第2回
抗老期を過ぎて |
糸井 |
自分が老いたなと思ったとき、
素直に受け入れられるものなんですか。 |
上坂 |
私が初めて老いに関する原稿を頼まれたのが
60歳のときで、
『朝日新聞』の家庭欄に、
「老いの周辺」を連載で書いてくれと。
そのときはやっぱり
相当ショックを受けましたねぇ。 |
糸井 |
「その仕事を私に」というのが? |
上坂 |
そうそう。
電話口で、「エッ、私がですか?」って、
はしたなくも言っちゃいましたよ。
その後、
「老けてなんかいられない」というので、
“抗老期”なんていうタイトルの本を
出したけど、
今はもうその時期も通り過ぎちゃって。
老いに逆らったり抵抗したりするのは
無意味でムダだって、
ごく自然に思うようになってます。 |
糸井 |
それが今の実感なんですね。 |
上坂 |
老いてくると、
人生の枠がだいたい見えてくるんです。
自分にできることと、できないこととが。
そして、嬉しかったことも楽しかったことも、
遠くの景色みたいになる。 |
糸井 |
現実感が希薄になる……。 |
上坂 |
希薄というか、濾過されるのね。
大事なものは手元にいくつも残らない。
ならば、これから先は
なるべく楽しいことを選んでいこう、みたいな。 |
水野 |
まあ、人間はいずれ死ぬんだしね。
僕が今の社会で非常に気になるのは、
あまりにも
生きてることにこだわる人が多いこと。
地球の歴史を46億年とすると、
人間の歴史なんてせいぜい1千万年ですよ。
数百万年という説もある。
地球の歴史を1年365日に当てはめると、
人類の誕生は
大晦日の午後10時何分頃になってようやく、
というくらいなものです。
そのくらい人間の歴史は浅いし、
まして一人の人間の生なんて短い。
だから、あまり大きなことを考えるなって
言いたい。
死んだらそれまでなんだし。 |
上坂 |
うんうん。 |
水野 |
だいたい今の医学は、
「生」や「死」に手を出しすぎてると思うんだな。 |
糸井 |
「長く生きさせる」ことが、
プライオリティのすごく上位にきてますね。 |
水野 |
それが社会自体をゆがめています。 |
糸井 |
僕は父親の死を看取ったんですが、
機械や装置に囲まれて、
かわいそうでしょうがなかった。
「1分でも1秒でも長生きさせてあげたい」
という言い方は、
言葉としてはきれいですけど……。 |
上坂 |
長生きコンテストじゃあるまいし、ねぇ。 |
水野 |
機械に支えられた命は長い間もつんですよ。
それを生きてると言うか死んでると言うかは、
いろいろ議論があります。
でも、機械や装置がなければ、
あっという間に死んでたわけでしょ。
それを、
どっちが幸せかという問題提起をする人は、
あまりいないですね。 |
上坂 |
私は70を越えて、
「どうせ死んでいくんだ」という思いが、
何を考えるときにも、
うっすら前提として
頭に浮かんでくるようになりました。 |
糸井 |
僕は52歳ですが、
やっぱり同じことを思うんですよ。 |
上坂 |
えーッ、私が52、53歳の頃は、
「頑張るぞ!」しかなかったですよ。 |
糸井 |
いや、今、ものすごく楽しいんですよ。
で、「頑張るぞ」と「死ぬんだな」は、
わりに矛盾しないんです。 |
水野 |
つまり、残された時間を
頑張るということでしょ。 |
糸井 |
そうそう。 |
水野 |
「いつかは死ぬ」と思ったほうが、
気が楽というのもある。
おとうさんが亡くなるのを看取られたとか、
そういうことも関係あるのかもしれない。
僕は親父が死んだとき、ある編集者に、
「親の死をどう受け止めているか書け」
と言われてね。
その人は戦後出てきた
希代の編集者と言われた人ですが、
もう亡くなった。
それから戦後の編集者と言えば……。 |
糸井 |
その辺の話になると、
止まらなくなりそうですね。 |
水野 |
もう一人すぐれた編集者もおりましたが、
彼もずっと前に死んだし……。 |
上坂 |
その話を変えましょう、と
糸井さんがおっしゃってるのに、
まだ続けてるのが老化というものよ。(笑) |
水野 |
いや、そういうふうに
人が死ぬということが身近にないと、
52歳の若さで
糸井さんのような心境にならない。
だからおとうさんの死も無駄ではないと、
これが言いたかった。 |
糸井 |
ちゃんと、そこへ戻ってくる。 |
上坂 |
お見事!
老人の知恵。(笑) |
水野 |
今日のテーマに近づくよう
配慮はしとるんです。(笑) |
上坂 |
トシをとると、自分の死は怖くないですね。
私なんか独り者で思い残すこともないし。
どこか適当なところで
適当な形で死にたいと思うだけ。
ですから、安楽死などは
非常に関心のある問題です。 |
糸井 |
でも75歳になったらもういいやと思っても、
誕生日が来て、
「じゃあ、さいなら」ってわけには……。 |
上坂 |
いかないわね。 |
水野 |
難しいのは個人差があること。
75歳を過ぎれば、
みんなアルツハイマーになったり
脳梗塞の後遺症があるというのなら別です。
だけどそうじゃない。
それをクリアし、
なおかつ元気で100を越えて生きてる人が
小1万人いますからね。 |
糸井 |
僕の生母が81歳なんですけど、
人間ドックに行ったらまったく健康で、
医者に「どういう人だ!?」と
皮肉を言われたそうなんです。
そんな話を聞くと嬉しいんですよ。
ということは、
「長命はめでたい」という
意識があるんでしょうね。
そのくせ死一般について語るときは、
「長生きなんかしなくていい」と
生意気なことを言ってる。
ボディの中にある長生きを喜びたい感覚と、
脳で考える
「人間はどうせ死ぬんだから」というのと、
自分の中に両方あるんです。 |
上坂 |
こういう場合、親とか血族は例外なんですよ。
親はいつまでも生きてて、
あったかい体であってほしいものなの。 |
水野 |
それと、おかあさんが健康な場合と、
「いや実は痴呆で」というのでは、
やっぱり受け止め方は違うと思います。 |
糸井 |
うん、それは違うでしょうね。
長生きと言えば、古くから
「不老不死」という価値観がありますが。 |
水野 |
不老不死には医学的に矛盾があってね。
人間の細胞は一定期間、
ある程度分裂を繰り返すと
スーッと消えていくんです。
ところが永久に生きる細胞があって、
それがガン細胞。
全身すべてガン細胞なら不老不死になるけど、
それって、いったいどんな人間なのか……。 |
上坂 |
でも今は、不老不死なんてことに
誰もあまり魅力を感じないんじゃないかしら。 |
糸井 |
それにしても、今、日本人の平均寿命は
ずいぶん延びてますね。 |
水野 |
長生きするにはいろいろな要素があるけど、
いちばんの原因は食生活やと思うね。
これ言うとお医者さんは怒るけど、
僕は、医者が貢献した部分は
そんなにないんじゃないかと思う。 |
糸井 |
あ、そうなんですか。 |
水野 |
たとえば結核という病気は
昭和30年代から
患者の数も死亡率も急に減って、
これは新しい薬ができたからと
思ってるでしょう。
だけど違うんです。
食生活の改善によるものなんです。 |
上坂 |
あら、そう。 |
水野 |
栄養がよくなったことによる影響は大きくて、
日本は昭和30、40年代頃から
食生活が激変した。
そして今や、男も女も脚なんか
カモシカのごとくですよ。
ただ、食生活が豊かと言っても、
アメリカのように、
ワラジみたいなサーロインステーキ食って、
アイスクリーム3つ平らげたあと、
顔の半分くらいのチーズケーキを食うといった
極端なことをしてたら心筋梗塞のもとです。
もう一方の極端が、
日本のかつての食事である漬物と味噌汁。
今の日本の食生活は、
アメリカと昔の日本のちょうど中間にあって、
うまいこといってる。
それが、平均寿命が
世界のトップである理由だと思うね。 |
(つづきます)