BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。

「旅」か「旅行」か

第2回 モノをためない人

第3回 日常からの脱出

第4回
真面目に驚こう

糸井 今、日本人は自分の国が平和だと思っていますね。
あちこち外国に行ってらっしゃると、
日本人の過度な安定志向が
すごく目立つことはありませんか。
西江 僕は明日はわからないという気持ちを、
いつももっているんです。
今この瞬間に病気に冒されているかもしれないし、
外へ出れば交通事故にあう可能性もある。
戦争になるかもしれない。
だからといって人はいつも
悲劇的に青い顔をしているわけじゃなくて、
楽しみもある。
楽しみの隣に地獄ありきなんです。
糸井 それを、安住している人たちは否定しようとしてる。
不安を感じたくない。
今、日本で死体を見たら、びっくりしますよね。
僕の親父は戦争に行ってた。
人を殺してるんです。
ひと昔前まで、そういう状況は
いっぱいあったんですよね。
ところが今、女性誌でも広告の世界でもそうですけど、
まがまがしいものはいっさいないことにして
物語を組み立てている。
僕はこれ、マズいなと思って。
白幡 日本人は旅行好きと言われますよね。
その中には、やっぱり満たされないというか、
安定志向の中の反発があるような気がします。
糸井 ああ、たまっている。
白幡 そのたまっているものの解消の仕方の一つが
旅行でもあるんじゃないか。
これも安定型のやり方ですけどね。
いわゆる文明国って、そんな感じですよ。
そうして平安を保っている。
糸井 考えれてみば、ワイドショーも
まがまがしさを強調して報道してますよね。
視聴者も、
「うっそー、信じられない、こんな人いるんだ」
と言いながら見てる。
そうすると、ワイドショーも旅なのかな。
ちょっと違う話かもしれないけど、
台風なんかくると、
テレビで中継を見るのが嬉しくてしょうがない。
びっくりするものが向こうから来ると
大喜びするんです。
それも僕にとっての旅ですね。
白幡 うんうん、そういうふうに座ってて、
向こうから来る旅もあるんですね。
西江 まあ、旅では道中、おやっ? と驚くとか、
そういう部分はいちばん重要ですよね。
ただ僕がよくないなと思っているのは、
日本も含めて、文明国とみんなが言っている
世界に共通することですけど、
驚きをとにかく言語に置き換えないと気がすまない。
あそこのケーキはおいしかったとか、
パリのエッフェル塔を見たら、
何年にできて高さは何メートルとか。
味わっても触れても見ても聞いても、
すべて言葉にしようとするでしょう。
糸井 目盛りを持ち出すんですね。
西江 言語を否定するわけではありませんが、
すべてを言葉に置き換えるのが
人間だと思い込んでいるから、
真面目に驚く人が
少なくなってきているんじゃないかな。
キャーッと驚いて踊っちゃったとか、
驚きのあまり、
思わずうちに帰って天プラあげちゃったとか(笑)。
驚きの表現は何でもいいはずだけど、
無理に言葉に置き換えるという作業が、
驚きを別のものにしてしまっている。
糸井 その意味では、僕は才能があるな。
誰かと一緒に旅行してて、
「きれいだなあ」
というやつがそばにいると腹が立つんですよ。
きれいだけじゃない、なんか言うに言われぬ驚き、
それを大事にしたいのに。
白幡 視覚的なものは写真で記録できるかもしれないけど、
匂いとか味は記録できないし、言語にもしづらい。
そこで感じたものは一回きりで生き続けるわけですね。
そういう魅力が旅行にはあるし、
言葉の呪縛からはずれることが
旅行のいちばん大きな機能かもしれません。
西江 人とのこともそうです。
僕は砂漠なら砂漠で出会った人と、
二人で手をとって歩きながら、
どちらかが失敗したら死ぬだろうという
ギリギリの状況でふた月、三月と一緒に過ごしたといった
経験がたくさんあるんです。
別れのときが来たら、もうその人とは生涯会えない。
手紙を書こうにも相手は字を読めないし、
居場所もわからない。
そういうことを何十回と重ねてきて……。
糸井 まさに出会いも一度きり。
西江 そのときの思いはずっとあとまでついてくるんですけど、
それこそ言葉じゃ表現できない。
いや、したくない。
糸井 そういう思いも含めて、
体験が個人の中に蓄積されていくんですね。
西江 だから僕の立場として、
他人の言葉じゃなく、何でも自分で確かめたい。
これは自分で大切だと思ったことは、
面倒くさいと思わないんです。
十代の半ば頃ですが、
ブルー、青色がああだこうだという話を
友人としていていまして。
どうも琉球−−復帰前の沖縄ですが、
あのあたりの海は青いらしいというんで、
その青さを見るためだけに、
一人で片道五日間かけて琉球まで行きました。
糸井 そういう旅が今も続いている。
西江 ということですね。
どこかの街に行って、そこから少し離れたところに
見たいものがあったとするでしょう。
そしたら僕は、お金がかかっても、
どんなに無理してでも行く。
あきらめたら、
次にその街に行く機会すらないかもしれない。
こういうことではすごく贅沢にならなきゃダメなんです。
白幡 贅沢に、貪欲に。
糸井 やっぱり江戸っ子ですね。
初鰹はどんなことしても食う。
西江 初鰹一匹、どうってことないじゃないか、
となると旅はできない。

(つづく)

第5回 最後に戻るところ

2000-07-01-SAT

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