BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。


永久グルメの「酸いも甘いも食べ分けて」
(全5回)

第1回 舌戦スタート!

第2回 箸と私の愛情カンケイ

第3回
そばを迎え撃て

糸井 実はさっき里見さんがおっしゃった
「長い」ということに、
僕はまだ引きずられてるんですよ。
あまりにインパクトがあったもので。
お宅でも、食卓には長いものばかり並ぶんですか。
里見 うちにいる限り、主食は麺です。
つけ合わせの野菜が
カンピョウやアスパラ、ソウメン・カボチャ、
漬け物が名古屋の守口大根とくれば言うことなし。
糸井 長いものって、吸い込む必要があるでしょう。
とくに日本の食い方だと。
あれで捕食行動をアクティブにするって感じ、
ありますね。
内臓的には肺まで動かすわけだし、
捕食の力強さを自分の中に呼び起こすというか。
里見 命の雄叫びというか。(笑)
山口 舌ではなくて喉の楽しみ。
嚥下する楽しみですね。
里見 ヨーロッパの人に言わせると、
日本人がそばをすする姿は、
吸ってんだか吐いてるんだかわからないって。
彼らはなんで音をたててすすらないんですかね。
糸井 ズルズルはソーシャルじゃないと。
山口 スパゲッティなんか、せっかく長いものを
わざわざフォークで巻き取っちゃうんだから、
連中はバカじゃないですか(笑)。
逆に日本人は、そばの端のほうを
つまんで口に入れて、できるだけ長くして食う。
糸井 バッターが、速い球のピッチャーに会いたいっ、
思いきりスイングしたいというような、
武者な感じがしますねぇ。
山口 六尺のそばを一気にすする極意。
里見 何だか、宮本武蔵の
『五輪書』でも読んでる気分になってきたぞ。(笑)
山口 そばがきがうまくないのは、長くないからですね。 
そばと同じなのに。
糸井 だから食い物は、味というよりは
食感にかなりひかれるのかもしれない。
里見 そう、食感ですね。
山口 中国なんか、味だけでなく
食感にもいろいろな字を当てるでしょう。
たとえば英語で言うクリスピーな食感に、
中国人は「脆い」という字を当てる。
ローストした薄い子豚の皮が、
口の中でホロホロと脆く崩れる感じね。
糸井 その「脆」の一字を見ただけで、
僕は豚の皮への憧れが生まれますよ。
里見 「脆」という語をうまさの一つの共通語に仕立てるのには、
中国何千年の歴史があった……。
日本には味の差異を表わす形容詞が
極端に少ないですね。
糸井 結局、「おいしい」になるんですよ。
ただ僕は、「脆」の表現にひかれる部分もあるけど、
「おいしい」の強弱とかニュアンスで
伝わるものもあると思う。
「おいしい」が詩だとすれば、
曲をつけることで成り立つ表現。
それは信じられる気がするな。
それを、「まったりとして、それでいて……」
とやられると、なんか別のものになっちゃう。
里見 だいたい「まったり」って何ですか。
テレビの食い物番組見ていても、
「まったり」ばかりで、
それ聞くと逆に食いたくなくなる。
せめて、他人が使った表現を
絶対に真似しないという雄々しさがほしい。
糸井 「よかった」という感想でもまったくかまわないわけで、
それを素直に提示できなくなっているのは、
自分の社会的価値を守るためだけじゃないですか。
里見 うちの庭に来るヒヨドリが、
餌カゴのオレンジをついばんだり、
水を飲んだりする姿が実においしそうなのね。
それ見てて、結局、うまいまずいは
その表情にあるのではないかと思いました。
山口 "グルメ"という考え方は、まったくその逆なんですね。
言葉で伝達可能な感覚だけで成り立たせた世界なんです。
金さえ出せば、
誰でもまったりしたフォアグラが食べられて、
まったり感を味わえる世界……。

第4回 夜の孤独が酢を求める

第5回 勝負する家庭料理

2000-05-08-MON

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