することが、「復讐」なのだと思います。 一生かかって、自己回復をするのだと、思っています。 勇気をいただきました。 ありがとうございました! (マキ) <勇気ある自分の象徴> 「自立」シリーズ、 大学をあと半年で卒業する私は 興味深く読ませてもらっています。 自分が選んだわけではないものに依存した状態から抜け出し 自分がこれだと思うものへの依存を獲得しながら その依存のネットワークを築いていくこと。 という男性のコメントに深く共感しました。 ここ半年、私は親の力や持っているものに頼らず 自分1人で頑張る、自分の力を試す といったようなことに力を入れていました。 できたこともあれば、できなかったこともありました。 達成感もあったりなかったりで少しもやもやしていました。 そして、先日久しぶりに実家に帰って 家族とおしゃべりしました。 そして、「あ。生まれ持ってきたものも今、目の前にある。 そして、学んで選びとったものも今、私は持っている」 という感覚を持ちました。 両方とも大事だと直感しました。 今まで依存してきたものは ホームとして安心感を与えてくれます。 自分で選んだ依存は ちょうどよい心地よさを与えてくれます。 でも、今まで依存してきたものに依存し続けることは 自分のようで自分じゃないって思います。 籠の中の鳥状態。 何も見えていないんです。 自分で選んだ依存は、まだ脆いけど 勇気ある自分の象徴です。 1人で頑張る、できるようになることも やっぱり自立する上で欠かせません。 今まで依存してきたもので羽を休めることも 人間らしさとして必要です。 そして、自分で選んだ依存は 何ともいえない幸せを感じることができます。 友情であったり、世界観であったり、 コミュニティであったり。 自分を生かすフィールド。 それを、見つけて、そこで生き生き生きること。 見つけていきたい。 創っていきたい。 (水波) <自立を覚悟した瞬間> 私は12歳〜30歳頃まで節食障害で つらい時期を体験しました。 つらさから逃れたくて関連書籍を読み、 原因を追及すると母親との関係が 多く問題に取り上げられています。 母親のせいなんだ、 だからこんなにつらい想いをしなくちゃいけないんだ、 どうしても母を責め立てたくなる感情がわいてきて、 実際に彼女を責めたこともありました。 十何年も考え、対峙し続けたけど、 結局、そこからは何も変わらなかった。 疲れ果て、どうしたらいいんだろうと困り果てていた時、 ここから前に行くしかないんだなって 割り切れた瞬間が来ました。 どんな理由だろうと、どんな原因だろうと、 今の私はここから前に行くしかない、 今持っている考え・身体・環境に関係なく、 ここから前にいくしかないんだなって、思えました。 そこからもなんども原因探しに足をすくわれ 立ち止まってしまう時期は訪れたけど、 やっぱり辿り着く結論は、 今の自分を使って、ここから進むしかないんだな ってことでした。 あの感覚が自立を覚悟した瞬間だったんだと思いました。 (AOI) <何をされても押し返さない、ただいる> 私はここ何年か太極拳を練習しています。 先月の練習の時です。 先生が横から私の身体を押しました。 私はその時、自然に先生を押し返していたようなのです。 ばっと手を離された私はぐらついてしまいました。 ほーら、依存している。 押し返してはいけない。 何をされてもただそこにいる。 何もしなくていいのよ。 それが自分で立つということだから。 ぐらついた身体の感触と、 間髪いれずに来た言葉に、 大袈裟に聞こえると思いますが、 衝撃を受けました。 私依存している。一人で立ってない。 太極拳においての言葉ですが、 まるで私の生き方その物です。 一人で生きる、一人で出来ると言いつつ、 実は人に期待し頼りたくて仕方ない。 もしかしたら先生は、 そういう私の生き方を見透かして言ったのかもしれない。 手を離されたら倒れてしまうのは依存。 手を離されても立って居られるのが、 頼りあい、支えあっていられる関係だと思います。 自分で立つことが出来るひとは、頼ることも出来る。 私は最近、一人で生きていくことに こだわらなくなってきています。 初めて人と一緒に生きて行きたいと思っています。 (リョーコ) |
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2013-08-07-WED
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