第3回
我がなければ敵はない
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甲野 |
糸井さん、ちょっと私の相手をしてもらえますか。
(両者、向き合って立つ)
私がこう腕を出して糸井さんの顔に触れようとしますから、
それを払ってさわられないようにしてみてください
足も腰も自由に動かしていいですから
(互いに腕を交差させて力を入れる)。
この圧力をよく覚えておいてください。 |
糸井 |
うっ……
(必死に腕に力を入れて、甲野氏の腕を払おうとする)。 |
甲野 |
これ、どうですか。 |
糸井 |
アッ(甲野氏の腕を払おうとするが、逆に体勢が崩れる)。
すっごく、イヤな感じ(笑)。
よし、もう一回、やりますよ。
ハッ(払おうとして、また体勢が崩れる)。
アアーッ、やっぱりダメか。
なんか気持ち悪いなあ。 |
甲野 |
気持ち悪いでしょう。
なぜかというと、人間は二本足で立つことが
最優先だからです。
糸井さんは顔をさわられまいとしたけど、
身体のほうは自分が倒れまいとするほうの
優先順位が高いんです。
このとき、私の身体の支点がはっきりしていると、
糸井さんは安心して力を入れられるでしょう。
これは私の腕が杖になっているからです。
ところが私が身体を割って支点を消すと、
糸井さんは倒れまいとしているだけに、
私の瞬間的な変化に状況対応能力がついてこられない。
それで体勢が崩れるんです。 |
糸井 |
感じ悪いんです、膝カックンされたみたいで。(笑) |
甲野 |
私の身体の支点が消えると、
力がどこから来ているかわからないから、
糸井さんは不安になるんですよ。
そうすると腕の筋肉が方向を知ろうとする
センサーモードになって、力が入らないんです。
互いにガッチリ押し合っていれば、
腕も出力モードで強くなる。
相手を崩すには、自分が相手の杖にならなきゃいいんです。 それがさっきの技の原理です。 |
糸井 |
ステキ。(笑) |
甲野 |
十両の力士に相手をしてもらったことがあります。
私が前に出ていくのを、はたき込みしてくださいと
言ったんですね。
普通の人は足をまず出して体を保持します。
しかし私は足を出さず、上半身を低く投げ出すようにする。 そうすると、アーチ型の橋が潰されないのと同じ構造に
なり、相手がドンときても崩れない。 |
野村 |
逆に強くなるわけですか。 |
甲野 |
ええ。さわられた瞬間に強くなる。 |
糸井 |
さわられた瞬間に強くなるというのがいいですねえ。 |
甲野 |
そのかわり、私は接触には敏感ですよ。
相手の圧力を感じた瞬間にすぐ反応するよう
絶えずセンサーが働いていますから。
そんなわけで、どんなに素敵な女性であっても、
一緒にベッドで眠るなんてできない(笑)。
身体が触れているだけで眠くても寝られないんです。 |
糸井 |
そういう甲野さんを、野村さんが後ろから襲ったら、
どう対処しますか。 |
甲野 |
私は雑踏でポンと背中を叩かれても、
ぜったいにパッと振り返らないんです。
ゆっくりとこう見る。
後ろから襲う際の一番よくある方法が、
ポンと叩いてサッと刺すことですから。
スーッと振り向くことで間(ま)を外すんです。 |
糸井 |
逆に、すぐに振り向くと相手の思うツボなんだ。 |
甲野 |
まぁ私はいつもこんな格好をしていますから、
ときどき酔っ払いにからまれることもあります。
それを暴力沙汰でなく、うまくおさめようとするときは、
まったく違う話を親身になってもちかけるんです。
「お母さん、お元気ですか」とか(笑)。
見当違いのことを親切に、好意的に話しかけるんです。
そうすると、相手は「なんだよ」と言いながら、
そのうち居心地悪くなってスゥーッと離れていく。
これ、百発百中です。 |
野村 |
それも相手の予測を外すわけだ。 |
甲野 |
昔の武術の伝承に、
「我があるから敵がある、我がなければ敵はない」
というのがあります。自分の敵意を消せば、
相手の敵意もなくなる。
いじめや嫌がらせも、やる側・やられる側の配役が
決まらないと始まらないんですね。 |
糸井 |
僕、セミ捕るのがうまいんですよ。
手で直接捕ることができる。
セミにわからないように、僕は自分をスーッと
消していればいいの。
人がどう感じるか、そこまでが身体感覚というものですね。
ところでさっきセンサーモードという話が出ましたが、
暗闇の中を歩くとき、手をセンサーみたい
に前に出して探るようにしますね。
あるいは熱いか冷たいか触れてみて、
「あちッ」と言う。
そのときの手は自分じゃなくて、外部化してますよね。
手のもつ意味、その使い方も
地域や社会によって違うものなんですか。 |
野村 |
ヨーロッパはじめ、アラブやアフリカなど
かなり広いエリアで握手する文化がありますね。
そこでは手を握るのでも、素っ気ないものだったり、
すごく親密であったり、何も言わなくてもわかる
というようにいろんな意味が込められたりします。
ヨーロッパでは、手は道具ではあるけど、
魂と直結しているという考え方があって、
19世紀の小説を読むと、
男と女がはじめて手を握り合う場面を
すごくドラマチックに書いてある。
スタンダールの『赤と黒』なんかもそうです。 |
糸井 |
手がその人の人格すべてをあらわしている。 |
野村 |
だからロダンのような手だけの彫刻もあるわけです。
日本の場合、ボディランゲージに手をあまり使わず、
手のもつ意味がはっきり決まっていないから、
逆に何でもすぐに手で触れようとしますね。
よその子の頭をなでたり、買い物に行って
店のものを手当たり次第にさわったり。
ヨーロッパだと、勝手に商品にさわると、
「まだあなたのものじゃない」
と店の人にひどく怒られちゃう。 |
甲野 |
そのかわり、日本人は手の感触を大事にします。
漆塗りの木のお椀の手ざわりを楽しんだり。
そういう手の感覚の鋭さが、手先の器用さにも
つながっているんでしょう。
(つづく) |