YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson825
 読者の声2 ― 「おかあさんのアバター」について



母娘問題のコラム「おかあさんのアバター」には、
娘の立場から多数反響が寄せられ、
先週「読者の声」で紹介したが、

「まさにアバターの母でした」

という読者から、おたよりをいただいたので、
ひきつづき「読者の声」を紹介する。


<アバターの母>

まさしく、私は「アバターの母」でした。

3人の子どもと夫、夫の両親と同居の
兼業農家の7人家族。

私は都会の核家族の一人っ子育ち。

長女が可愛くて、
私の決めた思い通りの枠の中で育てました。

でもその時は
全くそのことに気づいていませんでした。

そんな中、夫の病気、私の病気。

そして長女が中3のときに、
夫が亡くなりました。

娘が高校生のとき、
特に何かがしたいという希望もなく、
私は、

「手に職をつけられるところにすれば?」

と専門の大学を勧めました。

娘は、私の言うがままに受験して合格。

しかし、
入学して5月の連休明けから
大学に行かなくなりました。

大学で、
まわりの学生が志を持っているのを見て
「自分はそうではない」、
と今までの我慢が切れてしまったのです。

大学に行かなくなって、
娘は、家の中で荒れました。
ご飯も食べず、部屋から出ず、

私はイライラしました。

「どうしたいの?」

と聞いても何も答えません。
心配になって、
娘を心療内科へ連れて行きました。

そこの先生が娘を診察して私に言いました。

「おかあさん、
子どもはお母さんの思い通りには動きませんよ。
やりたいようにやらせてあげればいいんですよ。」

それでも大学だけは行ってもらいたくて、

口を閉ざしたままの娘に
何度も問い詰めました。

やっと娘が言った言葉が

「行きたくて行った大学と違う」

信頼できる人たちにこの件を相談しました。

心がストンと落ちる言葉をもらいました。

「巣立ちのときと違うかな。」

「自分の行動が自分でちゃんと決められて偉いね。」

原因が私だったこと。
娘を言いなりに育てたこと。

娘のためではなく、
自分のための子育てをしてしまっていたこと。

そして娘は、精一杯私に尽くしてくれたこと。

ゆっくりと時間をかけて反省しました。

そんな私の変化と同時に、娘も変化し始めました。

大学を辞めてバイトに行き始め、
20歳になって一人暮らしを始めました。

娘らしい朗らかさが戻って、娘と同等に会話ができる。

今はそれがすごく嬉しいです。
(karen)



「家族は一緒にいるべきだ」と
当然のように言う人がいる。

でも、本当にそうだろうか?

田舎育ちの私は、18歳から、
大学に行くため親元を離れ
一人暮らしをせねばならなかった。

都会で通学圏内に大学が多数あり
大学になっても親と一緒の人がうらやましかった。

しかし、大学で教えるようになって、

文章表現教育を通じて、
「離れて暮らす親子のカタチ」を
たくさん見るようになった。

たとえば今年、Jリーグに入った学生は、
15歳からずっと親もとを離れて暮らしている。

そんなふうにスポーツとか、
独自の夢を追ってきた人の多くが、
早いうちから親と離れて生活しており、

しかし、そうした学生ほど、
「家族」が、これ以上ないくらいの
精神的な支えになっている。

ツラいとき遠くの家族を思ってガンバレる、
とかいうレベルでなく、

生きる意味のど真ん中、
夢のど真ん中に「家族」がいる。

ある学生は、プロ入りに手が届きそうになって、
焦り、自分を見失いかけた。

夢が至近距離に迫ってきたことで、
現実を目の当たりにしたのだ。

夢直前で挫折していく人の姿や、

自分と同じくらいの年でも大学に行く選択をせず、
すでにプロとして世界で活躍している人、
すでに戦力外通告を受けた人、

そうした現実に心をかき乱されて、焦り、

本来の自分が発揮できず、
結果が出せなくなり、
夢を追う意味もわからなくなって

その状態から、抜け出せなくなってしまった。

もちろん、サッカーを見てくれるすべての人のために
頑張る、感動を与えたい、
そういう正直な気持ちもある。

チームや恩を受けた人のために頑張る、
それも、もちろんそう思ってはいるが、

窮地から抜け出すまでには至らなかった。

しかし、「家族」を想ったとき、

物心両面でずっと支え続けてくれた家族、
日本中どこで試合があっても必ず応援にかけつけて
くれる家族、

「家族に対して、サッカーでどう表現するか。」

それこそが自分が夢を追う真意だと気づいて、
その学生は窮地から脱却することができた。
離れていても家族がこれ以上ないほど機能している。

家族が「生きるチカラ」になっている。

「家族はどこか何かが同質だ。」

血がつながった家族なら、同じ遺伝子を持っている。

血がつながっていない家族も、
一つ屋根の下で、似たようなものを食べ、
同じような文化や習慣で暮らしていくと
「同質」の部分を多く持つようになる。

同質どうし、ひっつきすぎ、長期になれば、
視野も広がらなくなる。

同質どうしの小競り合いは、やがて、
自分で自分をこきおろすような、
おたがいをつぶしあうものになる。

だから、
同質の者のなかで育まれた人間が、
やがて異質な人を求めて巣立っていくのは
自然なように思える。

「同じ遺伝子を持つ者どうしだからこそ、
世界の四方八方に飛び散って、それを生かせ」

という発想もアリだ。

自分と大きく異なる人々のなかで生かせば、
家族の中で当たり前だった性質は「個性」として輝く。

異質なもの同士がぶつかれば、
新しい考えに触れられ、ひらけがある。

そう考えると、

18歳で物理的に親と引き離されてしまったことに、
いまはむしろ「感謝」している自分がいる。

自他ともに認める「おかあさん子」の私は、
あのまま一緒にいたら、自立は遅れたろう。

「家族は一緒にいるべきだ」

その考え方を否定はしない。
いいことなんだろうと思う。一方で、

「家族はいつか分かれて生きるものだ。
それでもお互いが生きるチカラになる。」

そういう道もある、と私は思う。

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2017-04-26-WED

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