第2回
予測を裏切る動き
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糸井 |
ナンバ歩きの消滅にしてもそうですけど、
日本人の身体の使い方には、
西洋文化が入ってきたことが
ずいぶん影響しているようですね。 |
甲野 |
ウェイト・トレーニングは明治時代に
西洋から入ってきましたが、西洋の身体の使い方は
「筋主骨従」、つまり筋肉が主。
一方、古来の日本の武術は「骨主筋従」なんですね。
肝心なのは骨で、骨がちゃんといい位置に
あり続けるようにだけ筋肉を使う。 |
糸井 |
無駄な筋肉をつけても意味がない。 |
甲野 |
意味がないどころか、私に言わせれば、
かえって邪魔になる。
昔の日本人のナンバの動きは、身体をねじらない。
そういう身体の使い方があって、
武術の精妙な技も生み出されていた。
ところが西洋式の右足が出るときに左手が出るという
身体を捻る動きや筋肉主体の考え方だと、
身体が大きくて力があるほうが有利です。
日本は武道王国なんて言いながら、
柔道が壁に突き当たっているのは、
西洋式のやり方を導入して、
本来の武術の身体の使い方とは
正反対のことをやっているからです。 |
糸井 |
「小よく大を制す」と言いますが、
昔の武術の名人・達人の伝説で、
小柄な老人が指先だけで大男をぶっ飛ばしたとか、
そんな信じがたい話がありますね。 |
甲野 |
なかにはホラ話もあるにしても、
実際に神話的技術を持った人はたしかにいたと思います。
つまり体格や筋肉に頼らない「術」ですね。
松林左馬助(さまのすけ)という剣客は、
柳の枝を投げ上げて、それを13に切ったような人です。
弟子にいつでも自分を脅かしていいと言って、
あるとき突然、弟子が川に突き落としたら、
飛ばされたなりに川を飛び越して、
しかも弟子が気づかぬうちにその刀を抜き取ってた。 |
糸井 |
はあ……。 |
甲野 |
今、そういう神技的な話が信じられないのは、
西洋風の身体の使い方に
すっかり馴染んでしまっているからです。
私の場合、それとは質的に違う身体の使い方を
追求していて、その基本が体をねじらない
ナンバの体さばきなんです。 |
糸井 |
具体的にはどういうことですか。 |
甲野 |
縄はねじってあるから強いけど、
1本1本の繊維は動かないですね。
その点、ねじってないものは
組み合わせがたくさんできる。
身体も同じで、一つのセットじゃなく、
各部分に分かれていると考えると、
いろいろな組み合わせができます。
電話で市外局番の末尾を市内局番の頭にするだけで、
たくさんの電話番号がつくれるのと同じです。
私は「身体を割る」と言っているんですが、
身体の各部分を個々別々に動かす感覚を身につければ、
身体はそれだけ多様で複雑な働きができる。
ところが筋肉主体の考え方は、縄をねじるのと同じで、
筋肉を全部つなげて強化しちゃう。
そうすると身体の動きは単純化するんですよ。 |
野村 |
身体を割るというのは、
一つひとつピースに分けるような感覚ですか。 |
甲野 |
ええ、まあ、そうですね。
そうすると、瞬時に別の動きにも移れます。
たとえば動物の群れだとリーダーがまず方向を変え、
それから他の仲間が続きますけど、
群れをなしている魚たちは瞬間的にみんないっせいに
方向転換しますね。あの動きです。
つまり身体を瞬時にある状態から別の状態に
変化させるためには、身体を割って、
割れた部分がそれぞれいっせいに動けばいい。
AからDに行くとき、B、Cという過程を踏まず、
いきなりDに行くわけです。 |
野村 |
身体をつなげた感覚で動こうとすると、
たしかに時間的ロスがあります。 |
甲野 |
今では「身体が割れているほうが早く動ける」
というのは私の術理の基盤になっています。 |
野村 |
身体の動かし方を、「勘」なんていう言葉で
片づけてしまいますが、論理がちゃんとある
ということですね。
それを意識化できないだけで。
たしかに身体は関節を中心に分節化されているから、
動かすときでも、いろいろな可能性があります。
私はアクロバットが好きで、
見ていて面白いなと思うんですけど、
あれも一種の身体の論理の演習ですね。
道化師の微妙な動きもそうだし。 |
甲野 |
陸上のカール・ルイスだとか、
多くの著名なスポーツ選手の身体を看てこられた
スポーツ・トレーナーの白石宏さんは、
「今までは『あいつは天才だから』と言って、
これまでみんなが手をつけずにすませていたことでも、
身体を割る、とか支点を消してと言われると、
その原理が見えてくる気がします」
と言われていました。 |
野村 |
そうだと思いますね。 |
甲野 |
私はラグビーの選手にタックルされても、
めったに倒れないと思いますよ。 |
糸井 |
……笑うしかないです。 |
甲野 |
相手がタックルしようとしたとき、
私が身体を割って走るのをパッとやめると、
一瞬、空中に浮きます。
その瞬間、支点が消えているので、
相手に崩されない強い状況になるんです。
そしてこれは、予測を外すことにもなるんですね。
人間は、行動を速やかにするため
常に予測を立てています。
ですから、水の入ったガラスのコップがあると、
「ああこのくらいの重さだな」と予測し、
過不足ない力で持とうとします。
ところがもしコップを接着剤でくっつけていたら、
「あれ」っとなるでしょう。
あるいは引っ越しのとき、同じ大きさの段ボールでも、
入れた中身によって重さはぜんぜん違うから、
人に渡すとき、あらかじめ
「重いよ」とか「軽いよ」って言いますね。 |
糸井 |
本なんかぎっしり詰まってると、
覚悟して持ち上げたりして。 |
甲野 |
そういうふうに人間は無意識に予測を立てているんです。
私の技が効くのは相手のそういう予測を外すからです。
これは兵法で、昔の忍びでもわざと離れた井戸の中に
大石を落として、追っ手に「あっ、こっちか」
と思わせたりしてましたよね。 |
糸井 |
僕は将棋の羽生(善治)さんと、
モノポリーというゲームをやるんですが、
相手がゲームをよくわかっていないやつだったりすると、
羽生さん、負けるんです。
将棋が強い人は相手が強いことを前提に作戦を立てるから、
バカが相手だと何考えてるのか読めない。
あれも相手の能力を見誤ったために、
予測を外されたんですね。 |
甲野 |
そうでしょうね。 |
糸井 |
予測っていうと、僕はジェットコースターが好きでね。
ジェットコースターって、こうだろう、
ところがこうなんだよね、という感覚を
体験させる遊びでしょう。
数字で高さを表示したりして、
予測するための情報をインプットさせる。
そして全部、予測を上手に裏切るんだけど、
設計者のセンスがいちばん出るのが、
「予測を裏切られた自分」を味わえる時間を
つくれるかどうか。
そういう意味では、ディズニーランドの
スペースマウンテンと富士急ハイランドのフジヤマ
というのは、センスがいいですよ。 |
甲野 |
予測を快く外された時に出るのが笑いですよね。
ですから、うまい落語家の話は、
何度も聴いててわかっているのに、
笑いのモードに入っちゃうんです。
人間は基本的に退屈したくない生き物だから、
予測しない出来事――いわばハレを求めているんですね。 |
糸井 |
ジェットコースターでも、「ビックリした」
「怖かった」というハレと、
それを記憶させるのに必要なケの時間を
上手に配分してあることが大事で、
ただただビックリの連続だったら、
ものすごくセンスの悪い遊びになっちゃう。
(つづく) |