第1回
「旅」か「旅行」か
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糸井 |
僕は、自分で旅が好きなのか嫌いなのか
わからないんです。
基本的にはどこにも行きたくない。
定住していたくてしょうがない人間で、
毎日決まった時間に電車で通勤するのが
一つの憧れだったりするくらいです。
なのにどういうわけか、
そうじゃない方向にいっちゃう。
そして、いったん行ってしまうと、
これが楽しいんです。
行ってよかったなと思う。 |
白幡 |
僕の友人にもそういう人間がいました。
旅行は嫌いだと言いながら、
僕が海外をだいぶ連れ歩いたら、
外国好きになってね。
出るまでは言語のプレッシャーだとか、
いろいろ考えることがあるわけです。
それが行ってみると、
意外に人間は適応力があってクリアしちゃう。
で、帰ってくると「よかった」と。
ただ、再度出ていくまでには、
また気力や体力をすごく要するらしいですけど。 |
糸井 |
白幡さんは『旅行ノススメ』という本を
お書きになってますが、
「旅」と「旅行」は違うわけですよね。 |
白幡 |
その背景に悲惨なことや苦労といった、
いろんな精神的なものを背負っているときに、
人は「旅」と言いますね。
つまり、苦行であると。
実際、昔の旅は困難を伴っていた。
旅に出たくない人がいるのは、
もともと大変な行為だったという歴史が
われわれの五感の中に残っているからかもしれません。
今は、旅をするときの基本となる
足と宿といった環境はすごく整ってます。
そうして無用な苦労や危険をできるだけ取り除いて
できあがったものが「旅行」なんですね。 |
糸井 |
旅ではなく、あえて旅行ノススメというのは? |
白幡 |
旅にくらべると、
旅行には軽いイメージがありますよね。
パック旅行だと、自ら卑下して、
「ツアーなんか行っちゃったよ」
なんて言う人もいます。
そういう気後れを解き、
気楽に旅行をしましょうということです。
自分の知らない土地・人間・風俗を楽しむ
−−そんな旅行の体験はぜったいに損じゃないし、
まずは外に出てみることが大事ですから。
これが旅だったら、ほっといても行く人は行くし、
すすめられて行くものでもないし。 |
糸井 |
西江さんは、旅行よりも旅の人ですよね。
学生時代にアフリカ大陸を縦断したのを皮切りに、
一般の人があまり行かないような国にも
次々と行かれて。 |
西江 |
行ったのは五十ヵ国ほどでしょうか。
仕事の関係で同じところに何度も行くこともあります。
旅というよりは、調査活動や仕事があるままに、
世界中を転々と……。
南米のギアナ、インド洋のコモロ国、
太平洋の西のヴァヌアツ国など、
あまり行く人はいないようですね。 |
糸井 |
西江さんのご本を読むと、
彷徨といってもいいほど「旅」の連続で、
定住地がない。
それで中島みゆきさんの歌を思い出しました。
「帰るところのなくなった旅人は、
いる場所のない人間だ」
というような歌がありましてね。
でも僕ら、普通に暮らしていると、
帰るところがない感覚って
味わったことないもんなぁ。 |
西江 |
僕はそればかりです。
帰るところが基本的にないから、
ついには風来坊。 |
糸井 |
移動のつど、そこが生活の場となるわけですか。 |
西江 |
だから、旅立ちは、その土地との別れだと……。 |
糸井 |
帰ることを考えない。 |
西江 |
「人生は旅だ」と言いますけど、
僕は多分、ずっとそんな感覚で
生きてるんじゃないかと思いますね。
これを好きでやっている人にときどき会いますが、
普通、三年続く人はなかなかいないですよ。
嫌だけれど、行き詰まったら戻れるという場所を、
たいていの人はもっていますから。 |
糸井 |
西江さんはどうして続いてるんでしょう。 |
西江 |
僕も、本当は一つのところに定住したい。
でも、その一つところを買う金がどうしても作れない。 |
糸井 |
そうだったんですか。 |
西江 |
そうですよ。
若い頃は、就職先があれば
そこにずっといたいと思いながら、
何の因果か仕事で呼ばれてあちこち行くうちに、
旅から旅へと……。
もちろん本心から嫌いだったらできないでしょうが。
四十歳のとき、大学の教師という定職についてからは
東京に部屋を借りて、
何とか仮の住まいはできました。 |
糸井 |
じゃあ、今は半定住ですね。 |
西江 |
さっきの「旅」と「旅行」の違いの話ですけど、
旅というのは簡単に言えば、常に「道中」です。
道中には、いろんなことがあるし、
それがどんなものか予測もつかないのです。
旅行は行く先は決まっているし、
帰りも保証されている。
道中なしで、ただ行ってから目的地で
何をするかということですね。
これがパックツアーとなると、
目的地ですることもすべて決まっていて、
行く前に全部わかっているものを
確認しに行くというか、
「絵ハガキで見たのと同じだ」
と安心して帰ってくる。
ただ、これは、悪いことじゃないですよ。
僕はむしろ、非常にいいことだと思ってます。 |
白幡 |
実際に確認できるだけでも意味がある。
ルートもつくられてて、
ある種の安心感もありながら、
自分にとっては全部、新しい体験。
旅とは違うかもしれないけど、
あとあとまで記憶に残るものだし、
やっぱり面白さはありますよ。
そうそう、僕はツアーの体験が一度だけあるんです。
トルコをバスで一周したんですけど、
トルコの大地の中で日本の人間関係なんかが
そのまま出てくる。
買い物するにしても集合するにしても、
ああやっぱりこうなるな、というのがあったり。 |
糸井 |
案の定……。(笑) |
白幡 |
その一方で、案の定でない
トルコ人の反応があるでしょう。
向こう側の驚くべき異文化と
日本的なものとがぶつかるとこんなふうになるのかと、
ものすごく面白かったですね。 |
糸井 |
西江さんは中学生の頃に、
ネイティブ・アメリカンの言語やアイヌ語を
研究なさってたんでしょう。
インドネシア語やアラビア語、ハンガリー語なんかも
学生時代に独学でマスターしたとか。
人があまりやってないような言語に
興味をもって勉強したというのも、
その後の旅人生に通じるような気がするんですが。 |
西江 |
研究、マスターなどというものからはほど遠い、
子どもの遊びです。
それにもともとは外国に出るために
言語を勉強したんじゃないんです。
話すと長くなりますけど、
子どもの頃から僕は自然児で、
サル少年、ネコ少年と言われていたんです。
うちでは、あの子はいつも屋根の上にいるか、
縁の下にもぐっているかのどっちかで、
まともなところにはいないと(笑)。
学校の二階から階段降りるのも面倒くさくて、
いつも飛び降りてました。 |
白幡 |
身軽だったんですね。 |
西江 |
サルだったんです(笑)。
高校では器械体操をやってて、
東京の高校の大会で一位にもなりましたが、
実は、サルの動きを必死で矯正する訓練をしたら、
なぜかそうなったというだけで。 |
白幡 |
器械体操?
僕もやってたんです。
ただ、僕はサル少年じゃなかったけど。 |
西江 |
サルやネコ、スズメでもいいんですが、
生き物が好きな人には三タイプあって、
一つはペットとして飼いたくなる人。
二つめは観察したくなる人。
三つめが、自分がネコやスズメになりたいと思う人。
僕は四、五歳の頃から三つめのタイプでした。
ネコの通り道を自分で通ってみて、
この穴だったらすり抜けられるとか、
コウモリの飛び方を真似してみたり。
絵も、ネコの目から見た近所の地図、
アリから見た地図、トンボ地図とか、
そんなものばかり描いてたんです。 |
糸井 |
はーあ。 |
西江 |
そして、スズメならスズメのそれぞれの顔を全部、
覚えていたし、
コオロギの鳴き声も一匹一匹、
聞き分ける努力をしていました。
つまり個体別に識別しようとしてたんです。
二日前にあそこにいたコオロギが、
きょうはこんなところまで来ているとか……。
実際にはそんなにうまくいきませんでしたが、
思いだけは強かったです。
そんな小さな頃、うちの近所にへんなおばさんがいて、
何かブツブツ言いながら歩いてたんです。
あとで聞いたら外国人、ドイツの人とわかったけど。 |
糸井 |
ブツブツはドイツ語だった。 |
西江 |
さらに、近所にアメリカ人の宣教師が来たんです。
電話でわけのわかんない声を出して
ペチャクチャしゃべっては、笑ったり真剣な顔をしてる。
これは英語だったわけですが、
へんなおばさんにしろ宣教師にしろ、
あの不思議な声の向こうには何か僕の知らない
大変な世界があるに違いないと思ってね。
だから外国語への興味じゃなく、
要はドイツ人もアメリカ人も
ネコやトンボ、コオロギと同じで(笑)。
ともかく、未知のものの後ろには
ものすごい世界が隠されているぞと。
これはいまだにずっと思っています。
(つづく) |