第5回
最後に戻るところ |
糸井 |
そういえば僕、幼稚園に上がる前、
自転車の子ども用の台に乗せられて、
親父がどこか行くのについていったことがあって、
それが記憶にある僕の最初の旅なんです。
夜で、いつもは寝てる時間だったから
嬉しいような怖いような、
妙に親と仲良くなってるような、
いろんな要素が全部その中に入っている。
そういうはじめての旅の思い出ってありますか? |
白幡 |
僕が思い出すのは、あのへんに
珍しい昆虫がいそうだというので出かけたけど、
いつもの自分の行動範囲を超えてしまったんですね。
帰り道はわからないし、日は暮れてくる。
グルグル歩いているうちに、
ようやく方角がわかって、
家にたどりついてホッとするという……。
最初の旅も、定住の場所に
戻ってくるというものだったんです。 |
西江 |
これは僕の記憶というより、人から聞いた話ですけど、
僕は幼稚園か保育園に行って
教室に居ついたことがないと。
親が僕を幼稚園に送って家に戻ると、
なんと僕のほうが先に帰ってたりする。
見つからないような道を通って
先回りしたに違いなんです。
今もどこへ行こうが帰り道は心配しなくて、
戻りたいところにたどりつける。 |
糸井 |
帰りというと、僕は外国から帰ってくるとき、
飛行機が成田に近づいてくると嬉しくてしょうがない。
新幹線でも多摩川を越えた辺りから嬉しくなる。
そんなことないですか。 |
白幡 |
僕は日本の街の灯が見えたときが嬉しいんじゃなくて、
飛行機から香港の街が見えたときも嬉しいし、
ロンドンに着くときもオーッという感じです。 |
糸井 |
僕の場合、日常の“僕の世界"というのがあって、
そこの人たちに会うのが懐かしいってことなのかなぁ。
たった三日間なのに(笑)。
旅に伴う孤独感とか寂しさを感じることはありますか? |
西江 |
僕は砂漠のど真ん中やジャングルの中に一人でいるとき、
何がいちばん怖いかといったら、
夜、何かコソッと物音がして、
もしかしたらそれは人間じゃないかと思うときなんです。
人は人を頼って生きている。
と同時に人がいちばん恐ろしい。
これが人間ってものなんですね。 |
糸井 |
じゃあ、寂しさが出てくる余裕はないんだ。 |
西江 |
ぜんぜんない。
ただ一度、すごい孤独感を感じたことはあります。
ソマリアで、西部劇に出てくるような瓦礫の山の砂漠を
何週間も一人で越えたんです。
自分がたてる音以外、何も聴こえないから、
無性に音が聴きたくなった。
それが砂漠を越えて
当時のフランス領のジブチに入ったとたん街があって、
キャフェから流れる音楽、人の声、車の音が
いっぺんに聴こえてきた。
そしたら、ぞっとするほど寂しくてね。
僕の生涯で、そのときくらい
孤独に思えたことはなかった。 |
糸井 |
なんか、詩ですね。 |
白幡 |
西江さんは人のいないところに
たくさん行ってらっしゃいますが、
僕は逆に人の住んでいるところしか行かない。
人がいるということは俺も住めるし、
心配ないという発想なんですね。 |
糸井 |
旅、あるいは旅行するとき、
どんなものにいちばん興味をひかれます? |
白幡 |
海外に行くとき、
以前は日本にないものを見てたんですよ。
それがこの頃は、
外国の中の日本ばかり見ていますね。
小錦のポスターがあったとか、
豆腐アイスクリームがあるとか。
日本文化の研究所にいるからかもしれませんが(笑)。
そして外を見ているだけじゃなく、
自分自身、自分との関係を見ているような気がします。 |
西江 |
僕はどんなことでも面白いですね。
よく外国の何とか村というものを紹介した本があって、
読むと面白かったりするでしょう。
だけど僕が子どもの頃に気づいたのは、
その村が面白いんじゃなくて、
実は書いた人が面白いんだと。
その人は何とか村を面白がれる力があるんです。
そう考えると、世界中どこでも面白い。
ただ実力がない人は、
なるべく変わったものでないとよく見えないんですね。
本当にすごい実力があったら、
もうまわり中面白くてたまらないはずです。 |
糸井 |
面白がれる実力ねえ。
こうして話を聞いているのも旅だなあ。 |
白幡 |
動かないでする旅もあるけど、
旅や旅行は基本的に外に出ていくものですよね。
じゃあ、遊牧民にとっての旅って何だろう。
彼らには、定住こそがすごい体験だと思うんです。 |
糸井 |
だったら、遊牧民にとっては、
同じ場所にとどまることが旅なんだ。 |
白幡 |
だから旅って両義的なんですね。 |
糸井 |
こう聞いてくると、旅と人生はとても近いんですが、
旅や旅行をし続けているお二人は、
どんなふうに自分の旅の終わりを考えているんでしょう。 |
西江 |
簡単です。
終わりを計画しない。
これだけは計画通りにならないし、
もしかしたら人生の美しさも、
終わりを計画できないことじゃないでしょうか。 |
白幡 |
僕もほとんど何も考えてはいません。
もともと単純にナイアガラの滝が見たいとか、
エッフェル塔に登ってみたいとか、
そういうのが僕の旅行のスタートだったわけですね。 |
糸井 |
好奇心みたいな。 |
白幡 |
“移動する好奇心"が僕の旅行の定義なんです。
それで旅行でイヤなことを排除するために
計画を立てたり、
ホテルを予約したりはするけれど、
思いどおりにいかず、
イヤなこともいっぱい出てくる。
けれどもこれが「瓢箪から駒」じゃないですが、
旅として面白いものに転化するんです。
つまり、計画したものであっても、
計画できない面白さがいっぱいつまっている。
西江さんじゃないけど、
人生もそうだろうと思うんですよ。
だから最後の最後までミーハーな好奇心をもったまま、
楽しい夢を見続けるんでしょうね。 |
糸井 |
僕は今、気づいたんです。
成田に着くぞというときのあの喜びが、
死ぬときのオレにもあるかもしれないなって。
“ああ、懐かしいなぁ”と死ぬときに思えたら、
自分らしいかなと。 |
白幡 |
最高の楽しみかもしれない。 |
糸井 |
実際には、「イヤだ」とか叫んじゃうんでしょうけどね。
それにしても、
つくづく僕はホーム好きなんだなあ。(笑)
(おわり)
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