第1回
虫愛づる姫と昆虫少年
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糸井 |
ご婦人には虫が苦手という方が多いですが、
川上さんは違うんですね。 |
川上 |
大学の生物学科を出たもので。 |
矢島 |
“虫愛づる姫君”ですか。 |
川上 |
とくに昆虫だけ、というわけではなく、
生物全般が好きなんです。 |
糸井 |
女子大でしたよね。
クラスメートもみなさん、虫は平気? |
川上 |
ええ。
たとえばショウジョウバエを使った
遺伝の実験のときなんか、
交尾する前のハエを
別々にしてなくちゃいけないんですね。
それで、生まれてから何時間か以内に
ガラスの菅でハエをチュッと吸って
他の容器に移すんです。
孵化したハエが
いつ交尾するかわからないものだから、
友達はハエの瓶をいつも肌身離さず持ってました。
通学途中も、
生まれたハエが交尾しちゃうとマズいというので、
電車の中でチュッとか吸って……。 |
糸井 |
電車でハエをチュッですか。(笑) |
川上 |
ほんとはもうちょっと余裕があって、
何も電車でそんなことしなくていいんだけど、
みんな好きなもので(笑)。
私はそこまで熱心じゃなかったけど、
小学生のときに読んだ『ファーブル昆虫記』では、
ファーブルがセミの幼虫とか食べちゃうでしょう。
私も一度食べてみたい、と思う少女ではありましたね。 |
矢島 |
セミの幼虫はおいしいですよ。 |
川上 |
やっぱり、おいしいですか。 |
矢島 |
素揚げにするとフライ・ビーンズ風の味でね。
木の汁を吸ってるからクセもない。
ビールのおつまみに最高です。 |
糸井 |
イナゴならよく食ってたけどな。
僕も群馬での少年時代から、
昆虫に馴染んでましてね。
今でも日向ぼっこしてるときなんか、
地面のアリを眺めたりするのが好きなんです。
甘いものを置くと、
単なる点のように見えていたアリが
たちまちワーッと群がって黒山になる。
別の場所にまた甘いものを置くと、
そっちに分散したり。
そういうのを俯瞰して見てると、
俺たち人間も多少の迷いはあるけれど、
ほんとはこんなものかなと思えてスカッとする。 |
川上 |
アリの中にも、
みんなとぜんぜん違う動きをしているのがいますね。 |
矢島 |
昆虫学者がマーキングをして
−−印をつけないと見分けがつかないので−−
観察したところによると、
せっせと餌を運んでると思いきや、
サボッてて何もしないのがけっこう多かったと。 |
糸井 |
やっぱりねぇ。
甘いものを置いたとき、
最初にどのアリが気づくんだろうとか、
群れのなかに
別の種類のアリを入れたらどうなるかとか、
観察してると飽きないですよ。
上からアリの社会を眺めていると、
自分が神になったみたいな気もするし。
僕の憧れは、巣の断面が
透けて見られるような模型でアリを飼うこと。
女王様がここにおられて、
他のアリがせっせとここで働いているとか、
スケスケの断面を見て楽しみたい。(笑) |
川上 |
私は昆虫を捕まえること、
それ自体が好きでした。
東京生まれですが、
子どもの頃、虫はわりとたくさんいたんですよ。
ただ私の場合、捕まえても怖くてすぐに放しちゃう。 |
糸井 |
何が怖いんですか? |
川上 |
すぐに死ぬでしょう。
あるときスズムシを捕まえて飼い始めたんですが、
これが卵を産んで次々増える。
人間がしばらく飼ったものは
庭に放してもすぐに死ぬと言われて、
オタオタしてるうちに、
翌年、翌々年とスズムシの飼育カゴが
すらり並ぶようになっちゃって。
泣きながら、「どうしたらいいの」……。 |
糸井 |
スズムシが増えて困った経験は、
けっこうたくさんの人がしてるんじゃないかな。
僕も50人くらいに
スズムシを配ったことがあります。 |
川上 |
私は結局、死ぬのが怖いというところで行き詰まって、
本格的な昆虫少女にはなれなかったんですよね。 |
糸井 |
捕まえてたのは、どんなもの? |
川上 |
バッタやイナゴとか。
見る夢ですごく嬉しいパターンが私には二つあって、
一つは地面を掘ると
10円や100円玉がザクザクと出てくる夢。(笑)
もう一つは、草むらに入ると
大きなイナゴがいっぱいいて、捕まえ放題の夢。 |
糸井 |
わかる、わかる。 |
川上 |
セミとりもけっこう得意でしたね。 |
糸井 |
(自慢げに)僕もセミとるの、ものすごくうまいんです。
とり方のコツは「自分はいない」って思うこと。 |
矢島 |
それ、とても大事なことです。 |
糸井 |
俺はいないという状態にどんどん自分を近づけ、
すっと手を伸ばす。 |
川上 |
手で? |
糸井 |
(キッパリと)手でとるのが面白いんです。
捕虫網だとか、何か武器に頼るとね、
心がおろそかになる。 |
川上 |
そうか……。私は捕虫網だったな。
風を起こさないように
静かに網を水平に持っていって、ポンと。
やっぱり気配を消すのがポイントですね。 |
糸井 |
小さな子どもとか下手な人は、
朝とればいいんです。
殻から抜け出たばかり、羽根も濡れてて、
まだ木の高いところに上がっていないセミが
いくらでもとれます。
これがまた可愛いくてね。
でも、自分がとるセミにも
いいセミ、悪いセミがあるんですよ。
群馬はアブラゼミが多くて、
それは僕にとっては、いわば“はした金”。
大きいけれど、安いという。 |
矢島 |
何が高かったんですか? |
糸井 |
理想は羽根の透けてるセミで、
ミンミンゼミ、クマゼミ。 |
川上 |
クマゼミいました? |
糸井 |
いないから憧れだったんです。 |
矢島 |
最近でこそクマゼミは東京でも見ますけど、
もともとは名古屋より西にいたんですね。
関西の人は
シャッシャッというクマゼミの声を聞かないと、
夏が来たとは思わないんだそうです。 |
川上 |
そうなんです。
私、名古屋と関西にも住んだことがあって、
えっ、セミが違うって、びっくりしました。 |
矢島 |
東京には今7種類のセミがいます。
4月頃に出てくるハルゼミ、
そのあとにニイニイゼミ、ヒグラシ、ミンミンゼミ、
アブラゼミ、クマゼミと続いて、
秋のツクツクホウシ。
僕は毎年、
それぞれのセミの声をはじめて聞いた日を
日記につけていて、
これがもう40年になります。 |
川上 |
私もそれ、つけてます。
雑記帳に、今年は何月何日にあれが鳴き始めたとか。
セミだけじゃなくて、
スズムシの声を聞くとメモしたり。
誰かに報告するというわけじゃなく、
自分一人でエヘヘ、と(笑)。
そういえば、
「しづかさや岩にしみ入る蝉の声」
という芭蕉の句のセミは、
何ゼミだったんでしょう。 |
矢島 |
斎藤茂吉は最初、
あれはアブラゼミに違いないと主張したんですね。
その後、あの句の舞台となった立石寺で
3年越しの調査をして、
結局、アブラゼミではなく、
ジャーッと鳴くニイニイゼミだと結論づけてます。 |
糸井 |
嘘か本当かわからないけど、
ドイツ人がセミの声を聞いて、
「鳴く木がある」と驚いたという話がありますが。 |
矢島 |
それ、上野動物園での話です。
古賀さんという当時の園長さんだった方から、
僕は直接、うかがいました。 |
糸井 |
事実だったんだ! |
矢島 |
ええ。
ヨーロッパのアルプスから北には
セミは2種類しかいなくて、
しかも1センチくらいで声も小さい。
日本のようにミーンとかジーッと鳴くセミを、
あちらの方たちは知らないんです。
糸井さんのおっしゃるエピソードを説明しますと、
上野動物園で昔、
ドイツのハーゲンベック動物園からゾウを買い、
飼い方の指導のため
ドイツ人の飼育係が2ヵ月ほど日本に滞在したんです。
いよいよ帰国というとき、
園長さんが
「お礼を差し上げたい」
と言うと、
彼はアオギリの木を指して、
「あの鳴く木をください」
と答えたんですよ。
夏中、木から何かの鳴き声が聞こえていた。
だけど鳥の姿はない。
それで彼はてっきり、
木が音を出してると思ったんですね。 |
糸井 |
セミがウケたのなら、
スズムシもいいかもしれない。
パリなんかで、
路上に絵描きたちが並ぶそばでスズムシを売ったら
商売になるかも−−と、僕、いつも思ってるんだなあ。 |