BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。


ハゲという迷宮
(全4回)


「それは額かハゲか?」は本人のみぞ知る。
なぜ私たちは「ハゲ」と口にしづらいのか?
ハゲさん受難の理由は何なのか?
夫の、彼の、父の頭髪が気になるあなたへ

構成:福永妙子
写真:橘蓮二
(婦人公論1999年11月22日号から転載)


呉智英
評論家。
東京理科大学講師。
1946年愛知県生まれ。
鋭い切り口で、
社会思想評論から
マンガ評論までを
手がける。
著書に
『封建主義者
  かく語りき』
『現代マンガの全体像』
『賢者の誘惑』など。

清水ちなみ
コラムニスト。
1963年東京生まれ。
全国各地に
1万人の会員を有する
娯楽団体
「OL委員会」を主宰
(本誌
  「私生活微向上計画」
 でもおなじみ)。
『禿頭考』(小社刊)
『おじさん改造講座』
『にんじんだもの』
他著書多数
糸井重里
コピーライター。
1948年、群馬県生まれ。
「おいしい生活」など
時代を牽引したコピーは
衆人の知るところ。
テレビや雑誌、
小説やゲームソフトなど、
その表現の場は
多岐にわたる。
当座談会の司会を担当。


婦人公論井戸端会議担当編集者
打田いづみさんのコメント

「はっきり言いなさい、はっきりと!
 アナタ、口ごもるということは、
 そこに差別意識があるということではないですか!?」

いまだかつてない緊張感で臨んだ、呉先生への依頼。
座談会のテーマを、1回は「ハゲ」と口にしたものの、
繰り返すのがためらわれ、
アノ、とか、ソレ、などという単語で説明していた当方を、
先生が一喝されました。

もうお一方のゲストには、『禿頭考』という著書があり、
もはやハゲ研究がライフワークになりそうな清水さん。

遠慮も照れも偏見も排して、
それぞれが語った2時間半。
いやはや、男と女と毛髪のカンケイは、
かくも奥行きのあるテーマでありました。

第1
第3次性徴が来た!?

糸井 いきなりですが、ハゲ、禿頭、光頭、薄毛……、
男性特有の脱毛状態を、どう呼ぶのがいいんでしょう。
俺は、ゲーハーと言ったほうがいいような気がするんだ
「GH」と書いてゲーハー。(笑)
糸井 ホモをモーホーと言うみたいなもんですね。
ちなみに呉さんは、いつ頃から
「きちゃったな」と悟られました?
若い頃はハゲると思わなかったんだよ。
親戚には白髪とハゲの両系統あって、
子どもの頃から白髪のほうになれと念じてたけど、
30代くらいから反対のほうにいっちゃって……。
40過ぎたらもう諦めがきたね。
今じゃ、82歳の親父のほうが俺より髪があって、
「おまえ、薄くなったなぁ」って言われるんだよ。
糸井 親子の絵として、おかしい。
俺ね、女性誌でゲーハーの話するの、
ちょっと抵抗があったんだ。
糸井 なにゆえに?
学生時代なんか、同じ下宿の連中と銭湯に行って、
男同士、おまえのアレは大きいなぁ、
俺の小っちゃいんだとか言い合うの、楽しかったじゃん。
糸井 楽しかないよ、別に。
楽しいって(笑)。
それが男が一人、女湯に入って、
女が大きい小さいとか言いながら
俺のことを見てると思うと、なんかイヤじゃない?
女性の前でゲーハーの話をするのは、
それに近いものがある。
糸井 ほう……。
学生時代の仲間が集まると、
40も過ぎりゃ、おまえ頭薄くなったなとか、
おまえは白いなという話は必ず出るけど、
あれは昔、大きいの小さいと言ってたのと同じで、
ほとんど青春に返ったような気持ちなのよ。
男同士だから小さかろうか大きかろうが、
ハゲてようがハゲていまいが関係ない。
ところが、対女性意識が入ると
意味が違ってきちゃうんだよ。
糸井 そこのところを知りたいんだな。
清水さんは、『禿頭考』という本も出してる
ハゲ研究家です。
女なのに?
清水 私、ハゲに関してのお仕事があれば、
ノーギャラでも行っちゃいます。
お父さん、お兄さんがそうだとか。
清水 父はもうツルッツル。
それで小さい頃からゲーハーが好きだった。
清水 というより、すごく関心があるんです。 こんなに顕著に
人生を左右している現状があるにもかかわらず、
なぜ誰もそれを研究していないのか。
そのあたりが興味をもったきっかけですね。
糸井 呉さんがさっき言ったみたいに、
男同士の親しい関係ではハゲだの何だの言えるけど、
普通だと、当事者の前では
口ごもっちゃうようなところがあるじゃない?
ところが清水さんの著書によれば、
フランスでは口ごもらないんだって。
ハゲ、オッケー。
清水 もう、まったくオッケー。
面と向かって「ハゲ」と言うことについて、
言うほうも言われるほうもぜんぜん平気。
悪口の材料にならないんです。
欧米って、そうみたいですよ。
糸井 じゃあ、日本ではなぜ口に出しづらいのか。
僕が思うに、ハゲという言葉自体が、
“欠損"をあらわしているからじゃないか。
語源的には多分、
「剥ぐ」「剥ぎ取る」からきてると思うんだよね。
糸井 本来あったものを剥ぎ取ったと。
つまり、「ある」という存在が前提になって、
それに対し、「欠けたるもの」ってことでしょう。
「ある」に対して「ない」。
だから悪いと。
それは「ブス」と言うのと同じように、
すでに言葉からして、
ありうべき姿ではないっていう意味を含んでるのよ。
あるのが普通だという物差しを
最初にもってきているところが、
ハゲという言葉を使っちゃダメだという意識の
ベースになってるんじゃないかなあ。
それは、なかなか有力な説ですね。
糸井 それが西洋では、
状態としての「そういうもの」と
「こういうもの」であって、
「ある」「ない」じゃない。
それから西洋人の場合、見た目的にも
ゲーハーがあまりみっともなくないんだよね。
もともと髪の毛が金髪とかプラチナブロンドだったり、
茶色でも色が薄いから、
髪の毛と肌の色とあまり違わなくて、
ハゲても目立たない。
日本人は地肌の色が白っぽくて、髪の毛が黒いでしょう。
だから滅び行く草原状態が
どんどんハッキリしてくるんだ。
糸井 研究してますねぇ……。
俺、アフリカに行って見たけど、黒人にもハゲはいる。
だけど黒と黒で目立たない。
で、東洋人だけなんですよ、ハゲが目立つのは。
清水 それは私も同感です。
「黒い毛の中の白いハゲ」は、
「金色の中の白いハゲ」「黒い中の黒いハゲ」より
確実に目立ちます。
それに東洋人は毛が太いんですよね。
それもあって、抜けると目立つ。
結局、目立つというのが不利なんですね。
糸井説でいうところの、“欠損"を強調しちゃうんだ。
清水 出産したとき、息子が黒々とした頭をしてたんですよ。
それで、毛の寿命がもし決まっているのなら、
赤ちゃんのときにハゲてても
何のストレスもないんだから、
今のこの黒々の分を、子どもが
60何歳かになったときの1年にまわしたいって、
私、真剣に思いましたね。
息子のことに関しては、ハゲが気になる親心(笑)。
毛の量ということでは、人間の首から上の毛の総量は、
年をとっても変わらないという説がありますね。
俺もそれ、実感したよ。
20何年、同じ床屋だけど、いつ頃からか、
床屋が耳の毛を切ってくれるようになってね。
それで耳毛が生えてきたことに気づいたんだ。
今じゃ床屋だけでは間に合わなくて、
自分でも切ってる。
じゃないと耳がかゆくってさ。
ヒゲだって若い頃は薄かったし、
眉毛もそんなに太くなかったのが、
頭が薄くなるにつれて、眉毛は村山(富市)状態。
ヒゲも濃くなっちゃって。
それで1、2年前からヒゲを生やしてるの。
清水 中年になって耳毛が生える話はよく聞きますね。
私、頭から毛が抜け始める一方で、
硬い耳毛が生える現象を、
第3次性徴じゃないかと勝手に思ってて。
糸井 第3次−−、いいねえ。
第4次もあるんじゃないかって気がして。
“セイチョウ"っていう響きもいい。
(つづく)

第2回 不毛のスケベ論法

第3回 カツラという正装

第4回 「すてきなおじさま」を探して

2000-10-09-MON

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