第1回 レッツ・ダンス! |
糸井 |
これまで僕はいろいろなことに興味を持ってきましたけど、
縁が遠いままになっているのが「踊り」でしてね。
踊りそのものは好きなんです。
なのに自分では体が動いてくれないというか、
踊りと無縁に人生がある気がするんです。
僕は団塊の世代の人間ですが、
仲間に歌う人や絵を描く人はいても、
踊る人はいない。この世代はダンスとか、
リズムにあわせて動くということが、
どうも欠けてるんですね。
でも、今の若い人を見ていると、
踊る人がすごく多いでしょう? |
SAM |
ええ、多いですね。 |
糸井 |
僕はたまたまSAMさんが講師をやってらした
NHKの番組(「熱中ホビー百科『ソウルフル!
ストリートダンス』」)を見ましてね。
NHKでそういう番組をやること自体、僕からすれば、
「変わったなぁ」と思えるんです。 |
SAM |
捉え方としては、六〇年代とか七〇年代に日本に
ロックがだんだん入ってきて、
グループ・サウンズがはやり、ヘビーメタルがはやり、
バンドブームが起こったみたいな流れがありますね。
僕らがやってるダンスが八〇年代に日本に入ってきて、
今、若者がみんな踊っているというのは、
ちょうど第一次ロック・ブーム、バンド・ブームの時代が
あったのと似ているという気がするんです。 |
糸井 |
かつてエレキギターをみんなが手に入れたように、
ダンスを手に入れている?
そういえば、高校生なんかで気の合うやつが四、五人
集まると、ユニット組んで踊りの練習してというのは、
昔のバンド合戦の時代と同じだ。
SAMさんや今の若い人たちが踊っているダンスは、
ジャンルでいうと、どういう……。 |
SAM |
ストリートダンスとかブレイクダンスとか、
いろいろな言い方がありますが、そういうのを総称して
僕らは「ストリート系」と呼んでいます。 |
糸井 |
年配の方でも、社交ダンスや小松原さんの分野である
フラメンコを、どんどん習ったりしていますね。 |
小松原 |
健康ブームもあるでしょうね。 |
糸井 |
痩せたいという動機の人もいる。 |
小松原 |
姿勢がよくなるとか。フラメンコだと、派手な水玉とか
フリフリの衣装を着てみたいという願望の人もいます。 |
糸井 |
いずれにしても、踊りに興味を持ち始めてる人は
確実に増えていますね。 |
小松原 |
ダンスって、やっぱりよく踊れたときは気持ちがいいし、
踊る阿呆に見る阿呆、踊らにゃそんそん、というところ、
ありますね。高円寺の阿波踊りに私たちも
連をつくって出たんですけど、年々、踊る人が増えていて、
みんなで「えらいこっちゃ」とやってる。
人間はもともと踊るのが好きなんじゃないですか。
本能的なものでしょう? 踊りは。 |
糸井 |
踊らない時代があったのが、ここにきて行き当たって、今、
踊る時代の方向にカーブしてるところかもしれない。 |
SAM |
ある意味で、欧米の環境に
日本が近づいてきてるような気がします。
踊ることが、もっと身近なものに
なってきているという……。 |
糸井 |
自分で踊ると目も肥えてくるし、
そうなると全体のレベルも上がってきますね。
ずっと昔、沢田研二さんがコンサートで、
冗談としてこう言っていました。
「僕は踊りながら歌うって言われてるけど、
ほら、上半身しか動いてないでしょ。
トシちゃん(田原俊彦)なんかは体全部が動いているから、
あっちは踊りだけど、僕のは手踊りなんですよ」って。
たしかにそうなんですよ。
「ト〜キオ〜♪」ってやってるときも、手だけ動いていて、
ステップはないんです。でも今の歌手の人たちは、
歌いながら下半身も動いているし、位置も移動してる。
それだけ見ても、総体が底上げされてるのがわかります。 |
SAM |
踊りながら歌うのが、もう普通になってきてますから。 |
糸井 |
お二人がダンスを始められたきっかけは? |
小松原 |
うちは父も母も三味線ひいて、祖母は鼓を打って
日本舞踊のお師匠さん、というような芸人の
家庭でしたから、私も子供のときから、一般の家庭の人、
「素人」さんになるというのは想像もつかなくて……。
小さい頃は日本舞踊、そのあとはずっと
クラシックバレエをやっていました。
それから俳優座に入って、お芝居にものめり込んで。
で、私、すごい早熟で十七歳くらいで同棲して、
十九歳で結婚したんですよ。 |
糸井 |
はぁ、すごいですね。 |
小松原 |
相手は絵かきで、結婚したあと、彼はフランスに
留学しましてね。それで日本に帰ってくるとき、
スペインでフラメンコのレコードを買ってきたんです。
それを聴いて、私、ショックを受けました。
それまでよく聴いていたジャズのリズムとはぜんぜん違う。
手拍子の音が聴こえ、カスタネットの音が聴こえ、
日本の音楽でもない、西洋の音楽でもないような歌声が
聴こえてきて、こういうものもあるんだ
と思っていたところに、スペインの舞踊団の公演を観て
大感動。どうしても習いたいと思ったんです。 |
糸井 |
向こうから、つかまえに来たという感じですか。 |
小松原 |
結果としてはそうです。それで二十九歳のとき、
フラメンコを勉強しようと、世界一周のチケットを
買って、いろいろな国をまわりながらスペインに着いたら、
はじめての土地なのに、自分の家に帰ったみたいな
気分だったの。それでずっと居着いて
フラメンコの修業して、迎えにきた夫も追い返しちゃった。 |
糸井 |
あらあら。(笑) |
小松原 |
踊りやるからって、離婚して。 |
糸井 |
ドラマチックで、なんかフラメンコ的な話ですね。
SAMさんの場合は? |
SAM |
はじめてダンスの面白さを知ったのは十五歳のときです。
学生時代、ディスコに行き始めてからで、映画の
『サタデー・ナイト・フィーバー』が
すごい人気だった頃ですね。
当時、アメリカの『ソウル・トレイン』という番組も
毎週欠かさず見ていました。ディスコで一つずつ
新しいステップを覚え、アメリカから入ってくる
新しい踊りをテレビを見ながら勉強して、という毎日で。 |
糸井 |
ディスコ・ダンスに出会って、「これだ!」と思ったんだ。 |
SAM |
思い出してみると、クラシックバレエの公演とか、
その頃、『サウンドイン・S』っていう音楽番組があって、
そこでジャズダンスの人が踊っているのを見るのも
すごく好きだったんですよ。ディスコダンス、
ブレイクダンスに限らず、自分は踊ることや
ダンスそのものが好きなんだという結論めいたものが、
すでにどこかにありましたね。
(つづく) |