第5回
笑いにお作法なし! |
糸井 |
昔の話をすると、僕が小さい頃、
柳家金語楼という
ものすごい人気の落語家がいました。
「柳家金語楼でございます」の
出の一言を言った時には、
もう客が笑ってる。
本人、「まだ何も言ってない」
なんて言ってますが。 |
昇太 |
伝説の人です。
僕の所属する落語芸術協会を作った人で、
われわれは柳家金語楼と春風亭柳橋だけは、
「師匠」ではなく
「先生」と呼ぶくらい特別な存在。
金語楼先生の会があると、
お客さんは途中で
ロビーに出てきてしまったそう。
笑い過ぎて苦しくて
「もうたまらん」と。 |
糸井 |
娯楽に飢えていた時代というのも
あったでしょうけどね。
爆発力という点で言えば、
そのあとは林家三平です。 |
昇太 |
三平師匠が出てきた頃、
一方ですごい古典ブームがあって、
三平のは落語じゃないと言い出す人も出てきた。
僕らに言わせれば、
まさにあれが落語だと思うんですが……。
多分、
どなたかが落語の地位を
上げようとしたんでしょう。
それはそれで成功したんですが、
落語を高尚なものにするために
いろんな付加価値をつけて教科書も作って、
「これが落語ですよ」と言い切っちゃった。
それで、
後世の落語家たちも
その教科書から離れられなくなって、
窮屈な状態で
落語をやらなきゃいけなくなったの
かもしれない。
落語が
一部のファンのものになってしまったのも、
そのせいだと思います。
そんな時代が長く続いたので、
今も落語というと
堅苦しそうなイメージがあるんじゃないかな。 |
糸井 |
笑うのに肩凝るようじゃ、困るもんねえ。
落語はハードルが高いって、
みんな言い過ぎですね。
『へっつい幽霊』の
「へっつい」がわからない、とか。 |
橘 |
たしかに古典の噺には、
初めて耳にするような言葉も
時々出てきますけど、
前後の話の流れを聞いていたら、
そんなにわからないものじゃないし。 |
昇太 |
さっきも言いましたけど、
これが落語ですというものは本当はないんです。
その噺家がどう演じ、
どう面白くするかが重要なだけで。
落語を聞くには
どうしたらいいかと聞かれると、
僕は
「落語ファンの話を聞いてこないでくれ」と
言いますね。
あと、
「死んだ噺家さんの
名前ばかり出す人の話も聞かないでほしい」と。
落語は目の前の、
まさに今生きている人たちに向かって喋る芸。
だから事前の勉強もいらないし、
普通の状態で来てもらえるのが一番ありがたい。 |
糸井 |
僕なんか、あやうく、
昔の人だけってことになるところでした。 |
橘 |
今、糸井さんがよく聞くのは? |
糸井 |
ここのところ
CDで集中的に聞いているのは
志の輔さんですね。
「なんでこんなに上手いんだろう」と、
そこのところが
僕にとって謎に満ちている人で、
つい聞いてしまう。
再現する力がすごい。 |
橘 |
志の輔師匠は、
噺の描き方が非常に丁寧ですよね。 |
昇太 |
あの人はサラリーマンも経験したし、
お芝居なんかもやっていたので、
落語をわりと冷静に見ていて、
初めて聞いた人でもわかるようにというか、
落語をこの人たちに
どう聞かせるかを絶えず意識して喋るんです。
古典落語も組み直して、
聞きやすく、わかりやすくする。 |
橘 |
この間、すごいなあと思ったのは、
志の輔師匠の『抜け雀』。
最後に
親を駕篭かきにしてしまう
というサゲがあるんですが、
「駕篭かき」と今の人に言ってもわからない。
だけど、
最初、主人公が出てくる場面に
駕篭かきを登場させて、
そのイメージをすっと
ストーリーの中に
あらかじめ入れておくんですよ。
だから、
最後のサゲが若い人にもわかる。
これは他の人はやってない。 |
糸井 |
噺のジャンルで言えば、
僕はふざけた噺が好きですね。
アニメにもなった、
頭の上に桜の木が生えたり池ができたりする
『あたま山』とか、
自分が死んでいるのを発見する
『粗忽長屋』。
昇太さんはそっち系が多い。 |
昇太 |
基本的にはばかばかしい噺が好きですね。
人情噺については、
僕は落語家の年金みたいに思っています。
歳をとると、喋るペースも落ちる。
その分、
人生経験を積んで魅力も増してくるだろう。
そういうふうに、
笑わせるよりも
語るほうが得意になってきた頃に
やるものだと。 |
橘 |
僕は古典にも好きなものはいっぱいありますが、
同世代の人の作る新作が好きです。
さっき出た昇太さんの
『花粉症の寿司屋』や『力士の春』。
志の輔師匠だと、
『メルシー雛祭り』なんか、
笑わせて最後にグッとこさせる
見事な噺です。
嫌いなのは、これ、
噺家さんのタイプになりますが、
「200パーセントの力出して
頑張ってまーす」というのが見える人。
見てて辛くなる。
上手ぶって
「僕の芸、どう?」と匂わせるのも
鼻につくなあ。 |
糸井 |
それと反対なのが鶴瓶さんですよ。
自分の落語は、
噺よりマクラのほうが面白いってこと、
ご本人が自覚してる。 |
橘 |
このあいだも鶴瓶師匠、
「志の輔さんのCD買って、
ずーっと聞いてたよ。
勉強してるんだ」って。
あれほどの人なのに陰では努力してる。 |
糸井 |
あんなに好感の持てる人もいない。 |
橘 |
昇太さんは、
お客さんが端から端まで沸いているのに、
本人はものすごくクールでね。
お客も自分も
全部コントロールしているんですよ。
それで、
ニヤニヤ、半笑いしてますからね。 |
昇太 |
時々ね、
お客さんの呼吸が全部わかって、
指揮者みたいな気持ちになる時があるんですよ。 |
橘 |
袖で見ていて、
「うわ、この人、悪魔のようだ」
と思いますよ(笑)。
いずれにしても、
噺家さん本人が魅力的でないと、
聞きたいとは思わないですね。 |
昇太 |
落語って、演じているわけじゃないですか。
だけど芝居と違って、
その役になりきってるわけじゃない。
次の瞬間は
また別の人にならないといけないから、
自分がどこかに残っていないとね。
何パーセント自分が残っているかは、
その落語家の裁量ですが、
僕なんかほぼ一人称に近くて、
どんな人物が登場しても全員僕なんです。
反対に
自分があまり出てこない人もいて、
語りが上手いと
パッとハマって面白いんですが、
自分が出ていなくて
しかも喋りも下手だと、
辛いですね。 |
糸井 |
こういう新作書きたい、というのはありますか。 |
昇太 |
最終目標にしているのは
古典の『権助魚』なんですよ。 |
糸井 |
ああ、
権助が旦那の浮気のアリバイづくりを
頼まれるけど、マヌケなことをして、
結局、
本妻さんにバレるという。 |
昇太 |
こんなネタ書けたらもういいよっていうくらい、
落語として素晴らしいです。
落語の噺をお芝居にすることもありますが、
『権助魚』は落語でしか表現できない。
時間を笑いにする罠とか、
いろいろなものが噺の中に仕掛けられていて、
それが最後に
全部パーッと出てくるところは見事です。 |
糸井 |
今、落語家さんは何人くらい? |
昇太 |
東西合わせて500人くらいかな。 |
橘 |
数でいえば
今までの落語の歴史の中で一番多いですね。
中にはイェール大学出身という人がいて、
その彼は一流商社を辞めて
志の輔師匠に弟子入りしたんです。
初高座でも、まったくアガらなくてねぇ。
見てるほうがムカつくくらい落ち着いている。
それでみんな、裏で言ってましたよ、
「あいつがアガらないのは、
会場の中の誰より自分が一番、
高学歴だと思ってるからだ」って。(笑) |
糸井 |
お弟子さんというと、
昔は師匠の家に住み込みでしたよね。 |
昇太 |
僕は通いでした。
入門した時、師匠の家にまだ娘さんがいたんで、
住み込ませたら大変なことになる。
「芸どころか
家ごと持っていかれそうだ」と……。 |
糸井 |
昇太さん、
その話、もうすっかりネタにしてるでしょう。
急に生き生きして、
面白すぎたもの、いま。(笑) |
|
(おわり) |