BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。

インターネットだから、ニューメディアだからと肩肘張って、
マスメディアの良いところを無視するのは おバカさん♪♪
おいしい情報は、骨までおいしくいただきましょう。
ぼくが月に一度たのしんでいる「井戸端会議」の再録です。

提供は、雑誌・婦人公論。
(このところ好調で、大入り袋もらっちゃった)
いわゆる婦人雑誌ではありますが、
男が読んでもおもしろいのは保証します。


時代はダンスを求めている
(全3回)


本能? 健康のため? 趣味? 
かつてのロック・ブームに取って替わった
ダンス・ブームの理由---
世紀末踊らないあなたはソンをする!?


構成:福永妙子
写真:中央公論新社提供
(婦人公論1998-99年12月22,1月7日合併特大号から転載)


SAM 
ダンサー・振付師。
1962年埼玉県生まれ。
19歳のとき「全日本
フラッシュダンス・
コンテスト」に優勝。
その後ニューヨークへ
ダンス留学する。
帰国後ダンス・
チームを結成して
活躍する傍ら、
SMAPなどの
振り付けを手がける。
92年からはTRFに参加、
平行してダンス情報番組
『Gパラダイス
RAVE2001』
(テレビ東京)の
司会を務めるなど
広く活動している。

小松原庸子
スペイン舞踊家。
邦楽の常磐津勝蔵の
長女として
東京・柳橋に生まれる。
幼少より日本舞踊や
クラシックバレエに親しみ、
俳優座を経て女優に。
1959年に
フラメンコと出会い、
単身スペインへ留学、
ラファエル・デ・
コルドバ舞踊団
などで活躍する。
帰国後結成した小松原庸子
スペイン舞踊団は
今年30周年を迎え、
多くの門下生を
輩出している。
糸井重里
コピーライター。
1948年、群馬県生まれ。
「おいしい生活」など
時代を牽引したコピーは
衆人の知るところ。
テレビや雑誌、
小説やゲームソフトなど、
その表現の場は
多岐にわたる。
当座談会の司会を担当。


婦人公論井戸端会議担当編集者
打田いづみさんのコメント

街でもテレビでも、かっこよく踊ってる人を
たくさん見かけます。
いつのまに、こんなにダンスの上手な人が
増えたんでしょうか?
今回は、フラメンコ、ストリート系、とジャンルは違えど、
それぞれ一線で活躍するダンサーのお二方が、
「踊る時代」の到来を語ります。

小松原庸子さんは、さすが大輪の花の華やかさ。
SAMさんは物静かに、しなやかな豹といったたたずまい。
糸井さん、そんなお二人を前に、
「僕、“踊らない人”なんですが、そういうことって、
すぐバレるもんですか?」
と緊張のスタートを切りました。

「ダンスに出会ってから、遊ばなくなった」
と小松原さんが語れば、SAMさんも
「ダンスのことしか考えない10年があった」
とうなずきます。
お二人がダンスに魅入られていったルーツから、
肉体の鍛錬、表現のインスピレーションの源まで、
うかがううちに、こちらの心が踊り出してきました。

最後には、
「ダンスは、運動神経やリズム感がない人でも大丈夫」
とSAMさんがエールを送ってくださいました。
あなたも、一緒に“踊る人”への移行を目指しませんか?

第1回
レッツ・ダンス!

糸井 これまで僕はいろいろなことに興味を持ってきましたけど、
縁が遠いままになっているのが「踊り」でしてね。
踊りそのものは好きなんです。
なのに自分では体が動いてくれないというか、
踊りと無縁に人生がある気がするんです。
僕は団塊の世代の人間ですが、
仲間に歌う人や絵を描く人はいても、
踊る人はいない。この世代はダンスとか、
リズムにあわせて動くということが、
どうも欠けてるんですね。
でも、今の若い人を見ていると、
踊る人がすごく多いでしょう?
SAM ええ、多いですね。
糸井 僕はたまたまSAMさんが講師をやってらした
NHKの番組(「熱中ホビー百科『ソウルフル!
ストリートダンス』」)を見ましてね。
NHKでそういう番組をやること自体、僕からすれば、
「変わったなぁ」と思えるんです。
SAM 捉え方としては、六〇年代とか七〇年代に日本に
ロックがだんだん入ってきて、
グループ・サウンズがはやり、ヘビーメタルがはやり、
バンドブームが起こったみたいな流れがありますね。
僕らがやってるダンスが八〇年代に日本に入ってきて、
今、若者がみんな踊っているというのは、
ちょうど第一次ロック・ブーム、バンド・ブームの時代が
あったのと似ているという気がするんです。
糸井 かつてエレキギターをみんなが手に入れたように、
ダンスを手に入れている?
そういえば、高校生なんかで気の合うやつが四、五人
集まると、ユニット組んで踊りの練習してというのは、
昔のバンド合戦の時代と同じだ。
SAMさんや今の若い人たちが踊っているダンスは、
ジャンルでいうと、どういう……。
SAM ストリートダンスとかブレイクダンスとか、
いろいろな言い方がありますが、そういうのを総称して
僕らは「ストリート系」と呼んでいます。
糸井 年配の方でも、社交ダンスや小松原さんの分野である
フラメンコを、どんどん習ったりしていますね。
小松原 健康ブームもあるでしょうね。
糸井 痩せたいという動機の人もいる。
小松原 姿勢がよくなるとか。フラメンコだと、派手な水玉とか
フリフリの衣装を着てみたいという願望の人もいます。
糸井 いずれにしても、踊りに興味を持ち始めてる人は
確実に増えていますね。
小松原 ダンスって、やっぱりよく踊れたときは気持ちがいいし、
踊る阿呆に見る阿呆、踊らにゃそんそん、というところ、
ありますね。高円寺の阿波踊りに私たちも
連をつくって出たんですけど、年々、踊る人が増えていて、
みんなで「えらいこっちゃ」とやってる。
人間はもともと踊るのが好きなんじゃないですか。
本能的なものでしょう? 踊りは。
糸井 踊らない時代があったのが、ここにきて行き当たって、今、
踊る時代の方向にカーブしてるところかもしれない。
SAM ある意味で、欧米の環境に
日本が近づいてきてるような気がします。
踊ることが、もっと身近なものに
なってきているという……。
糸井 自分で踊ると目も肥えてくるし、
そうなると全体のレベルも上がってきますね。
ずっと昔、沢田研二さんがコンサートで、
冗談としてこう言っていました。
「僕は踊りながら歌うって言われてるけど、
ほら、上半身しか動いてないでしょ。
トシちゃん(田原俊彦)なんかは体全部が動いているから、
あっちは踊りだけど、僕のは手踊りなんですよ」って。
たしかにそうなんですよ。
「ト〜キオ〜♪」ってやってるときも、手だけ動いていて、
ステップはないんです。でも今の歌手の人たちは、
歌いながら下半身も動いているし、位置も移動してる。
それだけ見ても、総体が底上げされてるのがわかります。
SAM 踊りながら歌うのが、もう普通になってきてますから。
糸井 お二人がダンスを始められたきっかけは?
小松原 うちは父も母も三味線ひいて、祖母は鼓を打って
日本舞踊のお師匠さん、というような芸人の
家庭でしたから、私も子供のときから、一般の家庭の人、
「素人」さんになるというのは想像もつかなくて……。
小さい頃は日本舞踊、そのあとはずっと
クラシックバレエをやっていました。
それから俳優座に入って、お芝居にものめり込んで。
で、私、すごい早熟で十七歳くらいで同棲して、
十九歳で結婚したんですよ。
糸井 はぁ、すごいですね。
小松原 相手は絵かきで、結婚したあと、彼はフランスに
留学しましてね。それで日本に帰ってくるとき、
スペインでフラメンコのレコードを買ってきたんです。
それを聴いて、私、ショックを受けました。
それまでよく聴いていたジャズのリズムとはぜんぜん違う。
手拍子の音が聴こえ、カスタネットの音が聴こえ、
日本の音楽でもない、西洋の音楽でもないような歌声が
聴こえてきて、こういうものもあるんだ
と思っていたところに、スペインの舞踊団の公演を観て
大感動。どうしても習いたいと思ったんです。
糸井 向こうから、つかまえに来たという感じですか。
小松原 結果としてはそうです。それで二十九歳のとき、
フラメンコを勉強しようと、世界一周のチケットを
買って、いろいろな国をまわりながらスペインに着いたら、
はじめての土地なのに、自分の家に帰ったみたいな
気分だったの。それでずっと居着いて
フラメンコの修業して、迎えにきた夫も追い返しちゃった。
糸井 あらあら。(笑)
小松原 踊りやるからって、離婚して。
糸井 ドラマチックで、なんかフラメンコ的な話ですね。
SAMさんの場合は?
SAM はじめてダンスの面白さを知ったのは十五歳のときです。
学生時代、ディスコに行き始めてからで、映画の
『サタデー・ナイト・フィーバー』が
すごい人気だった頃ですね。
当時、アメリカの『ソウル・トレイン』という番組も
毎週欠かさず見ていました。ディスコで一つずつ
新しいステップを覚え、アメリカから入ってくる
新しい踊りをテレビを見ながら勉強して、という毎日で。
糸井 ディスコ・ダンスに出会って、「これだ!」と思ったんだ。
SAM 思い出してみると、クラシックバレエの公演とか、
その頃、『サウンドイン・S』っていう音楽番組があって、
そこでジャズダンスの人が踊っているのを見るのも
すごく好きだったんですよ。ディスコダンス、
ブレイクダンスに限らず、自分は踊ることや
ダンスそのものが好きなんだという結論めいたものが、
すでにどこかにありましたね。

(つづく)

第2回 肉体は表現の「引き出し」

第3回 「好き」がいちばんの資質

1999-09-18-SAT

BACK
戻る