第1回
外国人? 外国人じゃない? |
糸井 |
「辺さん」というお名前は珍しいですね。 |
辺 |
韓国でも少ないです。
私の親は済州島の出身ですけど、
先祖を辿るとどうも中国から来たらしく、
中国にも同じ名前があるんです。
日本では「ピョン」と読めないみたいで、
学生時代なんか、出席簿を読み上げる先生が、
私のところへ来るとウッと詰まる。
それで、「ヘンさん」「ナベさん」とか、
べ、アタリ、ホトリなんて
色んな読み方をして。
私はどう呼ばれても
「はい」と答えてましたが。
(笑) |
糸井 |
ピョンさんは日本生まれですよね。 |
辺 |
ええ。韓国に旅行はしますけど、
住んだことはないです。ただ、
日本に住んでいても、
家の中は「韓国」でした。 |
糸井 |
サンコンさんは、
日本に来てどのくらいですか? |
サンコン |
来年でちょうど30年になります。
1972年、23歳のときに来たの。 |
糸井 |
30年かぁ……。 |
サンコン |
ギニアの大使館つくるために。
羽田に降りたとき迎えに来てたのが
外務省の人。
空港のVIPルームから、リムジンで
帝国ホテルのスィートに直行よ。 |
糸井 |
23歳で。 |
サンコン |
そう、大使と一緒に。マジで。 |
糸井 |
マジで。(笑) |
サンコン |
日本のこと、
全然知らないで来たのね。
それで日本では、
つき合いは役人ばっかり。
大使館、外務省、パーティって。
ごはんに行くのも
当たり前のように一流ホテル、とかね。
13年間ずーっとそうよ。
それ見て日本だと思ってたら、
大間違いだった。 |
糸井 |
そりゃ、間違いですね。(笑) |
サンコン |
で、僕、ワシントンに転勤になって、
それからギニアに一回もどって、
日本人の奥さんもらったんですよ。
国で初めて。
それで、うちの奥さん、妊娠してね。
日本で産むんで、
僕も一緒にまた日本に来た。
そのとき初めて、六本木・麻布から
離れて住みました。
だから、僕と日本の一般の人との
コンタクトが始まったのは、それからです。 |
糸井 |
すごいな、それも。 |
サンコン |
中野区の鷺宮に住んでからは、
大使館の車じゃなくて、
電車やバスに乗ったり、
銭湯に行ったり……。
見て、こういうの(昔、息子さんと
銭湯で写した写真)持ち歩いてるの。 |
糸井 |
ほぉ、お父さん、もうニッコニコしてる。(笑) |
サンコン |
息子と奥さんと、3人でスーパーに
買い物に行くと、ちょっと下町っぽくて、
スーパーのおじさんに
「この人、どこ、アメリカ?」
って聞かれて
「いえ、私、アフリカ」
って答えたりして…
…近所、すごく気さくな人が多かった。
「ああ、これが本当の日本人なんだな」
って思ったね。それが17年前。 |
糸井 |
それにしても、日本での生活が
長くなりましたね。 |
サンコン |
だから僕、「ガイジン」と思ってない、
自分のこと。
町で他の国の人が通るでしょ、
「あ、ガイジンがいる」って思うんです。
一緒にいる日本人に、
「あなたもそうじゃないの」と言われて、
「あ、そうか」。(笑)
マジ、それ、面白いよ。 |
糸井 |
ピョンさんは生まれたときからずっと
日本なわけで、サンコンさんとは、
また違った感覚なのかと思いますが。 |
辺 |
さっきの名前の話ですけど、
名刺交換で
「ピョンと読みます」と言うと、
相手は「へぇー」と怪訝な顔をする。
で、「韓国人なんですよ」と言うと、
また「えっ」と驚く。というのも、
サンコンさんの場合、外見からも
外国人とわかるけれど、私なんかは
日本人とまったく同じ肌をして、
同じ言葉を使いますので、
外国人だと見てくれないと言うか、
そういうふうに映らないわけですよ。
だから、今、日本には60〜70万人の
韓国・朝鮮人がいますが、日本人として
カムフラージュしてやっていくことも
できるわけです。 |
糸井 |
うん、うん。 |
辺 |
その一方で、日本人と韓国人は
似て非なる部分と言うか、
似てる部分より
似てないことのほうが
たくさんあるんですね。
それを理解し合うのがなかなか……。
今もって来年の
サッカー・ワールドカップのロゴを、
日本を先に書くか韓国が先かで
騒いでいるような状況ですからねぇ。 |
|
(つづく) |