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(前回につづき、
糸井重里による談話をおとどけします) |
今回出てくださる4人の方のお話って、もちろん、
役に立てようと思えば、役に立てられるんだと思います。
一流の学者の方のやっていることって、そもそも、
今の世の中で、精一杯生きている人のやっていることの、
燃料になっているようなところが、ありますから。
それぞれの先生方の話を聞いた人は、イキのいいうちに、
自分の動力部にブチこんで、情熱を燃やすこともできる。
今は、いろいろなものごとの曲がり角だと言われています。
実際、そのとおりのところも、あるでしょうし、
4人の先生方も、それぞれ、転換点を、感じているんです。
ただ、生きものとしては、人間って、
そんなに、「曲がり角」や「危険なところ」や、
「今までの考えを捨てていかなければならないような事態」
には、あんまり、接触したくないはずだ、と思うんですよ。
「曲がり角」自体は、いいことでもなんでもない。
冒険をせざるをえない場所に、追いこまれるわけですから。
ぼく自身は、人体としては、そういう転換期は、イヤです。
ほんとは、寝てて、左うちわで、天井を見て、暮らしたい。
いつだって、笑っていられれば、それに越したことはない。
だけど、それで、済みっこないということを、
ひしひしと感じている今のような時代も、それはそれで、
「複数の人生をたのしめているような感じ」があるんです。
そのことは、すっごいラッキーだと思うんです。
まるで、幕末にいるような感じ、と言いますか。
幕末には幕末の悲劇がある一方で、愉快さもある。
わかってもらえないつらさだってあれば、
わかってくれたことの、芯からのうれしさだってある。
端境期って、いろいろな交流が過剰になってきますよね。
疲れも、何倍も、やってくることになる。
「ほんとは、そんなに疲れるのがイヤだよ」
っていう、ナマケモノのぼくだからこそ、
最先端の人のすばらしさを、大多数の、ふつうの人にまで、
伝えられるんじゃないかと、そのことは思っているんです。
冒険が大好きで、
「こういう時代を待ってたんだよ!」っていう人は、
どんどん、ふつうの人をおいていくでしょうから、ね。
咸臨丸に乗って、どっかに行っちゃうでしょう。
そういう人は、帰ってこない。
ほんとはグダグダしたいという人間が、
だけど今、こういうふうに伝えたいんだ、ということが、
大事なんだと、自分では、自覚しているつもりです。
グダグダしたいし、変わりたくもないんだけど、
それでも、変わっていったほうがいいところを見つける。
そこに、たのしみが、あるんです。
今回登場してくださる4人の学者のみなさんは、
それぞれどこか、つっぱっているようなところがあります。
「それって、つきつめると、ほんとはつらいでしょう?」
そのことは、わかるんです。
ラクをしたいからこそ、なまけていたいからこそ、
4人の学者のやってくれていることの輝きが、よくわかる。
ラクをしたい人も、ぶっちぎってどこかに行きたい人も、
「哲学があるかどうか」の違いは、明確にあるんですよね。
ぼくは、なまけものなりの哲学を持って、
今の時代に、必要とされるかたを、お招きしたつもりです。
むずかしい話も、そうじゃない話も、
「ほんとうは、町にいる
お兄ちゃんやお姉ちゃんのほうが、
実感を持って、わかることができるんだ」
というのが、
ぼくが、根っこのところで、信じていることですから。
だから、そのへんにいるお兄ちゃんやお姉ちゃんとして、
この場に、来てくださる人に、期待をしてしまうんです。
(チケットは
3月27日(土)から、チケットぴあで発売します。
どうぞ、おたのしみに!
糸井重里の談話シリーズは、今回までで終了します。
次回からは、岩井克人さんと糸井重里との、
打ちあわせでの会話を、おとどけしますね。
「いきなり全力投球!」の、おもしろさなんです) |