糸井 |
授業と講演って、どこがいちばん違うんですか? |
岩井 |
それはもう、ぜんぜん違います。
授業はやっぱり、
論理的にしゃべらなければなりません。
講演は、論理的というよりは、もう少し、
「わかりやすいもの」をしゃべるはずなんです。
ただ、それでも、
前のほうで、寝ちゃう人がいたりして……。
授業でも、眠っている人はいますが、
講演でいびきをかかれると、
どうしようかと思います。
講演も講義もそうなんですが、
最初に新しい科目を教えるときというのが、
いちばん慣れないものだし、
いちばんヘタなものになるはずなんです。
ただ、後でふりかえってみると、
二度目三度目になると、
慣れているはずなのに、
逆によくないということが多いんです。
なぜかというと、それは本人が、最初には、
まず「自分を納得させる」ために、ちゃんと、
筋道を立てているからだと思います。
二回目以降は、すでにできあがった論理を
繰り返すことになりますから、どこか無意識で、
重要なところの説明を、はしょっちゃうんですね。
先日は、あるところで、
貨幣についてお話をしました。
最近は、会社についての
講演を求められることが多く、
いくつかは引き受けてしまうので、
繰り返してばかりいることに飽きてしまい、
敢えてそうしたんです。
もちろん、貨幣についても本を書いているんですが、
その題材のほうが、
もう少し、フレッシュなものになります。 |
糸井 |
今回の「会社の行方」というタイトルに
こだわりがあるわけではないですし、
貨幣について話していても、
会社の話になってくるかもしれませんから、
だいじょうぶですよ。
もちろん、すでに本になっていて、何度か、
講演もされたであろう「会社」についての
「よそでしゃべっているうちに、
最近気づいたあたらしい要素」
とかが入ってくるという期待も、あるんですけど。
最近、ぼくが気になっているのは……
「いま、日本で
仕事をしていこうと思ったときには、
会社員以外の選択を、考えにくいこと」
なんです。
会社員かフリーターか、みたいなことになる。
会社員という道具を持たないで
個人が生きていくことは、
非常にむずかしくなっていますよね。 |
岩井 |
そうですね。 |
糸井 |
なくてはならないからと言って、
「会社の役割」というのを、
大きく考えすぎたら
自分の足下をとられますよね。
ちょうど、岩井さんがお書きになったように、
「会社という道具を、どうやったら
人間のために役に立てることができるのか」
ということを、みんなが、
いちばん知りたい時期だと思うんです。
ぼくは、四十何歳まで、
個人でずっと仕事をしてきたつもりなんです。
会社と個人が、
ぶつからなきゃならないときには、
軍団とひとりが戦うみたいになりますから、
「データは持っているわ、予測はできるわ」
という会社のほうが、
それはもう、個人よりも強くなりますよね。
もう少し昔だったら、個人でも、
「暴走族で何百人かを相手にケンカする」
みたいな、乱暴なことができていたと思うんですが、
今の時代には、そういうことは、ぜんぜんない。
やっぱり、数名でもいいから
組織を持って、仕事をしていくっていうことが
大切なんだなぁ、と、
自分自身、痛切に思うようになったんです。
ぼくにとっての会社って、
「武器にもなるから、いいもんだな」
と思って、スタートしたものなんですね。 |
岩井 |
いま、糸井さんがおっしゃった言葉──
「会社のことを、
道具として見るようになってきた」
という言葉が、
最近のもっとも重要な現象なんだと思います。
もちろん、最初に作られたときは、
会社は、たしかに「ひとつの道具」だったんです。
人間、ひとりでは何もできないことが
沢山ありますから、
組織を作ったりしたわけです。
だけど、そのうちに、大きく変わっていきました。 |
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(会社に関する会話は、明日に、つづきます!) |