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智慧の実を食べよう。
300歳で300分。

「ほぼ日」創刊5周年記念超時間講演会。

智慧の実を食べた人々1 糸井重里(2)
〜このイベントから
 ずっとつながっている〜

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さて、本日は一昨日にひきつづき、
「智慧の実を食べた人々」として
darlingがイベントを通して、
感じたこと気づいたことを語ります。

●いきなり「最終兵器」を
 出してしまった。


── 講演内容はもちろんなのですが、
講演の順番がよかったと言われます。
順番を決めるにあたって、
いろいろと迷っていましたよね。
【編集部註】
 講演は
  詫摩武俊氏<共感性の経験>
  吉本隆明氏<普通に生きること>
  藤田元司氏、糸井重里 講演(対談)<気持ちの強さ>
  小野田寛郎氏 講演<そこで生きる力>
  谷川俊太郎氏 講演<世間知ラズ>
 の順番で行われました。

 
糸井 トップバッターは詫摩さんって決まっていたんです。
老人と子どもを中心にいろんな話をしてくださって、
ほんとに会場をよくほぐしてくれたよね。


詫摩武俊氏

吉本さんの存在感の力って、すごいじゃない。
だから、どの順番で出そうって迷った。

ぼくがずっと吉本さんという人を尊敬してきたのは
すごい論文を書いている、すごい詩を書いている人が、
そうじゃないところで尊敬できるからなんです。


吉本隆明氏

ぼくが吉本さんにお会いするときって、
すごい人なんだということを、
いつも忘れているんですよ。
それは、吉本さんのほうが先に忘れてるからだと思う。
ただの人として、それだけでいいという感じなんです。
とんでもない大きさを感じるね。

結局、二番目にもう最終兵器みたいに
吉本さんを出しちゃったじゃない。
ここで、今日は帰ったら損なんじゃないかって、
会場にいたみんなが一気につかんだと思うんですよ。

そして、よく知っているし
「ためになる」ってことがわかりやすい
藤田さんの話がそれに続いて、
その後に存在に「すごみ」のある小野田さんが登場、と。


藤田元司氏、糸井重里

最後の疲れ切ったところに
谷川さんがおいしいデザートを持ってきたって感じかな。
今思うと、あの順番はわれながらよくできてるな。
 
── 最後を飾った谷川さんは
他の方の講演内容をすべてご覧になって、
ご自身の出番にのぞまれてましたね。


谷川俊太郎氏
 
糸井 谷川さんは今回の演目のとおり、
いい意味での「世間知らず」なんですよ。
「地に足がついていない生き方をしてきた」
っていうのが谷川さんだし、
そこのところではものすごく太く筋が通っている。
それがすっごい強みなんです。
感心したなぁ。 
 
── とにかく持っているものを
すべて出そうという
気概を感じます。 
 
糸井 あの年で、あの元気な姿で
あの講演をできるかって言ったら
できないよね。 
 
── 小野田さんも講演の直前に
「座らないで、立って話したい」っておっしゃって、
一時間、びしーっと立って、お話をされました。


小野田寛郎氏
 
糸井 小野田さんは「講演をする」ということに関しては
多分、一番慣れているんだと思うんです。
それは、ひとつの製品をいつも店先に並べている
老舗のようなタイプだと思うんですよ。
でも、そのひとつずつの製品に
ほんとに自信があって、
同じモノなんだけど、
そのつど生きたモノを
目の前に差し出すという感じですね。 
 
── 小野田さんは、
想像ができるわけがないのに、
すごく情景が浮かぶ話でした。 
 
糸井 落語家の桂文楽がそうなの。
文楽って、そんなに器用な人じゃないと
ぼくは思っているんだけど、
とにかく丁寧に話をつくっていくんです。
同じ古典的な話を
特別なことをするわけではなく、
いい製品につくりあげて差し出す人。
一度、高座でつかえちゃって、
「べんきょ〜しなおしてまいります」って
引っ込んじゃったことがあったんだって。
正統派の芸が好きな人はみんな文楽が好き。
すごいですよ。

でも若い頃の文楽を聴くと
「あんまり上手じゃなかったんだな」って思うんだ。
落語家で若いときから上手な人って
あんまりいないと思うんだよ。
「ほんとうに上手」ってところに
たどりつくまでにものすごい時間がかかる。
なまじカタチのある芸だから
覚えてやればできちゃうはずなんだけど、
年を取って何回も何回もやって
自分ってものの大きさが変わらないと
落語ってうまくならないみたいなんですよ。
それはもうすごいものです。 
 
── 小野田さんはまだ器が変わっているってことですね。 
 
糸井 そう。
「お客さんにくつろいでもらう」ってことまで
できるようになっている小野田さんってすごい。
同じ話をあと20年経ってもできると思う。
同じように伝えようとしてくれる。
どういえばいいか、その、魂が新しいんだ、いつも。
── 「29年間、戦い続けてきた」という話なのに、
肩に力をいれずに聴けました。
あと、小野田さんは
ずっと笑顔で話をされているのが印象的でした。 
 
糸井 うれしいんじゃないですか。
人の前で確実に伝えられているということが。
他の方もみんなうれしかったように見えたな。 
 
── 講演者の方々がちょっと興奮していたのが印象的でしたね。 
 
糸井 ちょっとずつ興奮していたよね。


●吉本隆明さんの話を止める?!

── 吉本さんの講演時間が大幅にオーバーして、
糸井さんが舞台の上にいきましたよね。

 
 
糸井 吉本さんを迎えにいったんですよ(笑)。
あんまり時間の概念とかないから。
他の講演会でも失敗したらしいんですよ。
延々しゃべっちゃって、止める人がいないから。
と、いうか誰も止められないから。
予定が2時間のところ、3時間になってしまって。
吉本さんを呼んだ偉い人でも、止められないってことが
あったらしいんです。

ふだんしゃべっている時も
吉本さんは止まらないんです。
止めるときには、
ぼくは、ちゃんと言うんです。
「ちょっと止めましょうか」とか。
そうすると「ああ、ごめんごめん。」って止まる。
その呼吸を知っているから、講演がはじまる前に
「吉本さん、あとで止めに行きます。」って
言っておいたんですよ。
「目覚ましがわりに行きますから。」
「ああ、そうしてください。」って。 
 
── 舞台袖では大騒ぎだったんですよね。
「どうしよう? 誰が止めに行く?」って。 
 
糸井 そりゃ、俺の出番だ(笑)。
ぼくにとってはものすごい簡単だったんです。
吉本さんの言いたいことがまだ足りていなければ、
話を続けてもらって
もう一回、止めればいいんだし。
なんか、おもしろかったよね(笑)。

ほんとぼくは好きなんだ。吉本さん。
もし吉本さんが、この世の中からいなくなったら、
あきらかに立ち往生すると思うんだ。
自分なりにいろいろ考えているはずだし、
そんなに普段から
相談をしているというつもりはないんだけど、
あの人がいなくなったら
「ぼくはほんとに
 ひとりで生きていかなくちゃなんない」
って気持ちになるね。
それは親より重いという気さえする。
ただただ‥‥。
ほんとどうしていいかわかんない。
具体的に何に困るというわけじゃないとは
思うんだけど(笑)。 
 
── 吉本さんを舞台に迎えに行って、
話がしばらくつづいていたので、
舞台袖では「糸井さん、困ってるんだろうなー」って
思って見てたんです。
でも舞台から帰ってきたときに糸井さんが
「いやー、泣きそうだったんだよ」って
言ったじゃないですか。 
 
糸井 本当のこと言っている人の気持ちが、
声に乗って伝わってくるんだもの。
いい歌を聴いているときみたいなもんだよね。
もうしびれるんだよ。


●「すごい」ということ。

── この講演はくり返し見ても
自分の中に消化して理解するところまでは
なかなかいけなそうです。 
 
糸井 いやいや。「理解する」ってことじゃないんですよ。
わかっている人はもうとっくにわかっているし、
あの場にいなくてもいいし、
聴いてなくても人生じゃないですか。
あんなところに集まることもないりっぱな人たち、
そういう人生に対する「尊敬」がテーマじゃないですか。

ついこの前。
11月の9日の夜から10日にかけて
どういうわけか目が覚めて、
吉本さんがあの日に講演した話がわかったんですよ。
わかってたんですけど、
ホントーーーにホントーーーにわかって、
ひとりで起きて泣いてたんですよ。
それで11月10日の誕生日を迎えて
すごくすっきりしたんです。

「すごい」ってことは
逃げようのない一本道を行く時にわかる。
選んでやってきたことはそうでもないんですよ。

たとえば、親が二人とも亡くなって、
大借金があって、なにかの間違いで会社を首になって、
彼氏が逃げてしまって、
いわゆる「不幸」みたいになるじゃないですか。
「不幸」は「不幸の状態になる」から
「不幸」なんじゃなくて、
逃げようがないから「不幸」なんですよ。
どうやったらそこから逃げられるかって考えるんですけど、
万策つきて逃げられない場所ってあるんです。

泣いたかもしれないし、
文句を言ったかもしれないし、
我慢しただけかもしれないけど、
そこを人に伝えるためでもなく、
しっかりと一歩ずつ歩いてきた人のすごさが
人間ってモノのすごさなんですよね。

まだうまく言えていないんですけど。
そこをぼくらの前の世代の人たち、
小野田さんじゃなくても
戦争を経験してきた人たちというのは
みんなやってるんです。

ある日、赤紙がきました。
自分も死ぬかもしれない。
戦場じゃなくても空襲があったり、
人と人が撃ち合うかもしれない。
ただ歩いているだけで殺されるかもしれない。
そこを耐えて生きていく。
やりたいことをやっているんじゃなくて、
そこをまっとうする、

ひとつの食料を得るために、
文句を言っている暇もないから
やみ米を手に入れるとか、
土地に作物を植えるとか、なにかしているんですよ。

「誰が悪いんだ」とか文句を言っている人は
自分の飯を手に入れていない人ですよ。
そんな環境の中で、
嫁をもらって子どもをつくっているのが
ぼくのおやじの世代じゃないですか。
ぼくが昭和23年生れですから。

父と母にはそこしか行けない道があって、
そこにたどりついた。
大変なことがいっぱいあったと思うよ。
ぼくはただ知識として知っているだけですけど。

いいとか悪いとかってレベルじゃなくて、
実際そうやって生きてきたということを
自慢もしなかったし、愚痴も言ってなかったけど、
それ自体がぼくよりずっとすごいなって思ったら
自分が情けなくなっちゃって。

状況も違うけどね。
「自分はそんなことできたかよ」って。
逃げることができない場所で
しっかりと逃げずに文句を言いながら生きていたんだよ。
そんな父をずっと「なめてたなー」って思って。

世の中から見たら、
息子のであるぼくのほうが
出世をしているかもしれない。
名前もしれてるし。
でも、「たいしたことないなー」って。

気づいたら急に世界が広くなった。
そんなことに気づいた日が誕生日だったんで、
すっごい気持ち良かったの。

すごいんですよ。
なんでもない人のすごさって。

そういうものを受け止める元になる日が
9月13日のイベントだったんだと思う。 
 
── なんでもないことを、
やっていることがすごいって気づくって
それもすごいです。 
 
糸井 このイベントから
いろんなことがずっとつながってきていて、
今、自分にすごく期待しているんですよ。
人から見たら最近そんなに仕事してないかな。
自分でもしてないと思うんです。
なのに自分にすごく期待しているんです。 
 
── 自分の箱が広がったんですかね。
このイベントをやって
確かにわたしたちも仕事が変わりました。 
 
糸井 「現実を動かす力」と
「時間も空間もぶっとんだ大きさにタッチしたい
 気持ち」と両方をもちたいんだよね。

「あぁ、ぼくは無力だ」って思うのが現実で。
日本のお父さんたちにしても
「現実をどうやって変えていけるんだろう」って
自分の無力さに悲しかったと思うんですよ。
でもそこで「力」を見せたいですよね。

人間には「生きたい」っていう欲望があるでしょ。
他人と餌の捕り合いになったときに
簡単に「あ、いいっすよ」と言わない自分がいるって
知ってるってことがものすごく重要。
オトナとしては、
「ほんとは恐いものだよ」っていいながら
その恐いものを「すばらしいものだよ」って
ふたつのことを同じ口から言えるかどうか、だよね。


●次の「智慧の実を食べよう。」は
 どうなるのか。


── さて、乗組員も読者も気になっている
次の「智慧の実を食べよう。」はどうしましょうか。 
 
糸井 「モノを考えるって言うのは、
 恐ろしいことでものすごくおもしろいことだ」
っていうことについて次回はやりますよ。

人間って考えざるをえないんですよ。
でも、考えなくてもいいと思うんですよ。ぼくは。

それでも考えざるをえなくなっちゃったときに
しっかり考えている人がいるって。

そのことにわくわくする日。

そういうのを次回やります。

(「智慧の実を食べた人々3」には
 MAYA MAXXさんが登場します。
 21日金曜日の更新をお楽しみに。)


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と、いうことで、次回の予告もありましたが、
まずは、第1回目の
「智慧の実を食べよう。300歳で300分
 ほぼ日コンプリートBOX」で
イベントの全てを追体験してください。

2003-11-18-TUE

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