BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。

あなたも「超人」になれる
(シリーズ4回)

第1回 忘れられた身体

第2回
予測を裏切る動き

糸井 ナンバ歩きの消滅にしてもそうですけど、
日本人の身体の使い方には、
西洋文化が入ってきたことが
ずいぶん影響しているようですね。
甲野 ウェイト・トレーニングは明治時代に
西洋から入ってきましたが、西洋の身体の使い方は
「筋主骨従」、つまり筋肉が主。
一方、古来の日本の武術は「骨主筋従」なんですね。
肝心なのは骨で、骨がちゃんといい位置に
あり続けるようにだけ筋肉を使う。
糸井 無駄な筋肉をつけても意味がない。
甲野 意味がないどころか、私に言わせれば、
かえって邪魔になる。
昔の日本人のナンバの動きは、身体をねじらない。
そういう身体の使い方があって、
武術の精妙な技も生み出されていた。
ところが西洋式の右足が出るときに左手が出るという
身体を捻る動きや筋肉主体の考え方だと、
身体が大きくて力があるほうが有利です。
日本は武道王国なんて言いながら、
柔道が壁に突き当たっているのは、
西洋式のやり方を導入して、
本来の武術の身体の使い方とは
正反対のことをやっているからです。
糸井 「小よく大を制す」と言いますが、
昔の武術の名人・達人の伝説で、
小柄な老人が指先だけで大男をぶっ飛ばしたとか、
そんな信じがたい話がありますね。
甲野 なかにはホラ話もあるにしても、
実際に神話的技術を持った人はたしかにいたと思います。
つまり体格や筋肉に頼らない「術」ですね。
松林左馬助(さまのすけ)という剣客は、
柳の枝を投げ上げて、それを13に切ったような人です。
弟子にいつでも自分を脅かしていいと言って、
あるとき突然、弟子が川に突き落としたら、
飛ばされたなりに川を飛び越して、
しかも弟子が気づかぬうちにその刀を抜き取ってた。
糸井 はあ……。
甲野 今、そういう神技的な話が信じられないのは、
西洋風の身体の使い方に
すっかり馴染んでしまっているからです。
私の場合、それとは質的に違う身体の使い方を
追求していて、その基本が体をねじらない
ナンバの体さばきなんです。
糸井 具体的にはどういうことですか。
甲野 縄はねじってあるから強いけど、
1本1本の繊維は動かないですね。
その点、ねじってないものは
組み合わせがたくさんできる。
身体も同じで、一つのセットじゃなく、
各部分に分かれていると考えると、
いろいろな組み合わせができます。
電話で市外局番の末尾を市内局番の頭にするだけで、
たくさんの電話番号がつくれるのと同じです。
私は「身体を割る」と言っているんですが、
身体の各部分を個々別々に動かす感覚を身につければ、
身体はそれだけ多様で複雑な働きができる。
ところが筋肉主体の考え方は、縄をねじるのと同じで、
筋肉を全部つなげて強化しちゃう。
そうすると身体の動きは単純化するんですよ。
野村 身体を割るというのは、
一つひとつピースに分けるような感覚ですか。
甲野 ええ、まあ、そうですね。
そうすると、瞬時に別の動きにも移れます。
たとえば動物の群れだとリーダーがまず方向を変え、
それから他の仲間が続きますけど、
群れをなしている魚たちは瞬間的にみんないっせいに
方向転換しますね。あの動きです。
つまり身体を瞬時にある状態から別の状態に
変化させるためには、身体を割って、
割れた部分がそれぞれいっせいに動けばいい。
AからDに行くとき、B、Cという過程を踏まず、
いきなりDに行くわけです。
野村 身体をつなげた感覚で動こうとすると、
たしかに時間的ロスがあります。
甲野 今では「身体が割れているほうが早く動ける」
というのは私の術理の基盤になっています。
野村 身体の動かし方を、「勘」なんていう言葉で
片づけてしまいますが、論理がちゃんとある
ということですね。
それを意識化できないだけで。
たしかに身体は関節を中心に分節化されているから、
動かすときでも、いろいろな可能性があります。
私はアクロバットが好きで、
見ていて面白いなと思うんですけど、
あれも一種の身体の論理の演習ですね。
道化師の微妙な動きもそうだし。
甲野 陸上のカール・ルイスだとか、
多くの著名なスポーツ選手の身体を看てこられた
スポーツ・トレーナーの白石宏さんは、
「今までは『あいつは天才だから』と言って、
これまでみんなが手をつけずにすませていたことでも、
身体を割る、とか支点を消してと言われると、
その原理が見えてくる気がします」
と言われていました。
野村 そうだと思いますね。
甲野 私はラグビーの選手にタックルされても、
めったに倒れないと思いますよ。
糸井 ……笑うしかないです。
甲野 相手がタックルしようとしたとき、
私が身体を割って走るのをパッとやめると、
一瞬、空中に浮きます。
その瞬間、支点が消えているので、
相手に崩されない強い状況になるんです。
そしてこれは、予測を外すことにもなるんですね。
人間は、行動を速やかにするため
常に予測を立てています。
ですから、水の入ったガラスのコップがあると、
「ああこのくらいの重さだな」と予測し、
過不足ない力で持とうとします。
ところがもしコップを接着剤でくっつけていたら、
「あれ」っとなるでしょう。
あるいは引っ越しのとき、同じ大きさの段ボールでも、
入れた中身によって重さはぜんぜん違うから、
人に渡すとき、あらかじめ
「重いよ」とか「軽いよ」って言いますね。
糸井 本なんかぎっしり詰まってると、
覚悟して持ち上げたりして。
甲野 そういうふうに人間は無意識に予測を立てているんです。
私の技が効くのは相手のそういう予測を外すからです。
これは兵法で、昔の忍びでもわざと離れた井戸の中に
大石を落として、追っ手に「あっ、こっちか」
と思わせたりしてましたよね。
糸井 僕は将棋の羽生(善治)さんと、
モノポリーというゲームをやるんですが、
相手がゲームをよくわかっていないやつだったりすると、
羽生さん、負けるんです。
将棋が強い人は相手が強いことを前提に作戦を立てるから、
バカが相手だと何考えてるのか読めない。
あれも相手の能力を見誤ったために、
予測を外されたんですね。
甲野 そうでしょうね。
糸井 予測っていうと、僕はジェットコースターが好きでね。
ジェットコースターって、こうだろう、
ところがこうなんだよね、という感覚を
体験させる遊びでしょう。
数字で高さを表示したりして、
予測するための情報をインプットさせる。
そして全部、予測を上手に裏切るんだけど、
設計者のセンスがいちばん出るのが、
「予測を裏切られた自分」を味わえる時間を
つくれるかどうか。
そういう意味では、ディズニーランドの
スペースマウンテンと富士急ハイランドのフジヤマ
というのは、センスがいいですよ。
甲野 予測を快く外された時に出るのが笑いですよね。
ですから、うまい落語家の話は、
何度も聴いててわかっているのに、
笑いのモードに入っちゃうんです。
人間は基本的に退屈したくない生き物だから、
予測しない出来事――いわばハレを求めているんですね。
糸井 ジェットコースターでも、「ビックリした」
「怖かった」というハレと、
それを記憶させるのに必要なケの時間を
上手に配分してあることが大事で、
ただただビックリの連続だったら、
ものすごくセンスの悪い遊びになっちゃう。

(つづく)

第3回 我がなければ敵はない

第4回 現代人の身体感覚は?

2000-02-07-MON

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