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智慧の実を食べよう。
300歳で300分。

「ほぼ日」創刊5周年記念超時間講演会。

智慧の実を食べた人々5 十文字美信(1)
 〜29年前の思いを
  はらすことができました〜

「智慧の実を食べよう。300歳で300分」の
パンフレットには
写真家の十文字美信さんが29年前に撮った写真と、
小野田寛郎さんに向けた文章が載っています。


「1974年3月12日、
 ぼくは早朝から羽田空港の送迎デッキの上で、
 報道関係者の群れに紛れ込んでいた。
 カメラに望遠レンズを装着し、
 ボーイング707の到着を待っていた。
 (中略)
 当時、ぼくは27歳になったばかりで、
 駆け出しもいいとこ、
 名ばかりのフリー写真家だった。
 この日、小野田さんを撮影することは
 誰に頼まれたのでもない。
 仕事でもなんでもなかった。
 自分の意志で、
 どうしても小野田さんの写真を撮りたかった。
 人生は長生きしたところで、
 たかだか八十年。
 その日々の生活の中で、
 自分が「凄い」と感じる人物に
 出会えることなんて
 めったにあるものではない。
 まして、写真を撮ることができるチャンスは
 本当に限られている。
 ぼくにとって、小野田寛郎さんは
 「凄い」人物であり、
 その日はまたとない千載一遇の時だった。」
 (講演パンフレットに寄稿していただいた
  〜小野田さんの「それだけだろうね」〜より抜粋)


 1974年、羽田空港での小野田さん。
  撮影:十文字美信
  (『智慧の実を食べよう。』パンフレットより)


そして、9月13日。
十文字さんも「智慧の実を食べよう。」の講演を
聴きにいらっしゃいました。

今回の「智慧の実を食べた人々」は、
十文字美信さんからうかがった話しをお届けします。

●シワ一本見逃さない
 レンズが必要だった。


── 小野田さん宛に
パンフレットに書いていただいた文章が
非常に印象的でした。
29年前に小野田さんを羽田空港で
撮影したときのお話をうかがえますか。
 
十文字 あの写真を撮影した頃、
ぼくは写真家になりたてで、
若くビンボーな時代でした。

勝手に「VIP」と名付けて、
羽田空港に「自分がすごい」と思う人を
撮りに行っていたんです。
時間があったんでしょうね(笑)。
カーペンターズとか、
アンドレ・ザ・ジャイアントとか。

小野田さんが帰ってくるという話を聞いた時は
「もう絶対に行かなくては」って思いました。
羽田空港については
どこのポイントにいれば
どのような写真が撮れるか
だいたいわかっていましたし。

実は、ぼくは写真家になって
しばらくカメラを持ってなかったのです。
仕事がある時だけ、
カメラをレンタルする写真家だったんです。
小野田さんを撮影する半年ぐらい前にニコンを買い、
直前にハッセルブラッドという
カメラを手にいれました。
ただし、ニコンは望遠レンズを買う余裕がなく、
値段の安いズームレンズしか
持っていませんでした。

小野田さんが飛行機から降りてくるところを
撮影するためには望遠レンズが必要です。
近くに寄れないことは想像できたからです。

案の定、飛行機には近寄れず、
デッキの上からしか撮影できませんでした。
わかっていながら、
精度の悪いズームレンズで撮影しました。
パンフレットの文章には
「望遠レンズを装着し」と書きましたが
正確にはズームレンズだったのです。
その結果、構図的には小野田さんを大きく撮れず、
思ったより小さくなりました。
 (編集部註:このページの上の写真です。)
出来上がった写真を見たら、
ピントはきちっと合っているのに、
シャープさの欠けた、
ちょっとだけ眠い写真ができました。

ぼくはね、その時、
「小野田さんの写真は
 シャープでなければ意味がない。
 ちょっとした表情、
 目のくばり、
 シワの一本まで、
 きちっと見えなければ
 小野田さんの凄さはわからないぞ」
って思っていたのです。

だって小野田さんは特別な人でなく
普通の人でしょ。
鉄人でもなんでもない。
その普通の人が特別なことを
やってきたわけだから、
普通が特別になることって、
見えにくいんです。
うっかりすると見逃してしまう。
だからシワの一本まで見極めないと大事なものは
見えてこないのです。

値段は安くても、
もう少しシャープなレンズであれば、
もっとよく小野田さんを
見ることができたかもしれない。
だから、今回、「智慧の実」の会場スクリーンに
空港のあの写真が映った時は
当時の悔しい思いが蘇ってきました。
 
── そうだったんですか。
小野田さんのルバング島での29年間、
そして、空港でシャッターを切って
先日、楽屋で小野田さんに
「再会」するまでの十文字さんの29年間、
どちらもひと言では語り尽くせないものが
つまっているんですよね。
 
十文字 そうですね。
「智慧の実」のパンフレット用にお渡しするために
写真を探したら、
一枚だけフィルムがなくなっていたんです。
空港の中で、
小野田さんが正面に来ていて、
ばっちり撮れている写真があったはずなんです。
だから残念だったんですけど。
結局、パンフ用にお渡ししたのは、
近景で撮った小野田さんの顔が
横向きのものです。


 1974年、羽田空港での小野田さん。
 撮影:十文字美信
  (『智慧の実を食べよう。』パンフレットより)
 
── そうなんですか。
どこに行ってしまったか
ぜんぜんわからないのでしょうか。
 
十文字 小さくベタで焼いたものはあったのですが
もとのネガがないんですよ。


 パンフレットにはのりませんでしたが、
 ネガがみつからない正面から撮った写真を
 お借りしました。


今回糸井さんのはからいで、
講演の後に楽屋で29年ぶりに
小野田さんの写真を撮り直すことができて、
胸のつかえがとれた思いです。


●名乗って写真を撮ることができた。

十文字 29年前の写真を撮ったのは、
スナップじゃないですか。
ちゃんと自分の名を名乗って、
「写真を撮らせて下さい」って言って、
小野田さんも撮られていることを
自覚していたわけじゃないから、
もう1回、きちんと撮ってみたいって
気持ちもあったんです。
だから楽屋で、
ものの5、6分だったけど、
紹介していただいて、
「十文字です」って名乗って、
まず「写真撮っていいですか?」と言ったんです。
「あ、いいですよ」って言われて
写真を撮れたことが、
ひじょうに嬉しかった。

横顔の写真と正面の写真とを
撮らせてもらいました。
今度はちゃんとしたレンズで撮ってるから(笑)。
29年前の復讐戦ですよ、ぼくの。


 9月13日の講演終了後、
 十文字さんが小野田さんの写真を撮りました。


●羽田空港のデッキで撮った
 お母さんの写真。


── 楽屋で撮られた写真で
29年の思いをはらせたんですね。
 
十文字 自分にとって、
やり残したことが‥‥、
29年間かかったけど。
やっとできたなって気がした。

29年前に空港のデッキで
小野田さんの到着を待っているとき、
小野田さんのお母さんらしき人が
同じ場所にいらっしゃったので、
声をかけて写真を撮らせてもらったんです。
でもその時は
本当にお母さんかどうか確信がなくて、
その写真をずっと持っていたんですよ。

楽屋に行ったときに
その写真を持っていってお渡ししました。
「なんですか。これは?」
「見てください」
「あ‥‥。
 母です。若いですね」
とおっしゃっていただいて、
ようやくその時撮った写真が
本当にお母さんだったことがわかったんです。

  (つづきます。次回は水曜日更新予定です。)

「ほぼ日コンプリートBOX」には
十文字美信さんが29年前に撮った
小野田寛郎さんの写真と、
小野田寛郎さんに向けた文章も載っています。


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ほぼ日コンプリートBOXの販売は
終了しました。
どうもありがとうございました。



【智慧の実関連ニュース】
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(darlingの特別コメントもあります)
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2003-12-01-MON

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