第3回 日常からの脱出
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糸井 |
西江さんは生まれも育ちも東京で、
最後は東京に定住しようという気持ちはないんですか。 |
西江 |
最後じゃなく、最初からいたいんだけど、
いられなかったんですよ。 |
白幡 |
日本は真の旅人には住みにくいですか。 |
西江 |
僕は自分の皮膚の外は全部、
「異境」だと思ってるんです。
その異境の中でいちばん怖いところといえば、
東京です。
みんな自分に姿が似ていて、すごくやりにくい。 |
糸井 |
スズメの顔を覚えた西江さんにしても、
個体識別がしづらいのか。
それに都市的になっていけばいくほど、
旅人さんは親切を受けにくくなりますね。
袖すりあうも……と言いますけど。 |
西江 |
袖、すりあわないです。
ただ、スリに出会うだけ。 |
糸井 |
たしかにね。
白幡さんが旅行に行きたいと思うのは
どういうときですか。 |
白幡 |
外国から帰って二、三ヵ月すると、
次、行きたくなります。
簡単に言えば、
皮膚感覚みたいなものが飽和状態になってくると、
それを破りたくなる。 |
糸井 |
日常のリズムを壊したい。
じゃあ、旅はお祭りでもあるわけだ。 |
白幡 |
そうです。
日常というものを
どれだけの期間耐えられるか、引き受けられるかは、
人それぞれでしょうが。
僕はさっき西江さんの話に出た
コモロとか、戦時下のイランにも
行ってみようと思ったことがありました。
だけど現実には我が身一つではないし、
「ちょっとそれはやめといたほうがいいんじゃない」
と言われれば、
「はい」と。
そういうことが自分の常識に取り込まれていますね。 |
糸井 |
定住のリズムをどこまで壊せるか。
その度胸はどんどんなくなりますよね。 |
白幡 |
年齢が上がるにつれ、
常識だとかずいぶんいろんなものが
皮膚感覚の中に入ってきます。
ただ、それを破りたいという思いは、
意欲としては薄れるにしても、
ずっとあるとは思うんですよ。 |
糸井 |
豊かになればなるほど、
守るべきものがたくさん出てくる。
それを守りつつ、
異界とのコミュニケーションを楽しもうとすれば、
旅が旅行化、観光化していくのも当たり前ですね。 |
白幡 |
ただ、体験はそのつど新たに生まれるものだし、
どうしたって個人的なものだから、
旅行であっても、旅的な部分は
なくならないんじゃないでしょうか。 |
糸井 |
旅の準備で、僕が爪切りを持っていくように、
日常、繰り返していることを、
旅先でも保証するみたいなこだわりはありませんか。 |
白幡 |
パスポート、航空券、現金にカード、
これだけは忘れないよう出発前に箱に入れてますけど、
他の準備はまったくしない。
基本的に何とでもなると。
ただ徹底度は西江さんにくらべると……。 |
糸井 |
くらべちゃダメですね。(笑) |
西江 |
僕は移動するときには必ず、
行き先の下調べはできるだけ細かくやります。
下調べがあればあるほど移動は楽になる。 |
白幡 |
えっ、ちょっと意外な気がする。 |
西江 |
いや、事前に図書館などで調べてなくても、
機内や空港に地図とかパンフレットが
置いてあるでしょう。
あれでいいんです。
それを見て、この辺にホテルが固まってるから
安い宿もあるだろうとか、公園とか高い建物といった
目印になるものも見当つけておく。
だから、初めての街でも迷ったり困ったことないです。 |
糸井 |
船舶を扱うときには観天望気といって、
湿気とか風、日の光なんかで
状況判断することが大切らしいんです。
それに似ていまね。
言葉の問題はどうですか。 |
白幡 |
言葉ができるできないは、
僕はほとんど苦にならない。
どこへ行っても大丈夫だと思っています。 |
西江 |
言葉を知らなくても、
歩くくらいは何とかなります。
アフリカの奥地に入って、
はじめて耳にするの言葉を話す人々に出会っても、
その装いやふるまいから、
ある程度は相手を理解するのは簡単です。 |
白幡 |
そうか、簡単ですか。 |
西江 |
日本語や英語、フランス語、ドイツ語なんていうのは
所詮、同じような仕組みを持ったものの変種ですけど、
人間の言葉には考えられないような
仕組みをもっている言語もざらにあります。
しかし、共通しているのは、
いろいろな音声を使っている点ですね。
たとえば「カ」と言っても、
いろいろな種類のカがあって、
それによって意味が異なる。 |
糸井 |
じゃあ、音を聞き分ける。 |
西江 |
僕は糸井さんがどんな声を出しても、
今、舌がこう上がっているとか、
どことどこが接触しているとか、
口の中を断面図を、ほぼ間違いなく描けますよ。
そうやって音声を判断し、
あとは組み合わせ、規則性を引き出す。
同じことを意味の単位でも行なう。
言語の仕組みを捉えるには、
「これは何ですか」
と単純に尋ねても無駄です。
(つづく)
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