第1回
"ヤング・オールド"の正体 |
糸井 |
お二人は
古くからのお知り合いだそうですね。 |
水野 |
長いつきあいだけど、上坂さんはお若い。
ついこのあいだ女学校を出たような感じで
ずっときておられるでしょう。 |
上坂 |
そんな見えすいたことを。(笑) |
水野 |
見た感じもそうですけど、精神構造もね。 |
上坂 |
ほお……。
って他人事のように(笑)。
外見的なことを言うと、
私、22、23歳の頃は
“靖国の未亡人”と言われたの。 |
糸井 |
戦争未亡人。
老けていらしたということですか。 |
上坂 |
ええ。当時、黒い羽織が流行っていて、
着物の上にそれを着ていると、
子どもを3人くらいかかえた
靖国の未亡人だって。
全然、若く見られなかったんです。
でも、若い頃に、老けて見られた人は……。 |
糸井 |
トシとっても、もつ。 |
上坂 |
かもしれない。(笑) |
糸井 |
今回は、
「老い」とか「長命」といったことが
テーマなんですが、
ご自分の老いや、
いくつまで生きたいとか、
意識なさることはありますか? |
上坂 |
私、古希なんですよ。 |
糸井 |
ああ、70歳。 |
上坂 |
自分で「古希だ、古希だ」と言い聞かせないと
実感はないんですけど、
朝、新聞の「訃報欄」は
よく見るようになりましたね。
名前よりも、「この人、いくつかしら」と。
70代というのは、
わりとよく人が死んでるんです。
それで自分でも
「いくつくらいで死ねたら、
いちばんいいかな」
ということはよく考えますね。 |
糸井 |
ご自分なりの目安というと。 |
上坂 |
やっぱり75歳くらい。
私の母も75歳で亡くなったせいかしら。 |
糸井 |
じゃ、あまり先がないですが……。 |
上坂 |
ないです(笑)。
70になりますと、
さほど長くは生きられない。
少なくとも嬉しいことが嬉しく感じられ、
おいしいものがおいしいと感じられる年月は、
もうそんなにないぞということは、
よくわかるんです。
だから、気持ちが張ってるというか、
しょぼくれないうちに、
偶然のきっかけで
死ねたらいいなあと思います。 |
水野 |
今のお話、僕は正しいと思うね。
なぜ正しいかと言うと……、
日本は厚生省なんかが
老人対策とか言うてるけど、
根本的に間違ってるのは、
65歳以上をすべて
“老人”とひとくくりにする、この決め方ね。
医学的には正しくない。
老人の分け方はアメリカのほうが正しいです。 |
糸井 |
アメリカではどうなんですか。 |
水野 |
60歳から老人と言う。
“オールド”ちゅうわけです。
その中でも、60から75歳までが
“ヤング・オールド”。 |
上坂 |
ほお。 |
水野 |
つまり若い老人。
このヤング・オールドは、
「仕事があれば働くことができる」年代。
例外はあるけれど、
決定的な病気にならないというのが
75までね。
で、75から90歳までを、
“オールド・オールド”と言う。
この年代になると、
アルツハイマーや骨粗鬆症、
寝たきりになったりとかあるでしょ。
だから、そうなる前の
「75歳で死にたい」とおっしゃるのは
正解なんです。 |
上坂 |
ああ、正しかったのね。 |
水野 |
それじゃあ90歳以上はどう言うかと言えば、
“オールド・パー”だと。 |
上坂 |
アハハハハ。 |
水野 |
僕が言うんじゃないよ。
日本語ができるアメリカ人が言うたんだけどね。 |
糸井 |
熟成した
“VSOP”かな、と。(笑) |
水野 |
僕自身はどうかと言えば、
うちは代々長生きはしないと言われながら、
長生きしとる。
親父は生まれたときから体が弱く、
医者に「10歳までもたない」と言われたのね。
それで長男なのに姉に養子を迎えたわけで。
だけど92歳まで生きましたから。
僕も生後3日目に百日咳になって、
「5歳までもたない」と言われたのが、
今、73歳でしょ。
おふくろが死んだのも92歳。
普通、人が自分の死を考えるとき、
基準にするのは両親が死んだ年齢なんですよ。
だから、僕なんか……。 |
糸井 |
90代まではいきそうですね。 |
水野 |
ただ、上坂さんと同じで、
むちゃくちゃ長生きしたいとは思わないね。 |
上坂 |
私、長生きは恐ろしいです。
できればしたくない。
やたら長く生きたら困るという思いが
先立ちます。
とくに昭和一桁生まれは
仕事ばかりやってきたでしょう。
長生き時代に必要な準備が
まったくないんです。
趣味もないですし。 |
糸井 |
趣味、ありませんか。 |
上坂 |
いわゆる教養の幅が狭いと言うか、
音楽を聴いて楽しいとか、
歌舞伎を観て嬉しいとか、
鑑賞のために必要な素地の訓練が
できてないんです。
戦争中に育ち、
戦後はひたすら働いてましたから。 |
糸井 |
時代的な宿命もあるのか。 |
水野 |
「昭和一桁五大特徴」というのがあって、
ダンスはできない、英語はしゃべれない、
仕事だけが生きがい、
出てきた料理は全部食う(笑)
……もう一つ、なんやったかな。
そういうのが特徴なの。 |
糸井 |
ちょいと切ないですね。 |
上坂 |
戦争が終わって食糧難のときに
社会人になりましたでしょ。
いちばん柔軟なときに、
とにかく食べるために
一所懸命に働いていたわけね。
前に進むだけで精一杯。
気がついたときには
もうすべて固まっちゃって、
いろんな趣味などを
受け入れられないような体になってた。 |
糸井 |
時間ができても楽しみ方を知らない。
ワリを食っておられる世代だと。 |
上坂 |
そうなんです。 |
水野 |
「働かざる者、食うべからず」が身についてる。
僕は、いつ死ぬとかあんまり考えず、
生きてる間は
生きているんだろうということで
今日まできてるんですが、
しかし、70代になっても原稿を書いたり、
こうして座談会に出てくるとは
思ってなかった。
そやけど、いつの頃からかなぁ、
人が働けというならやるか、
という気分になって、
今も何かかんかやってまして、
そんなにヒマではないです。 |
上坂 |
私も、ここまで仕事をすると思わなかった。
60歳以後も仕事をしてるバカがあるか、
と思ってたんですけどね。 |
水野 |
僕にしろ上坂さんにしろ、
なぜまだ仕事をしてるかと言うと、
自由業って
もともとクビになった職業なんです。 |
糸井 |
あらかじめクビになった職業? |
水野 |
定年退職を初めからしているみたいなもので、
また定年退職することはない。
それでまだ働いてるわけです。 |
糸井 |
政治家なんかだと、
60歳以上の人がたくさんいますね。
面白いのはトシをとっても
妙に元気そうに見える。 |
上坂 |
あれは異人種ですよ。 |
糸井 |
異人種ですか。
政治家の医学的特徴みたいなもの、
ないんですか。 |
水野 |
医学的にはどうか知りませんけど、
ストレスには強いですね。
ストレスを生きがいに転化する能力があるのが
政治家。
この点だけは生物としてすごいと思う。
それに選挙で鍛えられてるからね。
選挙を経るごとに強くなってる。 |
糸井 |
首相の森さんも丈夫そうだし。 |
水野 |
あれだけ悪く言われても、
「悪口でもいいから言ってくれ」
というような感じでしょ。
ある意味ではたいしたもんで、
そこだけは見習わないといけない。 |
糸井 |
上坂さんは、
自分でストレスに強いと思われますか。 |
上坂 |
はい。打たれ強いと思います。
いじめられると、血沸き、肉躍る。
「よし来た。我に反論の根拠あり」
なんていうときには
若さが体中にみなぎってきます。 |
水野 |
上坂さんも、
ストレスを生きがいに転化する能力を
おもちなんですよ。
ある種の特技かもわからん。
原稿を書くのを負担に感じないでしょ。 |
上坂 |
そりゃ負担には感じません。 |
水野 |
でしょ。
ずーっと見てて、僕はそう思ってたんだ。 |
上坂 |
敵を意識して原稿書くのは、
何よりのストレス解消! |
水野 |
しかしね、
たいていの人間は負担に感じるんだよ。 |
上坂 |
そうかしら?
負担なら書かなきゃいいじゃないの。 |
水野 |
いや、そうじゃないんだよ。 |
糸井 |
こういうやり取りが面白い。(笑) |
水野 |
負担ではあるけれど、
書きたいし、書こうとするわけやね。
ところが上坂さんの場合、
何をしても楽しそうなんだ。 |
上坂 |
そうね。
でも、楽しそうに見えるのは、
トシとってからですよ。
やっぱり無意識のうちに
自分のエネルギーを計算してるんでしょうね。
どうせ残り少ないエネルギーなら、
イヤなことはやりたくないって。 |
水野 |
それはわかるような気がする。 |
上坂 |
ノンフィクションを書いてて
感じるんですけど、
この仕事にも定年があると思いますよ。
今、40、50代のときの作品を見て、
よくここまで調べたなと
自分で感心しますもの。
たとえば
『生体解剖−−九州大学医学部事件』を
書いていたとき、
被告がここからここまで
20分で歩いたという記録があると、
「ほんとにこの時間で歩けるかしら」と、
すぐに九州に飛んで、
自分で実際に歩いたりしてね。
今だったらおそらく電話で済ませますよ。
「誰かちょっと調べてみて」と。
そうなると書く内容も変わってくる。
ですから体力の衰えとともに、
私の仕事にも限界があるような気がします。 |
(つづきます)