怪・その38
「尾根を歩く人」
もう30年も前のことなのですが、
大学4年生だったは私は
南アルプスの南部の方を
一週間ほどかけて一人で縦走していました。
夏のさかりとはいえ
そこを歩いている人はあまりいませんでした。
会うのは1日に数組というところです。
人がたくさん入っている
北アルプスに比べると、
とても寂しいところです。
霧がたちこめたある夕方、
わたしは、道に迷いました。
幅広い尾根は石灰岩でできており、
風化した踏み跡が風に飛ばされて
どこが道だかわからないのです。
そんなことはめったにないことなので、
焦りました。
目をこらして
あちらこちらを見ていると、
霧のむこうに
人が歩いているのが見えました。
すぐに、ザックを背負って追いかけました。
その人は、群青色のカッパでした。
ずいぶん旧式のカッパを着ているなあ、
と思いました。
その頃私は、自分の足には自信がありました。
抜かれることは滅多になく、
駆けるように山を歩くことに
誇りをもっていました。
しかし、
まるで追いつけません。
かといって、離されるわけでもないのです。
1時間ほどあるいたところで
サイト地(水場のあるキャンプサイト)に
つきました。
それで私はその人にお礼を言おうと思い、
そのサイト地をさがしてみたのですが、
それらしき人がいないのです。
つぎのサイト地はまた数時間かかるので
そんなはずはない、と思いました。
翌朝、そのサイト地を出て
しばらく歩くと
遭難碑がありました。
日付は20年ほど前の、
ちょうど昨日の日付でした。
私はこの人がきっと
ここへ導いてくれたのだと思い、
手を合わせて
お礼をいいました。
(M)
2010-09-01-WED