YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson864
   読者の声―「心に非常食を」について



愛に干され続けると、
寝食に干され続けるのと同様、人はキレやすくなる
=攻撃性を帯びる。

攻撃性は、人に向ける、自分に向ける、両方ある。
自分に向けるとは、自傷行為や、試験を白紙で出すなど
自分の人生を傷つけたり降りたりする。
キレやすくなった時気づくの大事、
作品等からも愛を補充し、しのげる。

愛の小腹が減ったとき、
自分自身を潤すなにかを持っておこう、という

コラム「心に非常食を」に、

読者は何を感じたのだろう?

さっそくおたよりを2通紹介しよう!


<「心に非常食を」を読んで>

(恵まれた環境にいながら、
試験を白紙で出すなど自分の人生を攻撃する
「てんちゃん」という人物が、コラムに登場しましたが、)

自分もてんちゃんと同じじゃないか、と気づきました。

私も生まれ育った環境に恵まれていたと思います。

幼少のころから欲しいものはなんでも与えられ、
習いごとも「やりたい」と言ったものは
まずやらせてもらえたし、
初孫だの一人っ子だのいう利点を
存分に使うことができました。

例えば「あのおもちゃがほしい」と言ったとき、
その理由や用途を尋ねられることなく、
買い与えてもらえました。

なので、
「買わないよ」と言われ泣いてアピールしたり、
「どうして自分にあのおもちゃが必要なのか」という
プレゼンをする必要がなく、
自分の気持ちを具体的に伝えなくても願いは叶いました。

幼稚園まではなんとかやっていけたけど、
小学校に入ってからは、
人と話すことができずいじめられ、

朝の登校時に「学校に行きたくない」と言うと
父に「泣くな! 黙れ!」と怒鳴られ、
母に抱きつくと、父から殴る蹴るの暴行を母と共に受け、
無理やり車に押し込まれて学校に行くこともありました。

私は家での役割として
「かわいらしくておとなしいお人形さん」を
求められていたのでしょう。

家では黙ってお手伝いや勉強をし、
学校ではクラスメイトや教師たちとうまく折り合い、
特に波風の立たない人生を送ってほしかったんだと
思います。

父も母も自分個人としての意見を言わない人で、

外に対しては当たり障りなく接し、
例えば私が「学校へ行きたくない」と言っても
「それは世間が許さないから」という言い方で
責めたててきました。

彼らにとって大事なのは自分より家族より、
まず世間体だったように思います。

(それが翻って自分や家族を守ることに繋がると
信じていたのかもしれないのですが)

両親は、
横柄で理不尽な言動をする親せきや客人に対しても
黙って言うことを聞き、その姿は
「親せき(お客さん)だから仲良くし続けないといけない」
とあきらめているようにも見えました。

だから私も「そうしなければならない」と思い、
学校や職場などで理不尽な目に遭っても
耐え続けるというやり方しか分からなかったし、
頑張って戦ったり、逃げたりしたら
「どうして我慢しなかったんだ」と
両親から責められるだろうと思うと
(実際、責められたこともありました)
「家に居づらくなる」ほうが怖くて、歯を食いしばりながら
学校や職場へ通うしかありませんでした。

人生も平均寿命の約半分が過ぎ、
母は亡くなって父と二人暮らしになりましたが、

いまだに父は自分の感情を表に出さない人で、
私が喜怒哀楽を表現するのも厭う人です
(母が亡くなった際は、
何度も「泣くな!」と怒鳴られました)。

私は仕事を辞め、母から引き継いだ家事をし、
ほとんど外に出ない生活をしています。

それでも人間関係で傷ついたり、
傷つけてしまうことは数知れず、そのたびに
自分の意見をはっきり言うことへの恐怖心が
取れていないことを痛感します。

他人と折り合うために
「お人形さんでいること」は必要ない。
そう頭でわかっていても、
実行することはとても難しいのです。
両親を悲しませたり、
怒らせたりしてしまうと思ってしまうから。

ただ幸い、文章を書くことは子供の頃から好きでした。
小学生の頃から日記をつけ、
中学生以降は小説や詩も書いています。

文章を人前に出すと、
もちろん酷評を受けることもありましたが、
喜んで読んでくれる人、
「面白かったよ」と直接声をかけてくださる人もいて、
そのたび励みになっています。

自分の感情を人に対して直接、表に出せないという葛藤を、
文章で昇華しているのかもしれません。

きっと私にとっての「心の非常食」の一つなのでしょう。

いつの間にか始めて、自然と身に着いたものだし、
きっとこの先、誰に何を言われても
やめることはないでしょう。

この自信を胸に、これからも大事にしていこうと思います。

(S)


<でも、いまはちがいます>

ずっと母親からの愛情を得られなくて
つらい思いをしてきました。

愛してもらえない自分はこの世の中からいらないと思って、
自傷行為をいつもしていました。

母は、ずっとわたしを悪く言ったり
暴力をふるったりしてきました。

母にとって大切なのは、娘より自分だったのです。

自分を守るためには、
自分を攻撃する娘をなじるしかなかったのです。

こうして、ずっと愛をもらえなかったわたしは、
人に甘えるとか、頼りにするとかできませんでした。

みんながわたしを好きになってくれたり、
力をかしてくれたりしていたのに
それに気づくことも、ありがたいと思うこともで
きなかったと思います。

わたしが欲しかったのはずーっと
「母の愛情」だけだったからです。

「てんちゃん」もきっと、
得たい特定の愛があったのかなと思います。

そして、「それを得られなかったのは自分のせいだ」

とおもっていたのかなとも思います。
そういう自分を好きになれなかったのかもしれません。

わたしも母から認められない自分は否定してきました。
ずっと自分が悪い子だったから
母の愛情をもらえないとおもっていたのだと思います。

でも、いまはちがいます。

愛して欲しかったから、人への愛情がすごく強い。

つらい人を放っておけません、
だって、自分がずっとつらくされてきたから。

自分が満たされていなかったら、人も満たされない。
自分を犠牲にしてまで人に尽くしても
多分なんの役にもたちません。

だから、

自分のこころを満たすための「非常食」を
自分で与えなければ。
とっても難しいけど、自分で自分を
少しでも満腹にしてあげること。

わたしはいつもそう思いながら、
自分を大切にしようと努力しています。

(megumaru)



人にはそれぞれ欲しい愛のカタチがある、
としみじみ思う。

私自身は、
小論文編集者という、知力を駆使する仕事で
社会生活をスタートし、頑張って経験を積んできたので、

「この発想・考え・想い・感性を持った私を、
だれかに、かけがえなく理解されたい。」

という願望がずっとある。
まさに、「理解という名の愛がほしい」のだ。

しかし、やっぱり、理解に飢える。

飢えてひもじいこともたくさんある。

そんなとき私は決まって、
かつて、このコラムに寄せてくれた1人の読者の
メールを想い出す。
それを紹介してきょうは終わろう。


<親も、その親から愛されたことがなく>

昔、親に対して、
「自分が子供やったら、どう扱ってほしいのさ!!」
と、不満のあまり言ったことがありました。
その答えはハッキリとは覚えていませんが、

“わからない”

というニュアンスだったと覚えています。
なぜかというと、

両親自体も“愛”を深く受けていない、

という事でした。
父親は何もわからないまま子供に接している、
と知って、

自分が求めている
“親からの愛情・理解”というものが、
得られない事に気付きました。

しかも、父は、
悪気などなく、知らないという事なので、

僕は怒りのやり場を失いました。

「仕方ないんだな‥‥‥」
という思い、絶望感に打ちひしがれていました。
納得はできても、

その飢餓感が満たされる事はありませんでした。

自然と僕は、今、よく言われているような
“いきなりキレル子供”に、
なっていたように思います。

自分でも感情の歯止めがきかなかったのです。

いきなり怒ったり、
衝動的にイライラしたりしていた事を覚えています。
自分がおかしくなっているのを
僕は自覚せざるをえませんでした。

そのイライラで、
僕はある人に怪我をさせてしまいました。

いずれ、そのような事が起こりうると、
僕は薄々、感じていました。
いつか爆発してしまうんじゃないか、という事を。

周囲からも、責められました。
言われるまでもなく、自分の責任なのですが、
自分でも、なぜそんな事をしてしまったのか
わからなかったのです。

自分でもわからない事を他の人に
説明できるわけがありませんでした。

僕は、自己嫌悪と孤独に追い込まれていきました。

誰にも、理解されない感覚と、
人に近づくのが怖くなるのをかんじていたからです。
自分の中に、爆弾を抱えているような気分でした。
いつ暴発するかわからないものが自分の中にある、
そして、

今度は、もっと大きな事をしでかすのではないか、
と思っていました。

“自傷行為”という事に近い事もやりました。
その時に“リストカット”という言葉は
ありませんでしたが、
もしあったなら同じ事をしていたと思います。
目を閉じて、静かに息をしていて、
自分の体の動作を確認するように

「体は自由に動く、でも、心が、おかしくなっている」

と、思いました。
その頃の僕は、周囲に殺意を抱く事もありました。

「どうして、自分だけが
 こんなに苦しまないといけないんだ、
 何も、悪くはないのに」

という思いが、自分を非難する人、
のほほんと気楽にしている同級生に対して、
怒りになって蓄積されていっていました。

でも、冷静になり、我に返ると、
自分も父親と同じ事を周囲に対してやろうとしている
事に気付きました。

おぼろげながら“連鎖”を、
次の人にネガティブな事を
回していこうとしている自分に気付きました。

「こんな事、僕は望んでいない」
という思いがありました。

同じ事を繰り返しても仕方がなく、
どこかで流れを止めようとする意識が
強く働きました。

以来、僕は人との深い関わりを
拒絶するようになっていきました。

本を、よく読むようになりました。

人と深く関わるよりも、遊ぶよりも、
本を読む事で癒される、
という感覚がありました。

「愛は、たとえば、
 ものすごくおいしい料理人の料理を食べたり、
 大好きなアーティストのライブを見た後、
 歌からも伝わってくるように、
 作品を通しても、込め、
 受け取れるものだと思います。」
とズーニーさんが書いていたのもとても納得できます。

昔の僕は、その“愛”を、もらって
暴発する事を防げたのだと思いますから。

心理学の本、歴史本などを、
ゆっくりとしたペースですが、
結構、読み込んだと思います。
他のジャンルの本も、読みました。

孤独な生活が多かったですが、
徐々に、知識と、そこに込められている
“愛”というものに癒されていったと思います。

そこでチャージした“愛”を、
他の人に多少なりとも分配して、
“愛”を、得られたのかもしれません。

それに、自分でもわからない事が
自分と同じ年齢の人にわかるわけがない,
という思いから、
自然と年上の人に近づいて行こう、
という意識が働きました。
同級生、同学年の人とは、
どうも気が合いませんでした。
というか、僕の飢餓感を埋められるのは、
“年上の人”なのだと思います。

今、僕の内面には、殺意は満ちていませんし、

怒りも、解消されたように思います。
ほんの少しずつでしたが、進歩しました。

現在、僕は、
まだまだ満足していませんが、もし、昔のまま、
“連鎖”を止める意識が働かず、
衝動のままに日々を過ごして
いたなら、犯罪者になっていたかもしれません。
わかりませんが、そんな気がします。

長くなりましたが、こういう事をメールする機会も、
中々、ないので長々と書かせてもらいました。
ありがとうございます。

(2005年連鎖シリーズにいただいた
読者Sさんからのメール)


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2018-02-21-WED

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