おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
Lesson735 オリジナルとはなにか ―2.読者の声 オリジナルとは、 悪い人がパクろうとして、パクってもパクっても どうにもパクりきれない「何か」。 未熟な人がマネようとして、マネてもマネても 足元にも及ばない「何か」。 という先週の、 コラム、および、「曇りの教室」への読者メールに 多数反響をいただいた。 さっそく紹介しよう! <オリジナルでありたいと願う時に> 周りの人に受け入れられたいのか、 自分の足で立ちたいのか、 どこにベクトルが向かうかで、真逆になってしまいます。 周りに向かっている時は、 「いかに他と違うものを生み出すか」、 「同じようにはなるまい」と、 周りをきょろきょろ見回しているように思います。 ですがその時は、自分の立つところを見失っています。 周りを見回して自分の位置を確かめたくなりますし、 背伸びをしようとして、オリジナルを求めます。 その時にあるのは、 「自分には何もないという恐れ」 で、そこから逃れるため 自分の外にあるオリジナルにすがりつくのでしょう。 出会えるのは自分と比較するための素材です。 ですが、ただ自分で立とうという時には、 自分の内面にベクトルが向いています。 そこでは周りに振り回されることはありません。 その時に出会えるのは、 お互いに自分の足で立とうとする同志です。 一見似ている人でも、 それぞれまったく生きてきた所も、 立ちたい所も違うから、 同じになりようがありません。 そこに触れることは、相手の重みを感じ取ることです。 あこがれることはあっても、 安易に真似しようとは思えないはずです。 真にオリジナルを求める作業は、 お互いのオリジナルを大事に出来る出会いの場と なりうるのではないでしょうか。 (たまふろ) <(1)(2)(3)> (1) 学生のとき、図工でよく「人と違うものを作りなさい」 と言われ、途方に暮れた理由が、 今になってわかりました。 アイデアが何も浮かばないのは、 周りの作品を基準に考えるから。 上手でないから、なにも浮かばないから、 私は図工が苦手、と思い込んでいました。 私は本当は図工が好きでした。 周囲を意識せず、もっと自分と対話できていれば‥‥ 楽しかったのだろうな。 (2) 服装に強烈に興味を持った時期がありました。 古着です。 のめりこみ、 いつの間にか私らしさがわかるようになり、 自分なりに工夫や勘のようなものが養われ、 今現在、おかげで流行の服をむやみに欲しがることもなく 「服を着ること」を楽しめています。 周りの流行を気にせず、 自分の気に入った服を片っ端から着て、 のめりこんだから。 (3) 結婚してから、家風が違う、 ということを思い知らされました。 今までの常識が、生活という基盤から揺らぎ、 全てにおいて、間違ってはいないだろうか‥‥ と、びくびくしていました。 考えることをやめ、 ひたすら主人に合わそうと考えていました。 自分の自信のなさが、 「曇りの家族」を作り上げていきました。 ある日、主人が子供に顔にあざが残るくらい手をあげ、 それでも、これは主人の躾なのだと 自分を麻痺させました。 次の日、幼稚園の先生方に呼ばれ 先生ご自身がお父様から虐待を受けられていたようで、 いろいろ聞いていくうちに、初めて、 「主人と私は子供を虐待したのだ」 と理解しました。 あの日を機会に、 「私が主人を怖がらなければ、 何かが変わるかもしれない」 と思いました。 「私が怖がるから、子供も怖がります。」 そして曇ります。 怖がらないために、これ以上曇らないために考えました。 あれから5か月。 今も怖いときはあります。 でもそれは、思考を止め、 主人に依存する「楽」を選んだ代償、 勝手に作り上げた恐怖、 そう思えます。 (くにこんにゃく) <自分で進路を決めたことがありませんでした> 私は今まで、進路を自分で決めた事がありませんでした。 高校も親の決めた高校に行って、落ちて、親に怒られ 別の高校に行きました。 専門学校も、親の決めた所に行って、 一年生の時はテストに落ち続け、 親に怒られ、自分を責めて苦しかった。 就職も、たまたまあった求人の中から見つけて 受かりました。 でも、そこで、つまづきました。 私は、今、ソーシャルデザイナーになって 誰もが、自分に自信を持って生きられる社会に したいです。 そのために、十日町に行って、 ソーシャルデザイナーの人に話を聞いて、 どのようにしたらいいか考えます。 (新潟県 二十歳 K) <妥協とオリジナルの分かれ目> 先週の最後にあったMさんの文章を読んで 「人が妥協する過程」について考えさせられました。 人がなぜ思考停止に至るか? それはなにかをやっていく過程ではなく、 やったというその事実のみを求める(結果重視) からなんですね。 思い当たる、自分にもある、 とぞっとする気持ちになりました。 そして、「いろいろやった結果そうなった」は 正にオリジナルを生み出す過程ではないか とも思いました。 きっとそれが醍醐味を生むのではないかと。 はしょってはいけないなあと気がつかせてくれて、 ありがとうという気持ちです。 (りょうこ) <自分も人も尊重するための思考法を> 大きな組織の中で働いていた頃、 あらゆることが決められていて、 ほんのわずかな工夫や自由も認められなかった。 決められた事が上から下りてきて、 その目標に向かって働くだけの毎日。 自ら何かを考えて行動する必要がなくなり、 まるで自分の心が奪われるような、 自分が機械になってしまうような感覚に気付き、 愕然とした。 その後、縁があって小さな小さな会社に入った。 あらゆることを任され、 楽しく働いていたが、 社長の考え方と少しでもずれがあると 「何様のつもりだ」とののしられ、 結局上からの指示に従うだけの自分に なってしまっていた。 楽になろうとして、 「思考停止」してしまう状況、というのは いつ、どんな環境にいても起こるのだなと 自分の弱さを突き付けられた。 「受け流しつつ、自分の頭で考えることをあきらめない」 「受け流しつつ」は、私には難しい課題だ。 考えることをあきらめない、は 曇りを晴れにする、という意味ではない。 曇りを晴れにする努力は、 別の曇りを作り出し、雷を伴う。 それぞれの正義があって、 押しつけられることも、 それを拒んで自分の正義を主張することも 結局同じ構造なのかもしれない。 今、目の前にある曇りの状況を把握して、 自分を大事にすること。 長い間、ずっと、どこかに正解があって、 それを守るべきだと思ってきた。 正しさを求めて考えるのではなく、 正解はどこにもないと思って、 自分も、相手も尊重するための思考を 巡らせることができたら良いなと思った。 (あなぐま) <オリジナルであるためには> オリジナルがオリジナルであるためには、 その人の中から絞り出してきた何かが にじみ出ていること。 同じ言葉・同じフレーズであっても、 そこに至る過程がないと それは、すごく薄っぺらい 何の感動も与えないものなのだろう。 言葉に力があるか、ないか、 その言葉に力が宿っているかどうかは、 その言葉が出るまでの過程があってこそなのだ、 というのがよくわかりました。 誰の言葉でもない、 私の言葉で表現するには 私が考えるしか方法はない。 もうひと踏ん張り頑張ってみようと思います。 (潔子) <私にとってのオリジナル> 絶対無理! と思っていた俳句を 始めて5年になります。 俳句は、類想・類句との戦いです。 この頃わかってきたのは、 オリジナルな俳句を詠むには、季語を芯にして、 自分にしか思いつかない単語で、 ジャンプするように表現する、 ただ、それには何よりも自分の中に積み重ねてきた 「思いの深さ」が必要、 ということです。「深さ」という言葉を見て、同じだ! と思いました。 (まむう) 先週の最後に紹介したMさんのメール、 とても素晴らしかった。 「息子が中学に入ってから2か月、 非常に過干渉にしてしまった。 明らかに疲れている息子の横に べったり座り込んで、きちんと勉強できているか 監視するような毎日だった」 というMさんのメールで、 私がいちばん印象的だったのは、 「中間テストが終わり、ほっとしてよいはずが、 何か無力感にさいなまれ、 子供もただただ疲れ切っているようにみえました。」 という光景だ。 「成功しても、自己が表現されないとき人は虚しい。」 という私の表現教育の経験則を 思い出した。 勉強ひとつやるにしても、 自分の編み出した方法を試してみたり、 自分の中からこみあげた目標に向かって がんばっているとき、 その行動自体が、 自分の内にあるアイデアや想いを外に出す =表現することになる。 けれど、お母さまのほうも、 息子を監視するなど、本意ではなかったろうし、 息子さんのほうも不本意に監視を受け、 たがいに苦痛を押してがんばった結果が、 達成感も解放感もない、あるものはただ、 「無力感と疲れ」 であった、ということ。 自分の想いがなんら表現されない、 どころか自分の本意ではない過程を踏んで、 何かやり遂げても、ほんとうに虚しいんだな と改めて思い知らされる。 オリジナルと妥協の違いもそこにあり、 引用や流用で、 とりあえずカタチだけ整えて出す、 ような過程を踏んでも、 その人ならではのアイデア・想いは、 外に表れないまま、溜まったまま、 だから、たとえ採用されたとしても、 人は虚しい。 逆に言えば、 「自分の頭で、そこをもう一押し、 踏ん張って考えたら、 もっと面白くなるのに。」 私がオリジナルにこだわる理由も そこにある。 |
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2015-06-03-WED
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