BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。


老人は老い易い、か!?
(全4回)


何歳から老人?
女の長寿の秘密は?
長命社会にあって、
人はどのように老いを受け入れていくのか

ゲスト
上坂冬子(作家)
水野肇(医事評論家)

構成:福永妙子
写真:和田直樹
(婦人公論2001年4月22日号から転載)



上坂冬子:
作家。
1930年東京都生まれ。
59年、
『職場の群像』で
ノンフィクション
作家の道へ。
93年には菊池寛賞、
正論大賞を受賞する。
著書に
『昭和史三部作』
『遺された妻』
『硫黄島いまだ玉砕せず』
『我は苦難の道を行く』
『抗老期〜
 体力・気力・記憶力と
 闘う』
など多数
水野肇:
医事評論家。
1927年大阪生まれ。
山陽新聞記者時代に
「ガンを追って」
シリーズで
日本新聞協会賞を受賞。
『夫と妻のための
 老年学』
はじめ、
『クスリ社会を生きる』
『あなたが
 痴呆になるとき』
『いかに死ぬか』
『現代医療の論点』
など、著書多数
糸井重里:
コピーライター。
1948年、

群馬県生まれ。
「おいしい生活」など
時代を牽引したコピーは
衆人の知るところ。
テレビや雑誌、
小説やゲームソフトなど、
その表現の場は

多岐にわたる。
当座談会の司会を担当。

第1回
"ヤング・オールド"の正体
糸井 お二人は
古くからのお知り合いだそうですね。
水野 長いつきあいだけど、上坂さんはお若い。
ついこのあいだ女学校を出たような感じで
ずっときておられるでしょう。
上坂 そんな見えすいたことを。(笑)
水野 見た感じもそうですけど、精神構造もね。
上坂 ほお……。
って他人事のように(笑)。
外見的なことを言うと、
私、22、23歳の頃は
“靖国の未亡人”と言われたの。
糸井 戦争未亡人。
老けていらしたということですか。
上坂 ええ。当時、黒い羽織が流行っていて、
着物の上にそれを着ていると、
子どもを3人くらいかかえた
靖国の未亡人だって。
全然、若く見られなかったんです。
でも、若い頃に、老けて見られた人は……。
糸井 トシとっても、もつ。
上坂 かもしれない。(笑)
糸井 今回は、
「老い」とか「長命」といったことが
テーマなんですが、
ご自分の老いや、
いくつまで生きたいとか、
意識なさることはありますか?
上坂 私、古希なんですよ。
糸井 ああ、70歳。
上坂 自分で「古希だ、古希だ」と言い聞かせないと
実感はないんですけど、
朝、新聞の「訃報欄」は
よく見るようになりましたね。
名前よりも、「この人、いくつかしら」と。
70代というのは、
わりとよく人が死んでるんです。
それで自分でも
「いくつくらいで死ねたら、
 いちばんいいかな」
ということはよく考えますね。
糸井 ご自分なりの目安というと。
上坂 やっぱり75歳くらい。
私の母も75歳で亡くなったせいかしら。
糸井 じゃ、あまり先がないですが……。
上坂 ないです(笑)。
70になりますと、
さほど長くは生きられない。
少なくとも嬉しいことが嬉しく感じられ、
おいしいものがおいしいと感じられる年月は、
もうそんなにないぞということは、
よくわかるんです。
だから、気持ちが張ってるというか、
しょぼくれないうちに、
偶然のきっかけで
死ねたらいいなあと思います。
水野 今のお話、僕は正しいと思うね。
なぜ正しいかと言うと……、
日本は厚生省なんかが
老人対策とか言うてるけど、
根本的に間違ってるのは、
65歳以上をすべて
“老人”とひとくくりにする、この決め方ね。
医学的には正しくない。
老人の分け方はアメリカのほうが正しいです。
糸井 アメリカではどうなんですか。
水野 60歳から老人と言う。
“オールド”ちゅうわけです。
その中でも、60から75歳までが
“ヤング・オールド”。
上坂 ほお。
水野 つまり若い老人。
このヤング・オールドは、
「仕事があれば働くことができる」年代。
例外はあるけれど、
決定的な病気にならないというのが
75までね。
で、75から90歳までを、
“オールド・オールド”と言う。
この年代になると、
アルツハイマーや骨粗鬆症、
寝たきりになったりとかあるでしょ。
だから、そうなる前の
「75歳で死にたい」とおっしゃるのは
正解なんです。
上坂 ああ、正しかったのね。
水野 それじゃあ90歳以上はどう言うかと言えば、
“オールド・パー”だと。
上坂 アハハハハ。
水野 僕が言うんじゃないよ。
日本語ができるアメリカ人が言うたんだけどね。
糸井 熟成した
“VSOP”かな、と。(笑)
水野 僕自身はどうかと言えば、
うちは代々長生きはしないと言われながら、
長生きしとる。
親父は生まれたときから体が弱く、
医者に「10歳までもたない」と言われたのね。
それで長男なのに姉に養子を迎えたわけで。
だけど92歳まで生きましたから。
僕も生後3日目に百日咳になって、
「5歳までもたない」と言われたのが、
今、73歳でしょ。
おふくろが死んだのも92歳。
普通、人が自分の死を考えるとき、
基準にするのは両親が死んだ年齢なんですよ。
だから、僕なんか……。
糸井 90代まではいきそうですね。
水野 ただ、上坂さんと同じで、
むちゃくちゃ長生きしたいとは思わないね。
上坂 私、長生きは恐ろしいです。
できればしたくない。
やたら長く生きたら困るという思いが
先立ちます。
とくに昭和一桁生まれは
仕事ばかりやってきたでしょう。
長生き時代に必要な準備が
まったくないんです。
趣味もないですし。
糸井 趣味、ありませんか。
上坂 いわゆる教養の幅が狭いと言うか、
音楽を聴いて楽しいとか、
歌舞伎を観て嬉しいとか、
鑑賞のために必要な素地の訓練が
できてないんです。
戦争中に育ち、
戦後はひたすら働いてましたから。
糸井 時代的な宿命もあるのか。
水野 「昭和一桁五大特徴」というのがあって、
ダンスはできない、英語はしゃべれない、
仕事だけが生きがい、
出てきた料理は全部食う(笑)
……もう一つ、なんやったかな。
そういうのが特徴なの。
糸井 ちょいと切ないですね。
上坂 戦争が終わって食糧難のときに
社会人になりましたでしょ。
いちばん柔軟なときに、
とにかく食べるために
一所懸命に働いていたわけね。
前に進むだけで精一杯。
気がついたときには
もうすべて固まっちゃって、
いろんな趣味などを
受け入れられないような体になってた。
糸井 時間ができても楽しみ方を知らない。
ワリを食っておられる世代だと。
上坂 そうなんです。
水野 「働かざる者、食うべからず」が身についてる。
僕は、いつ死ぬとかあんまり考えず、
生きてる間は
生きているんだろうということで
今日まできてるんですが、
しかし、70代になっても原稿を書いたり、
こうして座談会に出てくるとは
思ってなかった。
そやけど、いつの頃からかなぁ、
人が働けというならやるか、
という気分になって、
今も何かかんかやってまして、
そんなにヒマではないです。
上坂 私も、ここまで仕事をすると思わなかった。
60歳以後も仕事をしてるバカがあるか、
と思ってたんですけどね。
水野 僕にしろ上坂さんにしろ、
なぜまだ仕事をしてるかと言うと、
自由業って
もともとクビになった職業なんです。
糸井 あらかじめクビになった職業?
水野 定年退職を初めからしているみたいなもので、
また定年退職することはない。
それでまだ働いてるわけです。
糸井 政治家なんかだと、
60歳以上の人がたくさんいますね。
面白いのはトシをとっても
妙に元気そうに見える。
上坂 あれは異人種ですよ。
糸井 異人種ですか。
政治家の医学的特徴みたいなもの、
ないんですか。
水野 医学的にはどうか知りませんけど、
ストレスには強いですね。
ストレスを生きがいに転化する能力があるのが
政治家。
この点だけは生物としてすごいと思う。
それに選挙で鍛えられてるからね。
選挙を経るごとに強くなってる。
糸井 首相の森さんも丈夫そうだし。
水野 あれだけ悪く言われても、
「悪口でもいいから言ってくれ」
というような感じでしょ。
ある意味ではたいしたもんで、
そこだけは見習わないといけない。
糸井 上坂さんは、
自分でストレスに強いと思われますか。
上坂 はい。打たれ強いと思います。
いじめられると、血沸き、肉躍る。
「よし来た。我に反論の根拠あり」
なんていうときには
若さが体中にみなぎってきます。
水野 上坂さんも、
ストレスを生きがいに転化する能力を
おもちなんですよ。
ある種の特技かもわからん。
原稿を書くのを負担に感じないでしょ。
上坂 そりゃ負担には感じません。
水野 でしょ。
ずーっと見てて、僕はそう思ってたんだ。
上坂 敵を意識して原稿書くのは、
何よりのストレス解消!
水野 しかしね、
たいていの人間は負担に感じるんだよ。
上坂 そうかしら?
負担なら書かなきゃいいじゃないの。
水野 いや、そうじゃないんだよ。
糸井 こういうやり取りが面白い。(笑)
水野 負担ではあるけれど、
書きたいし、書こうとするわけやね。
ところが上坂さんの場合、
何をしても楽しそうなんだ。
上坂 そうね。
でも、楽しそうに見えるのは、
トシとってからですよ。
やっぱり無意識のうちに
自分のエネルギーを計算してるんでしょうね。
どうせ残り少ないエネルギーなら、
イヤなことはやりたくないって。
水野 それはわかるような気がする。
上坂 ノンフィクションを書いてて
感じるんですけど、
この仕事にも定年があると思いますよ。
今、40、50代のときの作品を見て、
よくここまで調べたなと
自分で感心しますもの。
たとえば
『生体解剖−−九州大学医学部事件』を
書いていたとき、
被告がここからここまで
20分で歩いたという記録があると、
「ほんとにこの時間で歩けるかしら」と、
すぐに九州に飛んで、
自分で実際に歩いたりしてね。
今だったらおそらく電話で済ませますよ。
「誰かちょっと調べてみて」と。
そうなると書く内容も変わってくる。
ですから体力の衰えとともに、
私の仕事にも限界があるような気がします。
(つづきます)

第2回 抗老期を過ぎて

第3回 老いの景色はグラデーション

第4回 ヤキモチ心は枯れず

2003-03-14-FRI

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