谷川俊太郎の『家族の肖像』。
そこに「いる」少年が
いちばんの問題だと思ってる。



CD『家族の肖像』のなかには
「ぼくもういかなきゃなんない」ではじまる、
あの「さようなら」も収録されています。
昨年の「智慧の実を食べよう。」
谷川さんがいちばん最後に朗読したのが、この詩でした。

男の子がいつも見てる山をめじるしに、
ひとりで行こうとするあの詩に、
このページを担当している乗組員スガノは
聴き終わると頭がクラクラするくらいに
いつも心をつかまれてしまいます。
「智慧の実を食べよう」のイベントが終了したとき、
思い切って谷川さんに訊いてみました。
「谷川さんは、どうやって
 こんなにすてきな詩を書くんですか」

すると、谷川さんは、妖精のようにこう答えました。
「この詩はね、ちょっと特別。
 夢遊病みたいにことばが出てきた。
 書いたというより
 プレゼントされた詩って感じ‥‥」

うわー、そうなのか!
こんなかんじで、レコーディングの合間や、
谷川さんが明るいビルにおいでになったときに
少しずつ訊いた、詩についてのお話を
ここにお伝えしていきますね。


レコーディングのときのショット。
まんなかにいるのは、今回のCDで
「さようなら」を唄う村上ゆきさん。


── 谷川さんの詩を読んでは、いつも
「こんな心境をこんな言葉で言いあらわすとは!」と
愕然としています。
例えば、今回の書き下ろしの
「祖母」という詩を聴くと、
実際のおばあさんの姿を
ありありと思いうかべてしまうのですが。
あの詩は、今回のCDのために
書き下ろしたんだけど、
賢作の要望が
「廊下のひだまりで、ひなたぼっこしているような
 おばあちゃんのイメージが欲しいなあ」
ということだったので、
日本人の最大公約数的な
おばあちゃんのイメージなのかな、
それに近いものを書こうと思いました。
ま、できあがってみたら
ちょっとちがうものになったんだけどね。
── 草をなでるシーンなどは、
実際に谷川さんがああいう行動を
ごらんになったのではないかとさえ思います。
いや、あれはすべてフィクションです。

自分自身の「年寄り」に対するイメージっていうのは
昔とはずいぶん変わってきちゃってる
もんなんですよ。
詩を書くときは、いま触れることのできる
お年寄りのイメージというものや、
具体的な自分のおばあちゃん像みたいなものが
もとにはあるんでしょうけれども、
そこからイメージが展開しちゃうんですよね、
詩って。


つまり、おばあちゃんについて詩を書こうと思うと
まず最初はやっぱり、我々に共通な
型通りのおばあちゃん像が出てきちゃうんですよ。
それだと、なんかもう、
決まり文句的なおばあちゃんになっちゃうじゃない?
それを壊そうとする方向に動くことで、
新しいイメージが出てくるんです。

その段階で、なんだかぜんぜん思いがけない、
おばあちゃんが丘に登って草なでてるイメージが
出てきちゃうと、
あ、これはちょっといいんじゃないの、
と思って使う。
ぽこっと出てきたイメージでも、逆に
検討して「これはよくない」ってことになれば
使わないこともあります。
── それは、子どもからみた視点についても
同じことですか?
子どもについては、
「自分の子ども時代を思い出して」詩を書く、
っていうこともあるんですけど、
いま、自分のなかに「いる」子どもが
いちばん問題だとぼくは思ってるんです。

それを、どうやって表に引き出してくるか、
言葉にするか、っていうこと、
これが大事なんだね。

ぼくは思うんだけど、
年齢ってすごく重層的になっているわけ。
よく年輪にたとえて言うんだけど、
自分が72歳になっても、
なかに3歳の自分がいるなあってことを
ときどき感じるんです。
特に不安だったり怖かったりするときにね。


年輪のように、重層的に年齢は重なる。
だから、3歳の自分もいつもそこに「いる」。

そういうことを大人になると
ごまかして生きているわけだけど
それを、もしはっきり見つめられれば、
その子の気持ちを再現できるっていうふうに
思ってるんです。
── 年輪のようにある年齢のなかから
この3歳の子を引っ張ったり
見つめたりするんですね。
そう。
その子を引っ張り出してくる、っていうのは
大人にとっては
けっこう怖いことなんです。

でも、大人の会社員なんかが
飲み屋に行って女の人をさわったりなんかするのは、
この(年輪の3歳あたりにいる)男の子が
「お母さんが恋しい」って言ってるってことなんだと
思うんですよ。
ほら、男ってマザコンが多数派だから
大きい胸が人気があることに対して
みんな誰も何も言わないでしょ。
もしマザコンが少数派だったら
コテンパンに叩かれんじゃないの(笑)?
母系社会だからね、日本は。
それはすごくいいとこなんですけどね。

そのようにして計らずも3歳の子が
出てきている瞬間があるんですね!
そこを引っ張って言葉にしてみると
自分の年輪のなかにいる子どもの詩が
書けるかもしれません。
詩について伺った話はまだまだ続きますよ。
ランダムに更新していきますので、お見逃しなく~!

このページで販売することになっている
『家族の肖像』ほぼ日特製セットの販売は、
5月11日です。
1000セット限定販売ですので、
売り切れ次第、販売は終了となります。

ここで、
「どうも、いつも忘れがちなんだよな~」
という方に朗報です!
ほぼ日刊イトイ新聞には、「うっかり防止隊」という、
大変便利な部隊があります。
「うっかり防止隊」のページで登録しておけば、
販売が開始されると
うっかり防止部隊隊長の永田ソフトより、
お知らせメールが届きますよ。
ぜひぜひ、ご登録くださいませ。

では、今日も最後に、
「家族の肖像」投稿の例を、どうぞ。

例その3

水着の家族

海藻をめぐる母娘の争い

「ほぼ日」乗組員クサナギからの投稿です。
「これは、弟と妹と母の水着姿。
 妹の口にご注目ください。
 横からチョロッと出ている黒いものは、海藻です。

 ワカメみたいに見えますが、母の右手には、
 すでに妹から奪った海藻が握られています 。
 母はカメラに目もくれず、左手で
 『ほら! 出しなさい!』と
 妹に訴えつづけているのです」


賢作
この少年はぼくに似てます。
1人だけカメラを意識してえらいぞ。
その後妹は海藻べーっしたのでしょうか?

俊太郎
おれ一人っ子だから、妹がいるのうらやましいよ。
今年の夏は志野(賢作の妹)がNYから来るから、
海へ行こうぜ。

みなさまの家族の肖像の写真、
ご投稿をお待ちしております!
募集要項は、↓こちらで~す。

「家族の肖像」募集要項

家族の写真を投稿してください。

テーマ
ねまきの家族

お墓または仏壇の前の家族

朝ごはんの家族

水着の家族

マイカーといっしょの家族

そのほか、

自分の家族を端的にあらわす
おもしろい写真

も可。

家族を描いた絵を送ってください。

子どもが描いた家族の肖像(絵)。

ただし、小学3年生以下に限ります。

写真や絵に文章をつけたい場合は、
 200字以内でいっしょにご投稿ください。


※写真を掲載する際、写真の内容に
 一部加工を加えさせていただくことがあります。

応募先

<メールの場合>

kazoku@1101.com

ご応募いただく画像は、できれば
●解像度は72ピクセル(/inch)
●サイズは1辺が600ピクセル以内
●データの重さは500キロバイト以内
●画像形式はJPG
で、お願いいたします。
携帯電話で撮影した画像も歓迎です。
動画は受付けられません。
応募の際、
◆ハンドルネーム
を必ずお書き添えください。
また、大賞プレゼントがありますので、
こちらから連絡のとれるメールアドレスから
ご投稿くださいね。

<封書の場合>

〒108-0073
港区三田4-1-31
港三田四郵便局 留め
ほぼ日刊イトイ新聞
「家族の肖像」係

◆住所
◆氏名(本名)
◆ハンドルネーム
◆電話番号
◆返却してほしい写真や絵には
写真や絵の裏面に直接「要返却」
をかならずお書き添えください。
ご住所やご本名がないと、
ご応募いただいた写真や絵の返却が
できなくなりますので、ご注意ください。

※裏面に「要返却」とお書きになった絵や写真は、
 普通郵便で返却いたします。
 取り扱いには十分注意をしますが、
 運搬上の避けられない事故などで
 投稿いただいた写真や絵を
 傷つけたり紛失してしまったりする可能性があります。
 大切な写真や絵は、焼き増しやカラーコピーにして
 複製を送るか
 スキャンした画像をメールにてお送りいただけますよう
 お願いします。


「ねまき」「墓・仏壇」「朝ごはん」「水着」
「マイカー」「絵」の6部門でおひとりさまずつ、
大賞のミニプレゼントをお贈りします。


応募の締め切りは、5月末日までです。
みなさまからのご応募、お待ちしています!

CD『家族の肖像』は、6月2日に
レコード店などで発売されます。
内容の詳細は、
サイレント/ポリスターレコードのサイト
ごらんください。

2004-04-30-FRI

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