嘘に共感し、嘘に怒り、嘘に感動する。
ニュースやSNSを見ていると、
客観的な「事実」よりも、
感情に訴える「嘘」が人々を動かす
「ポスト真実」という考え方が、
より広がってきているように思います。
そもそも、なぜ人は嘘をつき、
嘘にだまされてしまうのでしょうか? 
許される嘘と許されない嘘のちがいは、
どこにあるというのでしょうか? 
世界中のセレブを魅了するマジシャンとして、
「嘘をつくこと」「人をだますこと」に
人生をかけてきた前田知洋さんに、
嘘とマジックにまつわるお話を、
たっぷりと教えていただきました。
担当は「ほぼ日」の稲崎です。

原則3
嘘には文化と科学の領域がある

──
ここまでの話を整理すると、
前田さんのなかには
「嘘の3原則」というものがあると。
前田
はい。
──
原則1は「嘘はコストがかかる」、
原則2は「人は、望んでいる嘘にだまされる」。
そして、前田さんは原則2のなかで
「人はだまされたいと思っている」
とおっしゃいました。
前田
はい。
──
でも、世の中に、
お金をだまし取られたり
嘘のニュースに惑わされたり、
そういうことを
望んでいる人はいないと思うんです。
前田
そこで大切になるのが、
嘘の原則3
「嘘には文化と科学の領域がある」
という考え方なんです。

世の中の嘘というのは、
文化と科学の領域にわけると、
すごくあつかいやすくなります。
──
嘘を文化と科学に、わける? 
前田
ものすごくかんたんにいえば、
「許される嘘」というのは、
すべて「文化の領域」のものです。
──
ちなみに「文化の領域」というのは‥‥。
前田
芸術、アート、映画など、
文化やカルチャーと呼ばれるものです。
マジックも文化に分類されます。

一方、
「ここに投資するともうかります」
といったものは、
科学の領域の話なんです。
「お金を預ける=お金が増える」
ということですから、
やっぱり科学的なんです。
──
科学的ということは、
「許されない嘘」ということですか。
前田
そのとおりです。
スポーツの世界で考えてみると、
もうすこしよくわかると思います。

たとえば、サッカーのフェイント。
相手をだますという意味では、
これも嘘になりますが、
これは「許される嘘」なので、
文化的な嘘になります。
──
はい。
前田
ところが、
試合前にドーピングをしたり、
スパイクに細工をして
すごいシュートが打てるようにする。
こういうのは「許されない嘘」です。
つまり、科学的な嘘なんです。
──
あっ、なるほど! 
ということは、試合前に
「きょうは調子が良くないなぁ」
といって相手を油断させる。
これは文化的な嘘になる。
前田
はい、「許される嘘」ですね。
まぁ、他の選手から「姑息なやつ」と、
いわれるかもしれませんが(笑)。
──
はい(笑)。

いまの話をまとめると、
嘘には文化と科学の領域があって、
文化的な嘘は「許される嘘」であり、
科学的な嘘は「許されない嘘」である。
前田
そうです。
数年前にSTAP細胞の騒動がありました。
あれは、科学の領域での嘘だったので、
あれだけ大きな騒動に
なってしまったんだと思います。
──
嘘の情報を拡散させる
「フェイクニュース」というのは、
どちらの嘘になるんでしょうか。
前田
フェイクニュースが
問題になっている理由は、
あつかっているジャンルが、
政治や経済という
科学の要素を含むものだからです。

ぼくたちが選挙を通して
政治に参加するとき、
「この政党を応援すると、
こういう政策が成立して、
こういう効果が期待できる」
ということを考えながら投票します。

これは非常に論理的で、
科学的なものだと思うんです。
──
つまり、政治が
科学的なものである以上、
そこでの嘘は
「許されない嘘」になる。
前田
ただし、ちょっとややこしいのが、
ものごとには必ず
「文化と科学の両面がある」
ということです。

ときどき政治を
科学的にではなく、
文化的にとらえる人がいます。

政策や政治思想だけじゃなく、
「あの人は見た目がいい」とか
「あの人の話し方は誠実だ」とか、
そういう判断をする人もいます。
これは、とても文化的な視点
だと思うんです。
──
人情的ともいえますね。
前田
ぼくはどっちの視点も、
正しいと思っています。

大切なことは、
自分は「文化と科学」の
どちらの視点で見ているのか、
それを自分自身が
わかっていることだと思います。
──
もし、ものごとに文化と科学の
両面があるとしたら、
「いい嘘」と「悪い嘘」というのは、
どうやって見分ければいいのでしょう。
前田
ぼくは、科学というのは、
「だれもが当てはまること」
だと思っています。
抗生物質を飲むと、
感染症がおさえられる。
だれが飲んでも
同じ効果があるという意味では、
これも科学的なことだと思います。

一方、文化というのは、
「あそこの神社で熊手を買ったら、
すごくご利益があった」という、
不確定な要素があるものです。
その熊手が
ぼくには効果があったけど、
他の人にも同じ効果があるとはいえません。
そういうものが文化的なものです。
──
はい。
前田
なので、もしぼくの友人が
「あそこの熊手を買うと必ず成功する」
とすすめてくるのは、
熊手という文化的な話に、
科学的な視点を
持ちこもうとしているわけです。

自分にとって効果あるものが、
他人にも効果があるように思わせる。
科学的に考えると
「そんなの嘘だ」となりますが、
文化的に考えると
「ちょっと欲しいかも」となります。
──
つまり、同じ話でも、
受け手によって意味がちがってくる‥‥。
前田
そうなんです。
ここが、とってもややこしい。
受け手のとらえ方ひとつで、
嘘の定義というのは、
コロコロと変わってしまうんです。

(つづきます)
2018-01-08-MON