第2回
この楽しみを知らないなんて |
糸井 |
落語との出会いを言うと、僕の場合は、
テレビのない時代の子どもですから、
単純にラジオです。
家では、つけっ放しのラジオから、
浪曲、落語、ラジオドラマなんかが
絶えず流れていました。
今の季節なら、雷が鳴って、
「蚊帳の端っこをパタパタさせないの!」
とか言われながら
蚊帳に入ってスイカ食べてると、
ラジオから落語が流れてくる。 |
昇太 |
ああ、最高ですね。 |
糸井 |
いいでしょ。
で、好きだったのは三遊亭金馬。
安心して笑えるんですよ。
ちょっとしゃれた感じがしたのが
三遊亭圓生さんね。 |
橘 |
それ、昭和30年代ですか? |
糸井 |
そう。
長嶋茂雄のプロ野球デビューと、
金馬を好きと言ってたのは同じ時代。
でも、今思うと
クラスで落語の話をしたことはなかったなあ。
ラジオの落語ブームは
終わりかけていたのかもしれないですね。
テレビが始まっていたし。 |
昇太 |
僕は
ラジオの落語ブームが終わってからの人間で、
土曜日、ダッシュで学校から帰って見る番組は
吉本新喜劇。
僕にとって落語は、
おじいさんが黒い着物を着て
ぼそぼそ喋る陰気くさい芸、
というイメージしかなくて、
まったく興味もなかった。
それが、
たまたま大学で落語研究部に入っちゃって。 |
糸井 |
ちょっと!
興味なかったのに、
その「たまたま」って……。 |
昇太 |
ラテン・アメリカ研究部に
入ろうとしたんですよ。
ところが部室に行くと、誰もいない。
隣の部室のドアが開いて、
「みんな、ごはん食べに行ってるから、
帰ってくるまでうちで遊んでいったら?」
と言われて、それが落語研究部。 |
糸井 |
「ラ」で並んでたのね。 |
昇太 |
部室に入ると、
三味線や太鼓は置いてあるわ、
畳は敷いてあるわ。 |
糸井 |
ラテンのムードだった。(笑) |
昇太 |
はい。
先輩たちは呑気なことばっかり言ってるし、
ここのクラブも相当にラテンだな、
4年間楽しく過ごすには
いいかもしれないって。
入部して、
先輩に連れられて
初めて落語を聞きに行ったのが
二ツ目時代の小朝師匠で、
『愛宕山』という躍動感ある噺でした。
落語家は年寄りだと思っていたのが、
若い人が出てきて、
しかもすごく面白いでしょ。
もうびっくりしちゃって、
帰りの電車の中で、怖くなりましたよ。
もし落語研究部に入らなかったら、
生涯、落語というものを知らずに
死んだんだなと思って。 |
糸井 |
そこまで考えた?
当時の小朝さんって、
大評判の時期ですよね。 |
昇太 |
もう客席の隅から隅まで
ファンにしていました。
僕と落語との
ファースト・コンタクトが
ノリにノッてる時の小朝師匠だった
というのもよかったんでしょう。
これが違う人の高座だったら、
あんな気持ちにならなかったかもしれない。 |
橘 |
僕もきっかけは小朝師匠ですよ。
死んだ親父が演芸好きで、
子どもの頃、
日曜日になるとテレビの演芸番組が
必ずついていましたが、ある時、
“横町の若様”というキャッチフレーズで
小朝師匠が登場した。
何だ、この人はと思って見ているうちに、
ひき込まれてしまって……。
|
糸井 |
お二人の世代は
どうも小朝さんがキーパーソンみたいですね。
その後、昇太さんは落語を職業に選ぶわけで。 |
昇太 |
とりあえず笑いの仕事に就きたかった。
で、コントか落語かと考えたんですが、
ある時、お年寄りで
コントをやっている人がいないことに
気づきまして、これは大変なことだと。
つまり若い時の芸だと思ったんですね。
それでふと落語を見たら、
こっちにはお年寄りがウジャウジャ(笑)。
あ、一生やれる仕事だなと考えたんです。 |
糸井 |
結構、先回りするタイプですね。 |
昇太 |
こずるいんで(笑)。
まだ学生だったその頃、
『ザ・テレビ演芸』という
お笑いの勝ち抜き番組に出たことがあります。
落研の仲間とマンダラーズと称して、
漫才とコントの間みたいなことを
やったんですが、
審査員の一人が糸井さんでした。 |
糸井 |
覚えてますよぉ。
なにしろ初代のグランドチャンピオン。
下手とかうまいを越えて、
メッチャクチャおかしいの。 |
昇太 |
部員が二人しかいない
プロレス研究会の話とか――
ケガするといけないから、
自分を叩くと相手が痛い、
そんなふうに練習するんです。
自分の体にチョップを入れる、
相手が痛がる、自分の目を突く、
向うがウッとなって……。 |
糸井 |
あれ、傑作だよね。
その時の昇太さんが結局、
着物を着たラテン人になったってことで、
流れとしては最高だなぁ。
一方の橘さんは写真家として、
やがて落語の世界を被写体にするようになった。 |
橘 |
撮り始めたのは10年ほど前からですね。
当時、才能ないし仕事もないし、
もう写真をやめようと決意して、
最後くらいは好きなものを撮ろうと思ったのが、
寄席や演芸場。
それも楽屋を撮りたかった。
でも素人は入れませんから、
鈴本演芸場に頼んだら
落語協会の理事会にかけるとか
大ごとになっちゃって、
何ヵ月も返事がないんですよ。
で、
ずいぶん待ってから協会に電話して
「あの件、どうなりました?」って聞いたら、
「あ、ゴメン、忘れてた。いいよ」って。 |
糸井 |
えっ?
即「いいよ」なんですか。 |
昇太 |
なんかメキシコみたいな感じで、
いい話だな、それは。(笑) |
橘 |
それで楽屋に出入りするようになって、
毎日通って、
いるのが当たり前のような状況になってから、
だんだん撮らせてもらえるようになりました。
写真集を出してこれで終わりと
思ってたんですが、今度は面白くなって、
結局、やめられなくなっちゃった。 |
|
(つづく) |