BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。


お金持ちの境地
(全4回)


“ケチときどき見栄っ張り”は誰?
貯まらない人、貯めたくない人、使わない人、
三者三様の収支を拝見!

構成:福永妙子
写真:大河内禎
(婦人公論2000年3月22日号から転載)


邱永漢
作家・経済評論家・
経営コンサルタント。
1924年台湾・
台南市生まれ。
東京大学経済学部卒業、
55年、小説『香港』で
直木賞受賞。
実業の才で
ビル経営などの
多角経営を手がけ、
マネー関係書も多い。
92年、香港に居を移す。
著書に
『中国人と日本人』
『銀行と
  つきあわない法』など

中村うさぎ
作家。
1958年福岡県生まれ。
同志社大学英文科卒業、
『極道くん漫遊記』で
デビュー。
ジュニア向け
ファンタジー小説の他に、
エッセイにも取り組む。
『週刊文春』で
連載中の
「ショッピングの女王」では
豪快な消費ぶりを綴り、
人気。
著書に
『だって、
  欲しいんだもん!』
『家族狂』など
糸井重里
コピーライター。
1948年、群馬県生まれ。
「おいしい生活」など
時代を牽引したコピーは
衆人の知るところ。
テレビや雑誌、
小説やゲームソフトなど、
その表現の場は
多岐にわたる。
当座談会の司会を担当。


婦人公論井戸端会議担当編集者
打田いづみさんのコメント

もう、ありがたいの、ありがたくないのって。
『ほぼ日』でもお馴染みの邱永漢さんと、
ショッピングの女王・中村うさぎさんをお迎えしての、
「お金とのつき合い方」の巻。

「スケールの大きいお話に、清々しい気持ちになりました」
とか、
「まさに金言の数々、心にとめました」
とは、
『婦人公論』掲載後に、読者の皆様から届いた声です。

そうそう、文中に「お金の神様のお財布」目撃の瞬間あり。
はたして、ヘビ皮か? 黄色か?
邱さんのお手元に場の視線が集中したことでありました。

第1回
モノに変えて味わう快感
糸井 僕は年に一度、税金の申告のときに
税理士さんから5分ほど話を聞くくらいで、
これまでお金については考えてこなかったんです。
避けてきたのは、もしかしたら僕は
お金が好きすぎたんじゃないか(笑)。
近づくと際限がなくなる恐怖があって、
触れなかったのかもしれない。
それと、お金の話はするものじゃないという教育が
体に染み込んでたせいもあるでしょうね。
でもお金って毎日使ってるものだし、必要なものだし、
扱い方にはその人の生き方も反映しますよね。
そこでお金儲けの神様と言われる邱さんと、
借金してでもモノを買いまくる無駄遣い女王の
中村さんという、なんだかすごいキャスティングで
お金との付き合い方みたいなことを
話してみたいと思いまして。
今、お金儲けの神様と言われましたけど、
しあわせを望むなら、
ゆめゆめ金に執着するな──というのが私の持論でね。
実は、お金があってもなくても同じなんですよ。
糸井 それ、僕なんかが言うと違って聞こえるんだろうなぁ。
そのあたりの意味はおいおいお聞きするとして、
邱さんは実業家であると同時に作家でもあります。
作家でずーっとお金について語っている人って、
他にいないですよね。
みんなセックスの話ばかりだからね(笑)。
でも私はセックスについての修行も足りないし、
格別ユニークな考え方もないし、
そこで競争したんじゃ渡辺淳一さんにはかなわない(笑)。
でも、経済のことなら専門ですからね。
そういえば、僕がはじめてお金のことを書いたのは
『婦人公論』なんです。
糸井 そうなんですか。
昭和34、35年頃、『金銭読本』といって、
1年間連載したあと単行本にしたら、
それまで僕が書いた小説なんて
初版だけで終わっていたのに、
その本はすぐ再版になってね。
びっくりしましたよ。
それ以来、40何年、自分では
今でも文章のデパートをやってるつもりだけど、
なぜか、お金についてのものだけが売れる。(笑)
糸井 中村さんは、浪費家エッセイストという
肩書もあるくらいですが、
ふだん、お金については考えることは……。
中村 しょっちゅうですよ。
月末にクレジットカードの請求書が送られてきたり、
出版社に前借りの電話をするときは、
頭の中がお金のことでいっぱいになります。
糸井 ガスや水道といった公共料金も払わないのに、
ブランド品につぎ込んで、
月に450万円くらい請求がきたときもあったとか。
中村 ええ、そういうときはお金のことを考えるんですけど、
ただ、財テクとか貯めることには
まったく興味がないんです。
私にとってのお金って、
もちろん使っても使っても
預金通帳に残高がたっぷり残っているくらいのお金が
あるといいなと夢想はするんですけど、
それ自体は数字にすぎないような感覚なんです。
預金通帳の金額が増えても、
それはやっぱり数字であって。
さすがにそれが札束となって目の前に積まれると、
ひれ伏したくなるとは思いますが。(笑)
糸井 現ナマは強いんですね。
中村 でも原稿料にしろ印税にしろ銀行振込でしょう。
たとえば500万円振り込まれて、
通帳に一瞬、500万という数字が記録されても、
次の日にはアメックスの支払いで
490万円が引き落とされてるわけです(笑)。
あっという間に預金通帳の数字は10万円とかね。
500万円の実感なんてなくて、
「ただ私の上を通り過ぎていった数字」
というイメージしかない。
でも、エルメスのバッグであるとか、
ダイヤの指輪であるとか、モノにかわってはじめて、
「ああ、これは私が稼いだお金で買ったのね」と、
努力の結晶として、喜びを感じられるんです。
糸井 じゃあ、振込ではなく、現物支給じゃダメですか?
原稿料として、エルメスのバッグが支給されるの。
中村 それはいかんです!
糸井 いかんですか(笑)。
中村 この私が店に行って、
「これ、いただくわ」と何10万の買い物をする。
そこが重要で、店員さんとか、
その場にいたお客さんとか
──まぁ彼女たちは別に
私のことなんか見てないんですけど──
すべて私にとって観客なわけです。
糸井 ショーなんですね。
中村 そうなんですよ。
「高額な買い物をして、
 カードを切っている太っ腹なこの私を見てぇ!」状態。
その陶酔感がまず強烈にあってですね、
次にそのモノを手にする快感がある。
だから出版社に、
「エルメスのバッグで原稿料を払わせてもらいます」
と言われても、自分で「買う」という行為がないと
ダメなんです。
糸井 お金に対し、気前がいいのかケチなのか、
自己判断ではどうですか。
中村 私は見えっ張りでして、
“気前のいいふりをしたがるケチ”だと思います(笑)。
本当に気前のいい人は、使ったお金に対し
クヨクヨしないでしょ。
いやぁ、楽しかったからいいじゃないかと。
ところが私は、
「もうっ、中村さんって気前がいいんだから」
みたいに思われたい一心で、
オネーチャンがそばに座るような
六本木のクラブに人を連れて行って、
「ここは私が」なんて言っちゃうわけです。
編集者の方なんかが
「いや、こっちで払いますよ」と言っても、
「カードを出すのはこの私!」
みたいなことをしてですね、そのくせ家に帰ってから、
なんで払ってもらわなかったのか、
あんな店、ぜんぜん面白くなかったのに20万円だなんて、
それだけあったらアレ買えたのにとクヨクヨ……。
糸井 いや、かつての僕と同じだなぁ。
小さい頃から、そうだったんですか?
中村 私、中・高校と横浜にある
ミッション系の私立女子校に行ってたんです。
同級生には小金持ちの娘が多くて、
ブランドもののバッグや財布を
学校に持ってくるんですよ。
私もこのように見えっ張りで負けず嫌いですから、
欲しくて欲しくてしょうがない。
でも、うちはサラリーマン家庭なんで、
そのバッグの値段を聞いた時点で
親は倒れそうになってしまって。
「そんなもん、高校生が持つもんじゃない」と、
至極まっとうな意見によって買ってもらえませんでした。
お小遣いも友だちにくらべて少なかったんですね。
友だちは高校生の分際で、
高そうなレストランなんかに平気で入るわけです。
私は「やめとく」とも言えず、
「ホホホ」なんて言いながら一緒に入って、
メニュー見てガーン。
結局、友だちにお金を貸してもらってね。
「私が奢るわ」って言いたい気持ちは、その頃から……。
糸井 内にたまっていた。
中村 トラウマになったんでしょうね。

第2回 お金は使って完成品になる

第3回 子供に財産は残すな

第4回 お金は寂しがり屋

2001-02-24-SAT

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