川勝 |
屋久島のお隣の種子島には、
昔から、宇宙センターがあるでしょう?
あそこもむちゃくちゃきれいなところでして。
行かれましたか? |
糸井 |
行ってないです。 |
川勝 |
行かれるべきです。
種子島には宇宙センターがありますけど、
ほんとにきれいなところです。
絵に描いたようなところ。絵より美しい。
種子島は標高も
二〜三〇〇メートルの土地なので、
非常に生活しやすいんです。
かつて、鹿児島の薩摩と
姻戚関係を結ばざるをえなかったぐらい、
種子島の領主には力があって、
伝来した鉄砲をすぐにコピーして製造したほど、
文化水準も高い。
昔は、遣唐使が、立ち寄っていたこともあり、
最先端の文物が最初に伝わる場所だったんです。
隣の種子島と比べて屋久島は取り残されている、
という感じだったのに、
その屋久島が世界遺産になった……
これはもう、よかったなぁ、と思いましたよ。 |
糸井 |
世界遺産を決定する人たちに、
ものすごい目があったっていうことですね。 |
川勝 |
そうです。それに
日本の自然景観は超一流なのです。
同じく世界遺産になった白神山地も、
やはり、放っておかれた土地でした。
ヨーロッパ人にとって、
ブナは、いちばん好きな樹木ですが、
日本では、建材にならないということで、
無視されていました。
戦後、ブナからパルプが
できるようになり伐採が進んだのです。
ところが、白神山地は、
ともかくものすごい奥地で、
マタギしかいないような場所ですから、
手が入らなかったんです。
そういうところだったので
ブナが伐採されずにすんで、
結局、世界遺産になったんですよ。
近代化の波から取り残された
最後進地方が、
人類の共有財産として認められたんですね。
遅れているとされるところが、
世界のトップに立った──。
日本人が、そういうことに
影響を受けないはずがないんです。
この十年の間に、
町並み条例があちこちで制定されました。
私たちが学生の頃は、高度成長ですが、
そんなものはなかった。
今は四五〇軒ほどの町に、
町をきれいにしましょう、
という条例があるんです。
おそらく、あと十年も経つと、
八〜九割の市町村が、
景観条例的なものを
導入するようになるはずです。
そうすると、生活景観が一変しますよ。 |
糸井 |
戦後、ずっとアメリカばかり見てきた
日本には思いつかないことだったから、
きっと、ヨーロッパの影響が
来てるということですよね。 |
川勝 |
それもありますね。 |
糸井 |
ヨーロッパに行くと、やっぱり、
その、この町は何色だなっていう印象があるとか、
その町ごとのムードというものを、
みんなが作っていますよね。 |
川勝 |
ええ。
ヨーロッパは、
陸続きで交流せざるをえないので、
結果的には自分たちのアイデンティティーを
強く発揮するという……
交流すれば、画一化しないんですね。
あれだけ地続きでネットワークがすすむと、
どうしても「我が町」という
個性を発揮しようとするんですね。 |
糸井 |
なるほどなぁ。川勝さんは、
学問の道には、どのように進んだのですか? |
川勝 |
もともと、
学問をするだけの力があったと思いません。
哲学者の三木清さんに感銘を受けて、
父親に「私は勉強する!」と言った時には
「アホか」とあきれられました。
「学者になれるような人間であれば、
早稲田なんかには行っとらん。
紹介状を書いてあげるから、
平凡に就職しなさい」
父も早稲田なので、
「アホさ」かげんでは、どっこいどっこい。
アホなりに、とにかく、勉強をしよう、と。
大学では、授業に出ませんでしたが、
朝から晩まで図書館で本を読んでいましたね。
生活費の中から、食事を抜いて本を買って、
一心不乱に読む毎日。 |
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(明日に、つづきます!) |