ほぼ日 |
まず、ざっくりと、ご自分のお父さんが
どんなお父さんなのかを
それぞれ教えていただきましょう!
るかさん、どうですか? |

るか |
えっとね、家がもともと床屋さんなんです。
おじいちゃんおばあちゃんが経営してたので、
父が継ぐはずだったんだけど、
自由奔放に生きてしまったから、
そういうわけにいかず・・・。
今は「ガゼボ」を作っています。 |
みんな |
「ガゼボ?」 |

るか |
そう、6角形のあずま屋。

ガゼボ |

さとみ |
あの、高級リゾートとかによくある、あれ? |

るか |
そうそう(笑)。それを手作りで作ってて。
東京で買うと100万、200万とかするのが、
「パパが作っているのは9万円だから
みんながどんどん買ってくんだよ」
って。 |

賢作 |
あ、売ってるんだ。 |

るか
|
そうなんです。
山梨のホームセンターで。
昔から父は変わっていて、
前は、東急ハンズに、いろんな手作りのものを
卸してたんですけど、その後、不意にそれをやめて、
軽井沢でホテルを5年間やってました。
その後は山梨県にある八ケ岳に引っ込んだまま、
ひとりで好きなように暮らしてるんです。
最初は農業がやりたくなってそこに行ったんだけど、
農業は夏しかできないから、
冬は、「ほぼ日」でも1回売ってたんですけど、
ビーフジャーキーを、作って暮らしてたんです。 |

英 |
ガゼボにホテルに農業にジャーキー・・・。
|

るか |
でも、狂牛病でちょっと今年はヤバイぞ、
っていうときに、
遺跡発掘、井戸掘り、ペンキ塗りとか、
そういういろんなバイトを始めたみたいです。
「バイトを始めたんだよ」って、
なぜか得意そうでしたねー(笑)。 |

賢作 |
たくましいなあ!

谷川賢作さん |

るか |
今は、「ジェイマート」っていう、
山梨にあるホームセンターでバイトをしてて。
50過ぎなんですけど、時給700円で。
ユニックっていう、大っきなトラックに
クレーンが付いてる乗り物があるんですよ。
それを自分で持ってるんですけど、 |

あんだ |
持ってる!? |

るか |
そう。ホームセンターでお客さんが買った、
別荘のお庭を作るためのいろんな砂利とか木とかを、
その別荘に運んであげては、
そこの家のご主人とかに話しかけて、
「どんなお庭作るんですか?」って
結局自分で作って
あげちゃってる らしい。 |

さとみ |
ボランティアで? |

るか |
うん。 |
みんな |
はあー! |

るか |
「給料、どんどん上がってくんだよな」って喜んで。
でも、時給は相変わらず740円ぐらいらしいです。
700円だったのが、ちょっと上がったの(笑)。 |

賢作 |
わあ! |

るか |
もう、「父のやってること」って
すっごい説明しにくいから
いつも聞かれて困るんだけど、
うちの父は、そんな感じなんです、今。 |
ほぼ日 |
のっけからすごいですねえ! |

賢作 |
ぼくも父の話、始めちゃいますけど、
小学校の時に先生とか友だちの前で
父の職業を言うのがすっごく恥ずかしくて。
なんか、からかわれたんですよ、先生に。
「谷川の父親って、なんだ?なんか書いてる?
詩書いてるのか!食ってけるのかよ」って(笑)。
「詩を書くって、それ、職業なの!?」って(笑)。
だから、「著述業」なんていう言葉を
どっかから仕入れて、
父のことを「文筆業」とか「著述業」とか
言ってましたけど、
なんじゃそれ?って思ってた(笑)。
「詩人」って、なんか恥ずかしくって
言えなかったなあ。
|

るか |
「父は詩人です」
って言いたいですよー! |

賢作 |
よーく考えるとね、僕にとっての父親は、
「僕の応援団長」なんですよ(笑)。 |
みんな |
あー! |

賢作 |
そういうふうにしか言えないっていうか。
いま分析するとね、子どもの頃から、
彼は、すごく僕をのせてくれる人間でしたね。
「おまえは音楽の才能あるよ」って。
ピアノを弾いてるとね、
「こいつ、ピアノ上手いんだよ」
って周りの人たちに言ってくれてた。
でも未だにやっぱり、日本の父親っていうのは、
「こいつはまだまだで」っていう姿勢がありますよね。
「もっとちゃんとしろ、おまえは」っていうような。 |

るか |
うんうん。
|

英 |
ぼくの場合は、話がまったく
谷川さんの反対で。
その典型的な日本の父親の
「おまえはまだまだだな!」っていう育て方でした。
子どものときはぜんぜん父と接する機会がなくて。
一言で言うと、「うちの父はいない」
っていうぐらい。
母親と妹と、あとは事務所にいる女の人たちが家族、
っていうぐらい、
父とは接することがなかったんです。
今の賢作さんの話の次に、これを読んだ父に、
また「おまえはまだまだだ」って
言われるかも知れないけど(笑)。
|

さとみ |
そんなことないですよ! |

英 |
いまだにそうなんですよ。
父は、そういう「おまえはまだまだだ」
っていう気持ちが、
今でもずっと続いているような気がする。
これ、愚痴になっちゃうんですけど・・・。
どうしよう? これ!
言いながらドキドキしちゃう!
|
ほぼ日 |
大丈夫ですよ!安心してお話しくださいー。 |

賢作 |
いやあ、そういうこわいお父さんが
一般的には主流じゃないですか? |

るか |
英さんのお父さんは、
お家にいらっしゃらないのに、こわかった? |

英 |
いないけど接することがたまにあったときに、
どっちかっていうと、こわいというより
暗黙のうちに距離をおかれているような感じで。
|

あんだ |
暗黙のうちに。 |

英 |
いても、あまり接してくれない。
たぶん父はどう接していいのか、
わからないっていうところがあったんでしょうね。
息子には。
妹とは、同じテーマで話をしたとしても、
僕とはまた違うことを言うでしょうね。
長男だということもあるだろうし。
そのへんの話は僕、ぜんぜんしたことがないから、
本当はどう思ってるかは、わからないけど。
やっぱり僕にとって父は、
なかなか近寄りがたかったし、
どう喋っていいのかわからなかった。
あんださんのお父さんは、
褒めるほうですか?
|
ほぼ日 |
まわりには褒めちぎってますけどね(笑)。 |

あんだ |
どうでしょうね。
でも、褒めるときには褒めるし、
「それ、違う」とかも言われるし。
わたしの場合は、
小さいとき一緒に住んでなかったんですけど、
毎週末一緒に遊びに行ったりとかしてました。
なんか、友だち感覚みたいな感じで。
今日はパパが来るから、どっか行ける、
みたいな感じで。
だから、接し方が
ふつうの親子と違うんじゃないかなあ。 |

英 |
なんだか楽しそう。

横尾英さん
|

あんだ |
で、たとえば友だちとかといるときに
父から電話がくると
「あ、どうも、どうも、糸井です」とか言って
私が出るんですよ。
そうすると、「今の、だれ?」って言われて
「いや、親」って。
友だちは
「え、おかしくない?」って言いますね(笑)。
|

るか |
いや、あるある。すっごいあるよ、それ。
うちもね、父とは友だちみたいなんですけど、
彼氏が隣にいるときに
父から電話が掛かってきて、
すっごい長電話で話し込んじゃったりするんです。
男の人の声が漏れてくるから、
切った後にすっごい彼氏に怒られて。
「誰と話してたんだ!」って。
「お父さんだよ」って言うと、「うそ!?」って。
「他の男かと思った」って。 |

賢作 |
友だちみたいってことは、
怒られたこととか、ぜんぜんないの? |

るか |
ありますよ。怒るとこわいですよー!
いちばん最後に一緒に暮らしてたのは
中学生くらいだったんですけど、
夜帰ってこないってことで怒られた。
11時ぐらいまで友だちとボーリングやってたりして
帰ったときには、もう激怒。 |
みんな |
はいはい(笑)。 |

るか |
あとは、よく、男の子から電話がかかってくると、
「いませんっ」って言って切ってました。
で、その後、すっごい機嫌が悪い。 |

賢作 |
あー、父親だね、ほんっとに(笑)。
女の子だからなあ。 |

英 |
賢作さんはわかりますよね、
いま女の子の父親だから。 |

賢作 |
これからじゃないっすかね。
でも、あんまり過剰なのはやめようと。
わかんないけど(笑)。 |

さとみ |
わたしも中学3年生ぐらいのときに、
初めて彼氏みたいな人ができて、
その人が20歳だったんですね。 |
みんな |
へーっ! |

さとみ |
今聞いたら、その年齢差、変て思うじゃないですか。
それを当時はあんまり気にせずに、
電話とかしてたら、
親が、「どんな人?」って聞いてきて。
で、ふつうに正直に言ったら、
「なによ、それはーっ!」って
母にはすごく怒られたんですけど、
父は、「じゃあ、1回そいつに会わせなさい」って。
で、うちの近所の喫茶店で会ったらしく(笑)。 |

英 |
2人で会ったの? |

さとみ |
そう。わたしの知らないうちに
2人で会ってて。
で、「今あいつに会ってきたぞ」って帰ってきて。
「え?どうなった?」って聞いたら、
「さとみが18になるまで待ってくれ、
って頼んできた」って(笑)。
「いい奴だったけどな。」って。
勝手に恋の行方を決められて。
そういう過剰さがありましたね。 |

賢作 |
いやあ、心配なんだよね~。
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<あさってに、つづきます!>
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