── 最初に「5人の長老のイベントをやる」って
聞いたときに
受けた印象を教えていただけますか。
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MAYA MAXX(以下、MM)
私はたぶん、糸井さんたちの影響を
もっとも受けた世代なんだよね。
コピーライターというものは
素晴しい職業だとか(笑)。
「YOU」を、中学とか高校の時に見てたし。
「萬流コピー塾」だったり、
「おいしい生活」っていうあたりで就職とか。
だから、今の若い人が糸井さんを見るのと、
また違うと思うんですよ。
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── |
MAYA MAXXさんは
糸井をそういう目で見ていたんですか。
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MM |
糸井さんの上にいるのが、
あの長老の方々で。
あの方たちが、やっていらっしゃったことを、
いちばん影響を受けたのが
糸井さんたちの世代だと思うんです。
糸井さんたちが影響を受けているということは、
それをいろいろと、
私たちも影響を受けてるわけですよ。
さらにその下の世代に、
たとえば今、自分の絵を見に来るような子たちが
いるわけですよね。
長老の方々がどんなことをしてて、
どんなものを書いていらっしゃるかは
本などを読んで知っているんです。
でも、それは糸井さんたちの世代の方たちが、
「いい」って言ってるので、
「そうかいいのか」と思って読んでる。
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── |
「また聞き」をする感じですかね。
「いいんだよ」って勧められたから
ちょっと手に取ってみる。
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MM |
そうそう。
私たちがダイレクトに吉本隆明さんと、
繋がるわけじゃないんですよ。
糸井さんたちの世代を挟んで繋がるわけですよ。
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── |
歴史が繋がっていますね。
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MM |
あのイベントを通して、
繋がってる感じがすごいした。
お話もね、絵を描きながら聞いてて
すごい面白かった、
だけど、もうね。
生で見ただけで、よかった。
しかも皆さんは客席から見るんだけど、
私は、そこを歩いてる姿が見れたり、
一応ご挨拶もさせていただいたりとか。
なんかすごい身近で、
生の動いている姿を見ただけで、
感動しました。 |
── |
ライブペインティングの時の話を
うかがいたいのですが、
トップバッターの詫摩先生のとき、
まずまっしろなキャンバスをじーーっと
みつめていらっしゃいましたよね。
その姿が印象的でした。
最初からなんかイメージが
湧いていたりしたのでしょうか?
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MM |
ないです、ないです、うん。
ぜんぜんない。
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── |
まわりにいた関係者が、
キャンバスを見ている
後ろ姿がすごく色っぽいって
しきりに言ってました。
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MM |
素晴しいでしょ? すごい(笑)。
本人的には、
みなさんがいっぱい周りにいらっしゃっても、
あんまり関係ないんですよ。
絵を描いていると、
その時間、誰がどこで何を言っていようが、
もうぜんぜん関係ないから。
ちょっと抜けた状態ですよね。
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── |
描いてるときは没頭してしまって
記憶がないってこととかあるんですか。
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MM |
さすがに300分もかけて描くと、
記憶がありますよ(笑)。
もっと短いときは、あれっ? って
5分ぐらいはわからないときがありますけどね。
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── |
詫摩先生の話が終わって、
きれいな円が描かれていましたね。
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MM |
うんうん、そうですね。
ワッと描いてね。
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── |
「もうこれだけで終わりでもいいかもしれない」って
一瞬思ったぐらいきれいでした。
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MM |
すごくきれいでしたね。
キャンバスがとにかく横に長い面だったので、
なんか真ん中にひとつしっかりしたものがあると、
いいんじゃないかな? って、フと思ったのね。
やっぱり、「智慧の実」かな。って。
いろんな経験をなさって、歳をお取りになって、
そこでいろんなものと戦ってきた人は
やっぱり円でしょ。
いろんなことがあったと思うんですよ。
それは、角があるかたちではないかな。って。
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── |
詫摩先生の、家族やおじいちゃんと子どもの話も
関係してあの円になったのかなとも思いました。
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MM |
お話を聴くと、
詫摩先生のイメージっていうのは、
すごく丸い感じですよね。
いろんなことがあるけれど、
結局、やっぱり「和」ね。
人間と人間が、「和を、和する」っていうの?
やっぱりそういうことだよね。
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── |
円を書き終えて、
吉本隆明さんの話に入りました。
つぎはサルを描きはじめたんですよね。
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MM |
サルを、描くときにも、
どんなサルを描こうなんて思ってないんですよ。
それで、描くじゃん。
それ見たらね、やっぱりすごい長老なんですよ、顔が。
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── |
長老のオサルの顔には
いろいろな人生がつまっているように見えますね。
吉本さんの話を聞いているときはいかがでしたか。
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MM |
吉本さん、面白かったね。
糸井さんも言ってたけど、
古今亭志ん生の晩年みたいでした。
もうとにかく志ん生がそこに来て、
高座に上がってるだけでいいっていう、
あの気持ちですよね。
私は3つぐらいすごく心に残ったポイントが
あったんです。
その3つとも、
いや、ほんとにそうだよなと。
今これをちゃんと言葉にして言える人っていうのは、
この人しかいないんだろうなって思った。
国家の話があったでしょ。
アメリカとかヨーロッパの人たちと、
アジア的なものの捉え方は
基本的に何もかもが違うんだと。
我々も、何となく普段から、
表現してるじゃないですか。
そうすると、やっぱりアメリカ人の表現するものと、
我々が、とくに今、自分が表現してる
ものっていうのは、
まったく立脚点が違うっていうの?
もちろん薄々そう思ってたんだけど、
吉本隆明がここまではっきり言ってくれるんだから、
それでいいと思うじゃないですか(笑)。
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── |
それでいい。って考えるというより、
感じましたね。
そして、右側にも長老のサルの絵が
入ってきたのが、藤田監督のお話ぐらいでしたか。
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MM |
そうかな。
藤田監督は、目の前のひと試合、ひと試合という
「現実」をずっと生きてらっしゃった方ですね。
いい意味でも悪い意味でも、
日本的なありかたっていうのがさ、
そのままエッセンスとして
残ってるような社会じゃないですか。
そこで指揮官をやるっていうことは、
何年も織田信長をやってるようなもんだから(笑)。
それはもう大変なもんでしょう。
いろんな言いたいことはあると思うけど、
勝ち負けで全部が決まる。
まさにそういう世界ですから。
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── |
「負けたけど、途中まではよかった」なんて、
誰も言ってくれないですからね。
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MM |
そうなんですよ。
だけどやっぱり「監督をやれる幸せ」
っていうのもありますよね。
やりたくてもやれないですから。
それをずっとやってきて、で結果を残して。
大変だよね。
あれもやりたくない(笑)。
でも人のことを
すっごくよく見てるんだろうなと思います。
選手だろうが、そうじゃなかろうが。
監督の場合は、その見方っていうのが、
すごく公平に見ようという努力を感じました。
自分の好き嫌いももちろんあるだろうし、
そのときの状況によって、
「ムカツクこいつ」とか
「なんでできないんだ!」とか
いろんな感情あると思うんです。
そういうことを
自分の感情とか感覚みたいなものを抜きにして、
ただ起ってることだけを、
正確に捉えなきゃいけないんだろうな。
そうじゃなかったら、あそこまでできないと思う。
どんな仕事をしてても、同じことですけど、
それが、ものすごい凝縮した世界だから。
自分が監督してるチームが、
負けることによって、
日本中の何百万人のお父さんの機嫌が
悪くなるんだってさ。
そんなの、絶対いやだよね(笑)。
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(つづきます。
次回は24日、月曜日更新です。) |