BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。

あなたも「超人」になれる
(シリーズ4回)

第1回 忘れられた身体

第2回 予測を裏切る動き

第3回
我がなければ敵はない

甲野 糸井さん、ちょっと私の相手をしてもらえますか。
(両者、向き合って立つ)
私がこう腕を出して糸井さんの顔に触れようとしますから、
それを払ってさわられないようにしてみてください
足も腰も自由に動かしていいですから
(互いに腕を交差させて力を入れる)。
この圧力をよく覚えておいてください。
糸井 うっ……
(必死に腕に力を入れて、甲野氏の腕を払おうとする)。
甲野 これ、どうですか。
糸井 アッ(甲野氏の腕を払おうとするが、逆に体勢が崩れる)。
すっごく、イヤな感じ(笑)。
よし、もう一回、やりますよ。
ハッ(払おうとして、また体勢が崩れる)。
アアーッ、やっぱりダメか。
なんか気持ち悪いなあ。
甲野 気持ち悪いでしょう。
なぜかというと、人間は二本足で立つことが
最優先だからです。
糸井さんは顔をさわられまいとしたけど、
身体のほうは自分が倒れまいとするほうの
優先順位が高いんです。
このとき、私の身体の支点がはっきりしていると、
糸井さんは安心して力を入れられるでしょう。
これは私の腕が杖になっているからです。
ところが私が身体を割って支点を消すと、
糸井さんは倒れまいとしているだけに、
私の瞬間的な変化に状況対応能力がついてこられない。
それで体勢が崩れるんです。
糸井 感じ悪いんです、膝カックンされたみたいで。(笑)
甲野 私の身体の支点が消えると、
力がどこから来ているかわからないから、
糸井さんは不安になるんですよ。
そうすると腕の筋肉が方向を知ろうとする
センサーモードになって、力が入らないんです。
互いにガッチリ押し合っていれば、
腕も出力モードで強くなる。
相手を崩すには、自分が相手の杖にならなきゃいいんです。
それがさっきの技の原理です。
糸井 ステキ。(笑)
甲野 十両の力士に相手をしてもらったことがあります。
私が前に出ていくのを、はたき込みしてくださいと
言ったんですね。
普通の人は足をまず出して体を保持します。
しかし私は足を出さず、上半身を低く投げ出すようにする。
そうすると、アーチ型の橋が潰されないのと同じ構造に
なり、相手がドンときても崩れない。
野村 逆に強くなるわけですか。
甲野 ええ。さわられた瞬間に強くなる。
糸井 さわられた瞬間に強くなるというのがいいですねえ。
甲野 そのかわり、私は接触には敏感ですよ。
相手の圧力を感じた瞬間にすぐ反応するよう
絶えずセンサーが働いていますから。
そんなわけで、どんなに素敵な女性であっても、
一緒にベッドで眠るなんてできない(笑)。
身体が触れているだけで眠くても寝られないんです。
糸井 そういう甲野さんを、野村さんが後ろから襲ったら、
どう対処しますか。
甲野 私は雑踏でポンと背中を叩かれても、
ぜったいにパッと振り返らないんです。
ゆっくりとこう見る。
後ろから襲う際の一番よくある方法が、
ポンと叩いてサッと刺すことですから。
スーッと振り向くことで間(ま)を外すんです。
糸井 逆に、すぐに振り向くと相手の思うツボなんだ。
甲野 まぁ私はいつもこんな格好をしていますから、
ときどき酔っ払いにからまれることもあります。
それを暴力沙汰でなく、うまくおさめようとするときは、
まったく違う話を親身になってもちかけるんです。
「お母さん、お元気ですか」とか(笑)。
見当違いのことを親切に、好意的に話しかけるんです。
そうすると、相手は「なんだよ」と言いながら、
そのうち居心地悪くなってスゥーッと離れていく。
これ、百発百中です。
野村 それも相手の予測を外すわけだ。
甲野 昔の武術の伝承に、
「我があるから敵がある、我がなければ敵はない」
というのがあります。自分の敵意を消せば、
相手の敵意もなくなる。
いじめや嫌がらせも、やる側・やられる側の配役が
決まらないと始まらないんですね。
糸井 僕、セミ捕るのがうまいんですよ。
手で直接捕ることができる。
セミにわからないように、僕は自分をスーッと
消していればいいの。
人がどう感じるか、そこまでが身体感覚というものですね。
ところでさっきセンサーモードという話が出ましたが、
暗闇の中を歩くとき、手をセンサーみたい
に前に出して探るようにしますね。
あるいは熱いか冷たいか触れてみて、
「あちッ」と言う。
そのときの手は自分じゃなくて、外部化してますよね。
手のもつ意味、その使い方も
地域や社会によって違うものなんですか。
野村 ヨーロッパはじめ、アラブやアフリカなど
かなり広いエリアで握手する文化がありますね。
そこでは手を握るのでも、素っ気ないものだったり、
すごく親密であったり、何も言わなくてもわかる
というようにいろんな意味が込められたりします。
ヨーロッパでは、手は道具ではあるけど、
魂と直結しているという考え方があって、
19世紀の小説を読むと、
男と女がはじめて手を握り合う場面を
すごくドラマチックに書いてある。
スタンダールの『赤と黒』なんかもそうです。
糸井 手がその人の人格すべてをあらわしている。
野村 だからロダンのような手だけの彫刻もあるわけです。
日本の場合、ボディランゲージに手をあまり使わず、
手のもつ意味がはっきり決まっていないから、
逆に何でもすぐに手で触れようとしますね。
よその子の頭をなでたり、買い物に行って
店のものを手当たり次第にさわったり。
ヨーロッパだと、勝手に商品にさわると、
「まだあなたのものじゃない」
と店の人にひどく怒られちゃう。
甲野 そのかわり、日本人は手の感触を大事にします。
漆塗りの木のお椀の手ざわりを楽しんだり。
そういう手の感覚の鋭さが、手先の器用さにも
つながっているんでしょう。

(つづく)

第4回 現代人の身体感覚は?

2000-02-09-WED

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