BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。

第3回
隠される「死の現場」
佐々木 以前、ある町が公営のロッカー式墓地を
作ることになった時、
そのデザインコンペの審査員を
やったことがあるんです。
全部で10社ほどから応募があったんですが、
どれも両側に仕切りがあって、
同じ形のものが
ズラ―ッと並ぶ構造だけは変わらない。
その時、ある審査員が
「どのデザインも公衆電話みたいだね」
って言うわけ。
それを聞いて僕は
「あ、それでいいんです」
と言ったの。
つまり墓は、
霊界との公衆電話なんですよ。
お参りと言うのは、電話をかけるのと同じで、
その思いや言葉がどこかに届くと信じて
やるわけですから。
糸井 じゃあ、公衆電話が
携帯電話に取って代わられたように、
これからはお墓も携帯化していくのかな。
長江 携帯お墓みたいなものは、もうありますよ。
アメリカに
「国際墓園葬儀協会」という団体があって、
そこのコンベンションで、
砕いた骨の一部を入れる
ペンダントが出品されていました。
糸井 まさに携帯電話ですよね。
それなら愛人にも配れますよね。(笑)
長江 でも、お骨上げの時に、
愛人が骨を分けて欲しいと言っても、
遺族は分けてくれませんよ。
実際、お葬式で一番もめるのは、
お骨の居所です。
佐々木 日本人は骨にこだわりますよね。
第2次大戦の犠牲者の遺骨収集団とかね。
長江 遺族にすれば、戦地にそのまま骨があると、
いつまでも
帰ってこられない気がするんでしょうね。
佐々木 だから日本人って、僕らもそうだけど、
自分の骨がどこへ行くかということを考えて、
墓のことを話しますよね。
糸井 うん、うん。
散骨にしたって、
消えてなくなるというよりは、
その辺りに「いる」っていう
イメージですもんね。
佐々木 これは日本独特じゃないかな。
でも、その骨信仰も
一人の人間の一部分の骨があれば
満たされるんですね。
長江 そうですね。
関西ではお骨上げの時、
喉仏を中心とした
一部の骨しか拾いませんね。
骨壺も深さ3寸、9センチほどしかない。
それが関東では全骨を拾うから、
骨壺も7寸、約21センチくらいある。
糸井 へえ〜、関西は違うんですか。
関東では
「骨壺いっぱいになりましたね」
と言うのが誉め言葉なんですがね。
立派な体格だったっていう。
佐々木 関西では、
残った骨は全部捨てるんですよ。
糸井 粗大ゴミになるんですか。
長江 いえ、「廃棄物」。
佐々木 火葬場の裏にちゃんと、
埋める場所があるんです。
だから、残った骨を
そういう形で捨てることを考えると、
日本人の骨信仰も、
火葬後に風の吹くままにしておく
チベットの火葬と、
基本的には変わらないんです。
糸井 知っているか
知らないかの違いだけですね。
長江 アメリカ人は
骨よりも遺体にこだわりますね。
アメリカでは実は
ニューヨークでも85%近くは土葬で、
火葬率は15%ちょっとしかないんです。
「復活の日」に肉体が甦る
という思想があるためでしょうが、
ベトナム戦争や湾岸戦争の時でも
必ず遺体を運んでましたよね。
佐々木 上海も、今は法律で
火葬と決められているんですが、
65年くらいまでは土葬だったそうです。
ところがね、その前年、
来年からは火葬だと決まった瞬間、
老人の自殺者が激増したんですって。
数字を見て、びっくりしましたね。
糸井 「火葬はいやじゃ」と。
長江 中国の人は土葬を好みますからね。
タイに行った時、普通、
タイでは仏教徒は火葬にするんですが、
中国の人は火葬を嫌がるので墳墓を作る、
とガイドの人が言っていました。
糸井 なるほどねえ。
お墓をめぐる心理というのは絶対的なもので、
しかもそれが地球上の各地域で
違うんですね。
佐々木 断固たる違いがあるんですよ。
糸井 だから、「私」を語らない限り、
墓の話は深くはできない。
長江 一般論にはならないですね。
糸井 死の話というのは、
同時に生命をどう見るかということでしょう。
だから、墓に対する考え方には、
その人の生命観みたいなものが出ますよね。
で、僕の今の混乱というのは、
日本人の生命観の混乱
そのものじゃないかと思うんですよ。
長江 おっしゃる通りですね。
糸井 大事、大事と言われているけど、
今の日本では
命に触れるような場面は遠ざけられている。
命が誕生したり失われたりする経験って、
ペットの出産・死くらいしかないんですよね。
赤ちゃんが生まれるのも病院だし、
おばあちゃんが死ぬのも病院ですから。
佐々木 確かに、暮らしの中に死の現場がない。
だから生命観も揺らいでいるんでしょう。
糸井 戦後の日本は病老死苦のすべてを
病院に押しつけてきた。
あとは学校ね。
その環境に、
僕ら今フィットして暮らしてるから、
触っちゃいけないタブーとして
死を認識するし、
お墓だって「縁起が悪い」とか言って
隅に追いやっちゃう。
長江 実は墓地は、
私たちが暮らす町づくりそのものなんですけどね。
糸井 そうなんですか。
長江 ギリシャ、ローマの昔から、
都市計画上絶対必要な施設として、
町作りの中に墓地が組み込まれています。
佐々木 ヨーロッパでは、
墓地が都市の真ん中に点在していますもんね。
糸井 都市計画の中心なんだ。
佐々木 日本は周辺にしか作らない。
長江 日本でも昭和23年施行の
「墓地埋葬法」という法律で、
墓地は、まずは地方自治体が作りなさい
と決められてはいるんですよ。
それで足りなかったら公益法人が作り、
それでも足りなかったら
宗教法人が作る、と。
ところが、これを全然やっていない。
戦後、都市に人口が流入してきましたね。
で、人が集まると、
結婚する、子どもが生まれる、っていうんで、
家や学校や病院を作っていったんだけど、
墓地は後回しにしてきた。
でも町が完結してから作ろうったって、
もう場所がないんですよ。
日本では墓地は火葬場やゴミ焼却場などと同じ
迷惑施設なんですね。
佐々木 そう。今、都市じゃ
墓地が足りない上に、やたらに高い。
長江 実は江戸の頃も流入人口のせいで
墓地不足だったらしいですよ。
将軍様も座棺だったって。
佐々木 例の一心寺の骨仏も、元は
墓地不足解消のための発想だったというし。
長江 その点、
ヨーロッパの町のすごいところは、
基本的に、その町で生まれた人間は
その町で死ぬということを前提に、
都市を計画していることです。
あちらでは墓地は、
住民サービスであるとともに
公共施設、福祉施設なんですね。
糸井 面白いなあ、それは。
墓地の重要性が
認識されてない日本で暮らしている以上、
僕らが死をタブー視するのは
当たり前なんですね。
そう言えば、神戸の児童殺害事件の時、
あの町には寺と墓地がないというルポが
ありましたっけ。
長江 本来なら、お墓は
循環していく都市の装置なんですけどね。
スイスのルツエルンでは、
病院の前にお墓がありました。
糸井 そりゃまた、見事な循環ですねえ。
長江 病院の前に墓地があって、その先が湖。
風光明媚なところでしたよ。
で、そこのご老人に
「嫌じゃありませんか」
って聞いたら、
「安心です」って(笑)。
佐々木 それが普通になると思うなあ。
ヨーロッパでは墓地は観光地だし。
長江 去年、パリのモンパルナス墓地に行った時、
トレビの泉のコインみたいな願掛けなのか、
墓参した証拠なのか、
サルトルなど有名人のお墓に、
地下鉄のキップが
たくさん並べられているのを見ました。
佐々木 なんで地下鉄のキップなのかな。
長江 墓地は学習の場にもなってて、
学校の先生が生徒を引率してきて、
「はい、ミュッセのお墓はここですよ」
と、文学散歩の場にしちゃうんです。
フランスには墓碑銘の研究もありますしね。
有料マップなども売って、
有名人のお墓が
壊れた時の修繕費用にしています。
私、東京も
観光地にしていいと思うんですよ。
漱石の墓が雑司ヶ谷にあったり、
青山墓地に志賀直哉が眠っていたりするんですから、
歩きたい人のために、50円でも100円でも、
都は有料のマップを作ればいいじゃないですか。
そうやって公園機能、都市機能としての
墓地をちゃんと再生すればいいのに、
そういう発想もないし、かといって墓地として
きちんと機能しているかといえば、
昭和30年代以降は、
無縁になってる墓地も再貸付しないんですよ。
糸井 大きい問題だねえ。
長江 利用者にも問題はあって、
都心の墓地の権利を持っている人は、
たとえ郊外に移り住んでも、
その権利を手放さない。
でも、これからは無縁墓が増えることを考えて、
貸付期間を20年なり30年なりの
有期限にする法制化も必要かもしれませんね。
佐々木 今、青山墓地を一番利用しているのは
ホームレスですよ。
木に囲まれた無縁墓を狙って、
そこにテントを張って、
実に楽しそうに暮らしてます。
あとは、アダルトビデオの撮影ですね。
夜によく撮影しています。(笑)
糸井 あとは、年に一回の花見くらいか。
それにしても、
こうしてお墓の話をしているだけで
落ち着きますねえ。
僕はずっと、
死を「ないこと」にして暮らしているのが
居心地悪かったんですよ。
思うに、今の日本人が
お墓を軽視している背景には、
何も生産していないものへの
軽蔑があるんじゃないか。
戦後、日本人は
生産性にばかり目を向けてきましたから。
佐々木 でも、これからの時代は、
そうはいかないでしょうね。

2001-11-20-TUE

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