BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。


こんなお墓に入りたい!
(全4回)


漱石の『こころ』は、
墓をめぐる推理小説だった?
墓のない国の葬礼とは?
準備のある人もない人も、
さて、そろそろお墓の話でも・・・

ゲスト
佐々木幹郎(詩人)
長江曜子(聖徳大学短期大学部助教授)


構成:岡田尚子
写真:和田直樹
(婦人公論2000年7月22日号から転載)


佐々木幹郎
詩人。
1947年奈良県生まれ。
同志社大学文学部
哲学科中退。
詩集に『死者の鞭』
『音みな光り』
『蜂蜜採り』
(高見順賞)、
評論集に『中原中也』
(サントリー学芸賞)、
エッセイ集に
『河内望郷歌』
『カトマンズ・
デイ・ドリーム』
『地球観光』
などがある

長江曜子
1953年茨城県生まれ。
明治大学大学院
文学研究科博士課程を
修了。
専攻は日本近代文学。
聖徳大学短期大学部
助教授にして、
家業の(株)加藤組合匠
あづま家の
代表取締役社長を
つとめている。
世界各国を旅し、
各地の墓文化を研究中。
著書に
『21世紀の
お墓はこう変わる』
など
糸井重里
コピーライター。
1948年、群馬県生まれ。
「おいしい生活」など
時代を牽引したコピーは
衆人の知るところ。
テレビや雑誌、
小説やゲームソフトなど、
その表現の場は
多岐にわたる。
当座談会の
司会を担当。

第1回
墓地が好き
糸井 長江さんは学者さんでありながら
墓石店の社長さんなんですって?
長江 単に家業の3代目を
継いだだけのことなんですけどね。
私は千葉県の松戸出身なんですが、
近くに東京都立八柱霊園という
7万基規模の墓地があるんです。
で、その門前に、うちを含めて40軒、
墓石屋が並んでいまして・・・。
糸井 へえ〜。
墓石屋通りなんだ。
長江 「なんまいだストリート」というか
「墓地ストリート」というか(笑)
佐々木 じゃあ、競争が激しいですね。
長江 いえ、そうでもないんです。
うちは祖父の代からですが、
お墓というのは一度作ると、
メンテナンスもあるので
3代、4代にわたって
おつきあいしますから。
八柱霊園は公営なので、
お坊さんからお線香、お花の手配、
法事の時にはうちに集まって
お茶飲んでから墓地に行くとか、
そういうお世話もしています。
糸井 お墓に興味を持たざるをえない環境で
育ったわけですね。
長江 うちは男の子がいなかったので、
長女の私が子供の頃から
「跡を継げ」と言われましてね。
でも、実はそれが嫌で嫌で・・・・。
糸井 「墓場のヨーコ」とか言われて?
長江 墓場は遊び場でしたけど(笑)。
文学に逃げ込んで、
結婚して名字も変えた時は、
「これで逃げられる!」
と思ったんですが、
創業以来のお客様が
8500軒もいらっしゃっては、
継がざるをえませんでした。
糸井 石から逃げるんですか。
それとも死から逃げるんですか。
長江 いやあ、
死からは逃げてないと思います。
だって、
左翼文学が花盛りの頃の明治大学で、
「宗教と文学」とか正宗白鳥とか、
私だけ変わったことやってましたから。
ただ、当時は、なぜ自分が
「死」をテーマにした文学に
興味があるのかはわかりませんでした。
ところが、家業を継ぐと覚悟を決めて
お墓のことを勉強し始めたら、
これが面白い。
文学の読み方も変わって、
漱石の『こころ』が
お墓をめぐる推理小説のように
読めるんです。
糸井 それはおもしろそうだなあ。
長江 『こころ』には
「先生」と「K」という
主要な人物が出てきますが、
「先生」は血がつながってもいない、
単なる友人でしかない
「K」の自殺後のお骨を、
「K」の故郷に返さないで、
自分でお金を出して
お墓を建てちゃうんですね。
でも、現実には
親族でもない人のお墓を建てるって、
すごいことなんですよ。
だから、漱石は
どうしてそういうことを書いたのかな、
なんてことが気になってくる。
糸井 視点が変われば、
読み方が変わりますよね。
昔、喘息友達と「誰が喘息か」という
文学の読み方があるね、
って話をしたんだけど、
どうも喘息の人は
プルーストと吉行淳之介に
共感するらしい。
佐々木 僕の知り合いに
江戸中期の研究者がいるんですが、
同時に当時の痔の研究もしていてね。
糸井 誰が痔か。(笑)
佐々木 “痔から読み解く日記論”というのを
書きましたけど、抱腹絶倒でした。
糸井 やむにやまれぬ表現が、
やっぱりあるんですよね。
ところで、佐々木さんは
お墓参りが趣味とうかがいましたが。
佐々木 墓地へ行くのが好きなのね。
初めての町に行った時、
僕が町の全体像をとらえるために
必ず行く場所というのが2ヵ所あって、
そのひとつが墓地なんです。
糸井 もうひとつは何ですか。
佐々木 刑務所です。
つまり、都市というのは
身元不明のやつが
集まってくるわけですよ。
と、必ずアウトローが出てきて
何かをやらかすから、
彼らを集める場所が刑務所なんですね。
糸井 ああ、社会ですね。
佐々木 そして墓地は、その身元不明の人間が
最終的に入る場所です。
この二つをおさえると、
その都市の輪郭が
見えてくる感触があります。
ところが、
この理屈が通らない地域があって、
チベット仏教徒が住むチベット、
ネパールとインドの
ヒンドゥ教徒の住む地域には、
刑務所はあるけど墓地がない。
糸井 人々が移動しているからですか。
佐々木 いや、無墓文化なんですよ。
だって、ヒンドゥ教徒は
火葬してガンジス川に流すでしょ。
墓、ないんですよ。
糸井 えっ、それは知らなかった。
佐々木 チベットなんて、
「墓」を指す言葉自体もないんですよ。
長江 そうらしいですね。
糸井 概念がないんだ。
じゃあ、インドのヒンドゥ教徒は
川に流すとして、
チベット仏教徒はどうしているんですか。
佐々木 チベット仏教徒にとっての
最高の葬礼法は、
死体をハゲワシに食べさせる鳥葬です。
鳥葬は人間がこの世でなしうる
最後の施しを鳥に与えるわけで、
チベット仏教徒なら
誰もが望んでいる尊い行為なんです。
その次が火葬。
ああいう高山地帯では、
遺体を焼くだけの木を集めるのに
お金がかかる。
だからランクが高いわけですが、
火葬の場合でも、
骨はそのまま放っておいて、
風に飛ばされるままにします。
次が水葬で、
ヤルンツァンポ川という大河へ、
遺体を魚が食べやすい大きさまで
千切って流してやる。
で、一番下が土葬です。
これは疫病にかかった人か犯罪人、
もしくは生まれて間もなく死んだ
子供の場合ですね。
だけど、その埋葬法というのが、
ちょっと地面を掘って、
石を積み上げただけのものなんです。
だから夜になると、
チベットオオカカミが食べに来る。
糸井 オオカミ葬になっちゃうわけだ。
佐々木 実際、土葬の場所に行ったら、
オオカミがほじくりだした骨が
いっぱい出てました。
でも、鳥葬もすさまじいんですよ。
西チベットの、カイラスという聖山の
頂上に一番近い鳥葬場が
最もステイタスが高いんですが、
行ってみたら、
鳥葬場は広い岩の平面にあって、
岩肌に血がこびりついていて、
近くにさびたナイフが転がっていた。
実は、鳥葬にあたっては、
ハゲワシが食べやすいよう、
遺体を切り刻んで砕いておくんです。
長江 丸のままじゃ、食べられないから。
それに、魂が早く天に戻れるように、と。
佐々木 ハゲワシは
その準備が整うまで待っていて、
人間たちが引き上げたら、
一斉にザーッと群がるんです。
僕が行った時には、
鳥が食べない髪の毛は残ってたけど、
血も乾いていたから、
「ああ、こんなふうにやられるのかな」
と思って、その場所に寝ころんだわけ。
そしたら、その瞬間、
岩山のまわりにいたハゲワシが
バタバタバタッって・・・・。
糸井 すごいな。
佐々木 僕はもう、走り回りましたよ、
「まだ生きてるぞ!」って。(笑)
長江 証明しないとあぶない。(笑)
佐々木 さらに面白かったのは、
鳥葬の場所の近くには、
死んだ人が着ていた服などを
集めておく場所があるんですけど、
チベットの巡礼者は、そこへ行って、
自分で着られる服を取っていくんですよ。
糸井 それじゃあ、
巡礼じゃないじゃないですか。(笑)
佐々木 いや、結局、チベット仏教徒は、
自分の生きた証が
地上に何も残らないことを
望んでいるわけです。
そうしないと、輪廻転生できませんから。
残った衣服を取ることも
決して悪いことではないんです。
死者が最後の功徳として、
ハゲワシには自分の肉を捧げ、
人間には服を残す。
鳥葬は天葬とも言いまして、
ハゲワシは天に近いところまで
自分の魂を持っていってくれる
鳥なんです。
糸井 うわぁー、話を聞いただけで
気が遠くなる。
僕、お墓というテーマを
ずっと話したかったんですよ。
というのも、ある対談を読んでたら、
「あなた、お墓に入る人?」
って言うような会話があったんですね。
その時、
「墓に入るか入らないかという
 人生の選択はものすごいぞ!」
とびっくりしたんですよ。
佐々木 それは、そうですね。
糸井 僕は若い頃、フラフラしていて
住所不定のような時期があったんですが、
そんな頃でさえ、
いずれはお墓に入るんだろうと思ってた。
それを選ぶ選ばないなんて、
想像もつかなかったんだけど、
「墓に入らない」という考え方を知って、
「あ、死んでからもまだ家出人やるんだ」
と思ったら、その自由と苦しみが
一気に押し寄せてきて、
同時に、これまで自分がいかに
お墓のことを考えないできたかが
わかったんです。
佐々木 気づいたわけやね。
糸井 僕、子供が飼っている金魚が死んだ時、
かまぼこの板に「金魚のお墓」と書いて
墓を作った覚えがある。
でもその一方で、
肉食魚を飼う時に使う
“餌金”という金魚が死ぬと、
生ゴミにするか、トイレに流している。
となるとね、金魚の命に対する態度が
生命全体に対する考え方に
普遍化できるとしたら、
僕は人間の死をどう扱うかということが
わかんないまま、
宙ぶらりんで生きている。
で、お墓や死のことを考えている人と
話がしたくてしょうがなかったんですよ。
佐々木 そういうことって、
なかなか話す機会ないからねえ。

第2回 あなたはどこに眠る?

第3回 隠される「死の現場」

第4回 いざ墓参り!

2001-11-15-WED

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