第4回
真面目に驚こう
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糸井 |
今、日本人は自分の国が平和だと思っていますね。
あちこち外国に行ってらっしゃると、
日本人の過度な安定志向が
すごく目立つことはありませんか。 |
西江 |
僕は明日はわからないという気持ちを、
いつももっているんです。
今この瞬間に病気に冒されているかもしれないし、
外へ出れば交通事故にあう可能性もある。
戦争になるかもしれない。
だからといって人はいつも
悲劇的に青い顔をしているわけじゃなくて、
楽しみもある。
楽しみの隣に地獄ありきなんです。
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糸井 |
それを、安住している人たちは否定しようとしてる。
不安を感じたくない。
今、日本で死体を見たら、びっくりしますよね。
僕の親父は戦争に行ってた。
人を殺してるんです。
ひと昔前まで、そういう状況は
いっぱいあったんですよね。
ところが今、女性誌でも広告の世界でもそうですけど、
まがまがしいものはいっさいないことにして
物語を組み立てている。
僕はこれ、マズいなと思って。 |
白幡 |
日本人は旅行好きと言われますよね。
その中には、やっぱり満たされないというか、
安定志向の中の反発があるような気がします。 |
糸井 |
ああ、たまっている。 |
白幡 |
そのたまっているものの解消の仕方の一つが
旅行でもあるんじゃないか。
これも安定型のやり方ですけどね。
いわゆる文明国って、そんな感じですよ。
そうして平安を保っている。 |
糸井 |
考えれてみば、ワイドショーも
まがまがしさを強調して報道してますよね。
視聴者も、
「うっそー、信じられない、こんな人いるんだ」
と言いながら見てる。
そうすると、ワイドショーも旅なのかな。
ちょっと違う話かもしれないけど、
台風なんかくると、
テレビで中継を見るのが嬉しくてしょうがない。
びっくりするものが向こうから来ると
大喜びするんです。
それも僕にとっての旅ですね。 |
白幡 |
うんうん、そういうふうに座ってて、
向こうから来る旅もあるんですね。 |
西江 |
まあ、旅では道中、おやっ? と驚くとか、
そういう部分はいちばん重要ですよね。
ただ僕がよくないなと思っているのは、
日本も含めて、文明国とみんなが言っている
世界に共通することですけど、
驚きをとにかく言語に置き換えないと気がすまない。
あそこのケーキはおいしかったとか、
パリのエッフェル塔を見たら、
何年にできて高さは何メートルとか。
味わっても触れても見ても聞いても、
すべて言葉にしようとするでしょう。 |
糸井 |
目盛りを持ち出すんですね。 |
西江 |
言語を否定するわけではありませんが、
すべてを言葉に置き換えるのが
人間だと思い込んでいるから、
真面目に驚く人が
少なくなってきているんじゃないかな。
キャーッと驚いて踊っちゃったとか、
驚きのあまり、
思わずうちに帰って天プラあげちゃったとか(笑)。
驚きの表現は何でもいいはずだけど、
無理に言葉に置き換えるという作業が、
驚きを別のものにしてしまっている。 |
糸井 |
その意味では、僕は才能があるな。
誰かと一緒に旅行してて、
「きれいだなあ」
というやつがそばにいると腹が立つんですよ。
きれいだけじゃない、なんか言うに言われぬ驚き、
それを大事にしたいのに。 |
白幡 |
視覚的なものは写真で記録できるかもしれないけど、
匂いとか味は記録できないし、言語にもしづらい。
そこで感じたものは一回きりで生き続けるわけですね。
そういう魅力が旅行にはあるし、
言葉の呪縛からはずれることが
旅行のいちばん大きな機能かもしれません。 |
西江 |
人とのこともそうです。
僕は砂漠なら砂漠で出会った人と、
二人で手をとって歩きながら、
どちらかが失敗したら死ぬだろうという
ギリギリの状況でふた月、三月と一緒に過ごしたといった
経験がたくさんあるんです。
別れのときが来たら、もうその人とは生涯会えない。
手紙を書こうにも相手は字を読めないし、
居場所もわからない。
そういうことを何十回と重ねてきて……。 |
糸井 |
まさに出会いも一度きり。 |
西江 |
そのときの思いはずっとあとまでついてくるんですけど、
それこそ言葉じゃ表現できない。
いや、したくない。 |
糸井 |
そういう思いも含めて、
体験が個人の中に蓄積されていくんですね。 |
西江 |
だから僕の立場として、
他人の言葉じゃなく、何でも自分で確かめたい。
これは自分で大切だと思ったことは、
面倒くさいと思わないんです。
十代の半ば頃ですが、
ブルー、青色がああだこうだという話を
友人としていていまして。
どうも琉球−−復帰前の沖縄ですが、
あのあたりの海は青いらしいというんで、
その青さを見るためだけに、
一人で片道五日間かけて琉球まで行きました。 |
糸井 |
そういう旅が今も続いている。 |
西江 |
ということですね。
どこかの街に行って、そこから少し離れたところに
見たいものがあったとするでしょう。
そしたら僕は、お金がかかっても、
どんなに無理してでも行く。
あきらめたら、
次にその街に行く機会すらないかもしれない。
こういうことではすごく贅沢にならなきゃダメなんです。 |
白幡 |
贅沢に、貪欲に。 |
糸井 |
やっぱり江戸っ子ですね。
初鰹はどんなことしても食う。 |
西江 |
初鰹一匹、どうってことないじゃないか、
となると旅はできない。
(つづく)
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