第1回
忘れられた身体
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糸井 |
いつも着物に袴姿ですか。 |
甲野 |
20年以上、ずっとこの格好です。 |
糸井 |
刀も持ち歩いているんですね。 |
甲野 |
携帯許可証は持っていますよ。 |
糸井 |
その姿でそんな長いものを持っていると、
「怪しい人」と思われたりしません? |
甲野 |
右翼の殴り込みと間違われたことがあります。
警官の職務質問も、ときどき……。(笑) |
糸井 |
でしょうねえ。
それはともかく、僕はビルの中で、
「もしこの建物の床が透けて下が見えたら」
と想像して、すごく怖くなったことがあります。
原始人だったら耐えられないようなことを、
現代人は日常的に経験していますね。
無意識のうちに理性で「大丈夫なんだ」
と判断しているから平気なんでしょうが、
なんだか自分の身体の感覚を
ごまかしごまかし生きているような……。
そういうストレスもあるんじゃないかと思うんですけど、
今、世の中を見渡してみると、「身体」というものが
すごく無視されている気がしませんか。 |
野村 |
日本では、身体のことは低く見られますね。
芸能でも、日本は話芸が盛んで、
落語や漫才をはじめ、ありとあらゆる
言葉の芸があります。
ところが身体芸というか、
パントマイムみたいなものには
あまり興味をもたれない。
言葉を使うのは高尚だけど、
身体を使うことはそれより低いみたいに思われている。 |
甲野 |
あるいは身体より「心」優先で、
精神論がやたらに強調されたり。 |
糸井 |
身体には、実はまだまだ僕らが気づいていない感覚や
能力が隠されているかも……。 |
野村 |
このあいだ、モンゴル研究のために
うちの大学院に志願してきた人がいました。
彼は視力が1.2だったのが、モンゴルに留学したら
2.0になっていたそうです。
アンデスの研究をしている私の同僚も、
同じような経験があると言っています。 |
糸井 |
そういうこと、本当にあるんだ。 |
野村 |
スイスの医師がアフリカの人たちの視力を調べたら、
最低でも7.0だったという話もあります。
こうなると普通の視力の基準ではとても測りきれない。
よく「正常値」なんて言いますけど、
何が正常値なのか。
そういうことから考えると、
人間の身体について私たちは
本当にわかっているのかと思いますね。
今のようにみなメディア化して、
直接ものに触れたり人に接することなく、
間に何か介在していると、よけいにわからない。 |
糸井 |
言語化、数字化できる情報だけ残っていって、
保存のきかない情報はどんどん消えている。 |
甲野 |
武道の世界もそうですよ。
武道学会での科学者の発表は、
表層的なことを数字や専門用語を並べて語るだけ。
そして身体感覚のような、
言葉で伝えにくいものは受け入れない。
私の武道の術理は、二本足で立って倒れまいとする
人間の特徴を利用するものなんですが、
科学者の論文で「人間は倒れまいとする」
と書くとバツ。
それは主観的表現であって、科学的表現ではないと。
「橋げたが橋梁を支える」というのも認められなくて、
「対応限度内」なんて言わなきゃいけないらしいです。 |
糸井 |
かえって、わけわかんなくなる。
硬直化した科学的表現では
伝えられないこともありますよね。
野村先生の仕事も人間の身ぶりやしぐさとか、
認められにくいことを掘り下げて……。(笑) |
野村 |
その社会に伝え継がれてきた身体表現から
見えてくるものがいっぱいある。
面白いですよ。 |
糸井 |
世界各地をいろいろ見てきて、身体の使い方で
「へえっ」と思われたようなことはありますか? |
野村 |
民族や地域によって、あらゆることが違います。
寝方ひとつとっても。 |
糸井 |
寝方? |
野村 |
たとえばギリシャの羊飼いの家は
ベッドがものすごく小さくて、
そこに足を縮めて寝るんです。
私が向こうで羊飼いの小屋に泊まったとき、
足を伸ばして寝ていたら、注意されちゃった。
クレタ島に古代ギリシャ・ミケーネ文明の
遺跡がありますが、残っているベッドはみな小さい。
子供用じゃなくて、多分、大人が寝ていたんですね。
フランスの山間部でも昔、タンスの形に似た
箱ベッドというのがありました。
背中を半分起こした状態で寝るんです。
ヨーロッパのホテルはやたらクッションや
枕がありますけど、半身を起こして寝る習慣の
名残じゃないかな。 |
糸井 |
寝るというのは人どうしが伝え合う機会が少ないだけに、
文化の違いが残りやすいんでしょうね。 |
野村 |
さっきの羊飼いの村では、みんな小刻みに眠るんです。
1時間くらい眠ってはまた起きて、というのを繰り返す。
羊を飼っていると、お産があったり、乳を搾ったり、
何度も起きて仕事をしなきゃいけないから、
そうなったんでしょう。
私も一晩それにつきあおうと頑張りましたが、
4時には寝てしまいました。(笑) |
糸井 |
出産直後の乳児をかかえた家族みたいなもんだ。 |
野村 |
それを彼らはまったく平気でやっている。
いったい睡眠って、どういうものなんだろうと思いますね。 |
甲野 |
動物だと、ゾウも小刻みに起きますね。
一時間以上同じ姿勢で寝ていると、
身体の重さで血管が圧迫され、その部分が壊死するから、
大変らしい。 |
野村 |
キリンなんかも、ほとんど寝ていないそうですね。 |
甲野 |
アマツバメは飛んでる途中に
三秒くらい寝て滑空して、
また飛び上がるというのを繰り返しているらしいです。
そのため足が退化して、めったに、
どこかに止まるということがない。
そういう人生、たまんないですけど。(笑) |
糸井 |
身体の使い方やしぐさで、
日本人に特徴的なものというと? |
野村 |
昔の「ナンバ」の動きなんかそうですね。
右足を出すときに右腕を出す。 |
糸井 |
能や狂言なんかに残っている、あの動きですね。 |
野村 |
それで右半身、左半身と交互に出して歩行に移るのが
「ナンバ歩き」。
伝統芸能研究家の故武智鉄二氏は、
農耕民族としての日本人に固有の動きだと言ってますね。
畑で鍬を持つ姿勢からきていると。
ただ、古代ギリシャの壺にもナンバの姿勢の絵が
見られますし、かつてのトルコの近衛兵団
「イェニチェリ」の行進もナンバ式だったようです。 |
甲野 |
少なくとも明治までは一般の日本人は
手を振って歩かなかった。
武士は左手は袖口か刀、右手に扇子、
手代や小僧は前掛けの下、
ご隠居は後ろとか手の位置も決まっていましたし。
手を振らないから、特別な訓練をしていない限り
疾走できない。
だから庶民は緊急事態のとき、
阿波踊りみたいに泳ぐような格好で逃げていたんです。
西南の役では、庶民から徴用で集めた官軍の兵士が、
走る訓練を受けていた薩摩兵にたちまち追いつかれ、
バタバタ斬られたそうです。 |
糸井 |
武士は走ったんですか。 |
甲野 |
いざ戦というときに走れるよう訓練していました。
だけど一般の人はそうじゃない。
明治十二年に陸軍の大演習をやったとき、
当時の日本人は走れない、急に曲がれない、
匍匐前進もできないということがわかり、
それで大改定運動をやるわけです。 |
野村 |
学校の音楽で西洋音楽を取り入れたのも、
情操教育以前に、リズムに合わせて歩いたり
走ったりする練習のためだったと言いますね。 |
甲野 |
将来の兵隊として役に立つように教育するというのが、
その頃の日本の命題でしたから。 |
糸井 |
じゃあ、日本人の今の歩き方は、たかだか百年くらい。 |
甲野 |
西洋的な身体の使い方が入ってきてからです。
昔は体育なんてなかったし、仕事するだけ。
身体の使い方も仕事の動作の延長線上にありました。 |
野村 |
だから職人仕事で居職(いじょく)だったら、
一日中座りっぱなしで、ほとんど歩かない。
散歩というのは、ものすごく新しい習慣でしょう。
テレビの時代劇を見ると江戸時代の庶民が
町を歩いていたりしますけど、実際には、
無目的に歩く人はほとんどいなかったんですよ。 |
糸井 |
「観光」と同じくらい新しいんでしょうね、きっと。 |
野村 |
ヨーロッパでもプロムナードなんていう散歩道を
町の中につくったのは18世紀の終わりくらいです。
ブルジョアたちが1日に2回くらい、
いい格好をしてそこを行ったり来たり、
デモンストレーションする。
そういう風習ができるまでは、
あまり歩くなんていうことはなくて、
じっと家にいたわけです。 |
糸井 |
そういうことを知ると、昔の映画をつくるのは大変だ!
欧米人は小さい頃から、歩き方の訓練をしますね。 |
野村 |
最低でも、足を上げて歩けとか、
親から言われるみたいです。
日本では富国強兵策のなかで
体をつくりかえるというのはありましたけど、
ふだんの歩き方の訓練は特にしない。
だから歩き方はまちまちですね。
足を引きずるような歩き方が多いのは、
ナンバ歩きの名残もあるんでしょう。
私の職場には外国からも大勢、研究者が来ているんですが、
日本人の名前は覚えられなくても、
歩き方で覚えているという人がいましたよ。 |
甲野 |
訓練で思い出しましたが、昔読んだ本に、
動物園の浅いプールで飼っていたアザラシを
深いところに入れたら、
すぐに溺れてしまったという話がありました。 |
糸井 |
アザラシが溺れちゃいけない。(笑) |
甲野 |
だけど私は「なるほど」と思った。
犬、猫だったら、一回も
泳いだことがなくても浮くでしょう。
あれは救命ボートみたいなもので、
とりあえず泳ぎは本能にインプットされている。
ところがアザラシのようにさまざまな状況のもと
自在に泳ぎ回る動物にとっては、
救命ボート的な泳ぎだけが本能にインプットされていると、
その泳ぎ方に拘束されてしまいます。
後天的に学ぶからこそ、多種類の泳ぎ方ができるわけで、
アザラシの泳ぎは文化なんです。
人間の場合は、歩き方をはじめ
ほとんどの動きが後天的ですね。 |
野村 |
人類学の二足歩行の研究でも、人間の骨格から言えば、
いちばん合理的な歩き方があるんだけど、
形質人類学といって、骨の減り方から探ると、
最古の人間が実際にそれをやっていたかどうかは
わからない。
むしろヒョコヒョコした歩き方をしていたことが
わかります。 |
糸井 |
もともとは下手だった。 |
野村 |
そう、下手だったんです。
ヨーロッパでも昔はいろいろな歩き方があったらしく、
今のように腕の振りの反動を利用して足を前に出し、
踵から着地するような歩き方というのは
19世紀くらいからじゃないですか。 |
甲野 |
歩き方も結局、どれが正しいということはない。
多様性があるのは、つまり文化なんですね。 |
糸井 |
固有の文化の中で、歩き方も形づくられていった。 |
野村 |
歩き方にも意味がある。
アフリカの言語には「歩く」を示す動詞が多いし、
ペルシャ語でも「孔雀のように歩く」とか
「雌鹿のように歩く」とか、
歩き方をあらわす比喩は多いようです。
ただ、今の日本人は、あまりにバラバラですよね。 |
甲野 |
日本の場合、ナンバ的な土壌があるうえに
西洋的なものも付加されているから、混沌としています。 |
野村 |
多様すぎると、逆に意味をもたなくなってくるんです。 |
糸井 |
そうすると今の日本は、様式を見失って、
みんながてんでんバラバラに何だかわからない状況で
身体を管理してる、みたいなところにあるんですね。 |
野村 |
そうじゃないでしょうか。
(つづく) |