BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。


虫は好きですか
(全3回)


糸井/子どものとき、セミの寿命を気の毒に思った
川上/思った、思った
矢島/あれに同情して、なんで2週間なんですか、
なんて言うのはまだ大人じゃないね(笑)

ゲスト
川上弘美(作家)
矢島稔(昆虫学者)

構成:福永妙子
写真:大河内禎
(婦人公論2000年5月22日号から転載)

〜婦人公論編集部 打田いづみさんのコメント〜

お三方とも、すごいんですよ。
「ガラス管でショウジョウバエをチュッと吸う時」とか、
「セミの幼虫の味」とか
「アリを一日中見つめている喜び」を、
目を輝かせ、競ってお話しになります。

ここは新宿の高層ビルだというのに。
虫捕り網もないし、麦わら帽もかぶってないというのに。
いつしか、昆虫の森でセミを追いかけながら
お話をうかがっている気になりました。

「虫嫌いの私は、今までの人生を損してしまった」
――とは、後日、この座談会を読んだ
婦人公論読者から寄せられたお便りの一節。


矢島稔:
昆虫学者。
1930年東京生まれ。
東京学芸大学生物学科卒。
豊島園や
多摩動物公園で
昆虫園の設立に尽力、
上野動物園水族館館長、
多摩動物公園園長を経て、
現在は
「ぐんま昆虫の森」の
建設を準備中。
著書に
「黒いトノサマバッタ」
「ホタルが
教えてくれたこと」他

川上弘美:
作家。
1958年東京生まれ。
お茶の水女子大学
理学部生物学科卒。
82年〜86年まで
中学・高校で理科を教える。
94年「神様」で
第1回パスカル
短編文学新人賞、
96年「蛇を踏む」で
芥川賞を受賞。
他の著書に
「物語が、始まる」
「あるような
ないような」など
糸井重里
コピーライター。
1948年、群馬県生まれ。
「おいしい生活」など
時代を牽引したコピーは
衆人の知るところ。
テレビや雑誌、
小説やゲームソフトなど、
その表現の場は
多岐にわたる。
当座談会の
司会を担当。

第1回
虫愛づる姫と昆虫少年
糸井 ご婦人には虫が苦手という方が多いですが、
川上さんは違うんですね。
川上 大学の生物学科を出たもので。
矢島 “虫愛づる姫君”ですか。
川上 とくに昆虫だけ、というわけではなく、
生物全般が好きなんです。
糸井 女子大でしたよね。
クラスメートもみなさん、虫は平気?
川上 ええ。
たとえばショウジョウバエを使った
遺伝の実験のときなんか、
交尾する前のハエを
別々にしてなくちゃいけないんですね。
それで、生まれてから何時間か以内に
ガラスの菅でハエをチュッと吸って
他の容器に移すんです。
孵化したハエが
いつ交尾するかわからないものだから、
友達はハエの瓶をいつも肌身離さず持ってました。
通学途中も、
生まれたハエが交尾しちゃうとマズいというので、
電車の中でチュッとか吸って……。
糸井 電車でハエをチュッですか。(笑)
川上 ほんとはもうちょっと余裕があって、
何も電車でそんなことしなくていいんだけど、
みんな好きなもので(笑)。
私はそこまで熱心じゃなかったけど、
小学生のときに読んだ『ファーブル昆虫記』では、
ファーブルがセミの幼虫とか食べちゃうでしょう。
私も一度食べてみたい、と思う少女ではありましたね。
矢島 セミの幼虫はおいしいですよ。
川上 やっぱり、おいしいですか。
矢島 素揚げにするとフライ・ビーンズ風の味でね。
木の汁を吸ってるからクセもない。
ビールのおつまみに最高です。
糸井 イナゴならよく食ってたけどな。
僕も群馬での少年時代から、
昆虫に馴染んでましてね。
今でも日向ぼっこしてるときなんか、
地面のアリを眺めたりするのが好きなんです。
甘いものを置くと、
単なる点のように見えていたアリが
たちまちワーッと群がって黒山になる。
別の場所にまた甘いものを置くと、
そっちに分散したり。
そういうのを俯瞰して見てると、
俺たち人間も多少の迷いはあるけれど、
ほんとはこんなものかなと思えてスカッとする。
川上 アリの中にも、
みんなとぜんぜん違う動きをしているのがいますね。
矢島 昆虫学者がマーキングをして
−−印をつけないと見分けがつかないので−−
観察したところによると、
せっせと餌を運んでると思いきや、
サボッてて何もしないのがけっこう多かったと。
糸井 やっぱりねぇ。
甘いものを置いたとき、
最初にどのアリが気づくんだろうとか、
群れのなかに
別の種類のアリを入れたらどうなるかとか、
観察してると飽きないですよ。
上からアリの社会を眺めていると、
自分が神になったみたいな気もするし。
僕の憧れは、巣の断面が
透けて見られるような模型でアリを飼うこと。
女王様がここにおられて、
他のアリがせっせとここで働いているとか、
スケスケの断面を見て楽しみたい。(笑)
川上 私は昆虫を捕まえること、
それ自体が好きでした。
東京生まれですが、
子どもの頃、虫はわりとたくさんいたんですよ。
ただ私の場合、捕まえても怖くてすぐに放しちゃう。
糸井 何が怖いんですか?
川上 すぐに死ぬでしょう。
あるときスズムシを捕まえて飼い始めたんですが、
これが卵を産んで次々増える。
人間がしばらく飼ったものは
庭に放してもすぐに死ぬと言われて、
オタオタしてるうちに、
翌年、翌々年とスズムシの飼育カゴが
すらり並ぶようになっちゃって。
泣きながら、「どうしたらいいの」……。
糸井 スズムシが増えて困った経験は、
けっこうたくさんの人がしてるんじゃないかな。
僕も50人くらいに
スズムシを配ったことがあります。
川上 私は結局、死ぬのが怖いというところで行き詰まって、
本格的な昆虫少女にはなれなかったんですよね。
糸井 捕まえてたのは、どんなもの?
川上 バッタやイナゴとか。
見る夢ですごく嬉しいパターンが私には二つあって、
一つは地面を掘ると
10円や100円玉がザクザクと出てくる夢。(笑)
もう一つは、草むらに入ると
大きなイナゴがいっぱいいて、捕まえ放題の夢。
糸井 わかる、わかる。
川上 セミとりもけっこう得意でしたね。
糸井 (自慢げに)僕もセミとるの、ものすごくうまいんです。
とり方のコツは「自分はいない」って思うこと。
矢島 それ、とても大事なことです。
糸井 俺はいないという状態にどんどん自分を近づけ、
すっと手を伸ばす。
川上 手で?
糸井 (キッパリと)手でとるのが面白いんです。
捕虫網だとか、何か武器に頼るとね、
心がおろそかになる。
川上 そうか……。私は捕虫網だったな。
風を起こさないように
静かに網を水平に持っていって、ポンと。
やっぱり気配を消すのがポイントですね。
糸井 小さな子どもとか下手な人は、
朝とればいいんです。
殻から抜け出たばかり、羽根も濡れてて、
まだ木の高いところに上がっていないセミが
いくらでもとれます。
これがまた可愛いくてね。
でも、自分がとるセミにも
いいセミ、悪いセミがあるんですよ。
群馬はアブラゼミが多くて、
それは僕にとっては、いわば“はした金”。
大きいけれど、安いという。
矢島 何が高かったんですか?
糸井 理想は羽根の透けてるセミで、
ミンミンゼミ、クマゼミ。
川上 クマゼミいました?
糸井 いないから憧れだったんです。
矢島 最近でこそクマゼミは東京でも見ますけど、
もともとは名古屋より西にいたんですね。
関西の人は
シャッシャッというクマゼミの声を聞かないと、
夏が来たとは思わないんだそうです。
川上 そうなんです。
私、名古屋と関西にも住んだことがあって、
えっ、セミが違うって、びっくりしました。
矢島 東京には今7種類のセミがいます。
4月頃に出てくるハルゼミ、
そのあとにニイニイゼミ、ヒグラシ、ミンミンゼミ、
アブラゼミ、クマゼミと続いて、
秋のツクツクホウシ。
僕は毎年、
それぞれのセミの声をはじめて聞いた日を
日記につけていて、
これがもう40年になります。
川上 私もそれ、つけてます。
雑記帳に、今年は何月何日にあれが鳴き始めたとか。
セミだけじゃなくて、
スズムシの声を聞くとメモしたり。
誰かに報告するというわけじゃなく、
自分一人でエヘヘ、と(笑)。
そういえば、
「しづかさや岩にしみ入る蝉の声」
という芭蕉の句のセミは、
何ゼミだったんでしょう。
矢島 斎藤茂吉は最初、
あれはアブラゼミに違いないと主張したんですね。
その後、あの句の舞台となった立石寺で
3年越しの調査をして、
結局、アブラゼミではなく、
ジャーッと鳴くニイニイゼミだと結論づけてます。
糸井 嘘か本当かわからないけど、
ドイツ人がセミの声を聞いて、
「鳴く木がある」と驚いたという話がありますが。
矢島 それ、上野動物園での話です。
古賀さんという当時の園長さんだった方から、
僕は直接、うかがいました。
糸井 事実だったんだ!
矢島 ええ。
ヨーロッパのアルプスから北には
セミは2種類しかいなくて、
しかも1センチくらいで声も小さい。
日本のようにミーンとかジーッと鳴くセミを、
あちらの方たちは知らないんです。
糸井さんのおっしゃるエピソードを説明しますと、
上野動物園で昔、
ドイツのハーゲンベック動物園からゾウを買い、
飼い方の指導のため
ドイツ人の飼育係が2ヵ月ほど日本に滞在したんです。
いよいよ帰国というとき、
園長さんが
「お礼を差し上げたい」
と言うと、
彼はアオギリの木を指して、
「あの鳴く木をください」
と答えたんですよ。
夏中、木から何かの鳴き声が聞こえていた。
だけど鳥の姿はない。
それで彼はてっきり、
木が音を出してると思ったんですね。
糸井 セミがウケたのなら、
スズムシもいいかもしれない。
パリなんかで、
路上に絵描きたちが並ぶそばでスズムシを売ったら
商売になるかも−−と、僕、いつも思ってるんだなあ。

第2回 ゴキブリは金持ちだ?

第3回 アリの国家戦略

2001-06-28-THU

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