BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。


ハレのちケの性愛論
(全4回)


酒池肉林の行き着く先は、地獄のタイクツだけ。
今こそ問い直したい、究極のセックスライフとは?


構成:福永妙子
写真:中央公論新社提供
(婦人公論1999年2月22号から転載)


大島清
京都大学名誉教授。
専門は生殖生理学。
1927年広島生まれ。
東大産婦人科で
脳の研究に従事、
京大霊長類研究所で
サルや胎児の研究に
取り組む。
定年後も執筆や講演を
エネルギッシュに続ける。
著書に『性は生なり』
『快楽の構造』
『快楽進化論』
『人生を
生ききる性脳学』
など多数

荒俣宏
翻訳家・評論家・小説家。
1947年東京生まれ。
慶応大学卒業後、
コンピュータ・
プログラマーを
経てフリーの
翻訳家として独立。
以来、幻想文学、
オカルト学、
博物学など、
多岐のジャンルに
渡る文筆活動を
展開している。
著書に『別世界通信』
『帝都物語』
『稀書自慢 
紙の極楽』
『世界大博物図鑑』他
糸井重里
コピーライター。
1948年、群馬県生まれ。
「おいしい生活」など
時代を牽引したコピーは
衆人の知るところ。
テレビや雑誌、
小説やゲームソフトなど、
その表現の場は
多岐にわたる。
当座談会の司会を担当。


婦人公論井戸端会議担当編集者
打田いづみさんのコメント

「性のことを考えない日はない」糸井さんが、
その日、腕組みをして、重々しくおっしゃいました。
「自己言及が必然であるような性の語り方を、
もっとするべきじゃないか」

受けて立つは、生殖生理学の権威・大島清先生と、
博覧強記にして、このたびストリップ研究にも乗り出した
荒俣宏氏。

座談会のゴングが鳴るや、
――え? 水の中で? り、理想は、3分?
皆さんの「自己言及」に、師走の会議室の温度は
上がりっぱなしです。

2時間半後、
「いやー、勉強になったナア。
たしかに毎日考えてた成果は出てますねえ(笑)」
との大島先生のお言葉で幕を閉じましたが、
「まだまだネタはいっぱいありますよ!」
と、興奮冷めやらぬ糸井さんでした。


※そう言えば、小誌でこの座談会を掲載後、
OL委員会主宰の清水ちなみさんから、
「おもしろかったので、このページを切りぬいて
持ち歩いている」(!)
という嬉しいお電話をいただきました。

第1回
女の時代に性は開く

糸井 念願の“性を語れる”日が
やってまいりました(笑)。
僕にとって「性」は高校時代からのテーマで、
他のことを考えない日はあっても、
性について考えない日はないという人生を
送ってきまして……。
ところが、僕らが性を考えるときって、
あまり材料がないんですよ。
よその人の性的な嗜好や思想は秘密にされている。
かといって、「私」を外側において
概念みたいなものを観察するやり方は
もう見飽きた。
結局、わからないままに、
性を想像しあうしかなかった。
で、なぜ僕が性の話をちゃんとしたいと
思ったかといえば、インターネットがきっかけでね。
大島 インターネット?
糸井 インターネットによって材料が
一気に揃うようになったということ。
早い話が、性についてのいろいろな画像が
ジャンル分けされてて、
好みのものをピックアップして
見ることができるんです。
たとえば、若いねえちゃんが好きか、
おばあちゃんが好きか。
ローソクが好きか、叩かれるのが好きか。
「チアリーダー」なんてジャンルもあるんです。
荒俣 チアリーダー・フェチがいる。
糸井 僕は、自分が何が好きなのかを知りたくてね。
材料がないときは、いちいち恋愛しては
失敗することでしか自分の性癖はわからない。
ところが、少なくとも画像として
自分は何が好きかを選べるチャンスがきたわけです。
「これはいらない」と外していくことができる。
と、見事にSMも外れ、あれもこれも外れで、結局、
俺ってすごく平凡な性だなって。
大島 ハハハ……。
糸井 それでずっと自分の嗜好を追いかけていったら、
結局、「人」に行き着いたんです。
いろんな映像を見ていくうちに、
映っている人の名前も知るようになり、
ある女の人が好きだっていうことが
わかってきたんですよ、自分で。
大島 その名前の女の人の映像ばっかり見るようになった。
糸井 そうそう。これにはショックを受けました。
それで、いままで何でも喜んで見ていたのが、
ほとんど要らなくなって、捨てられるんです。
まあ、フラッと寄る愛人宅のように、
たまに別のジャンルに行くこともあるんですけどね。
それで、何だったんだ、いままでの俺の
スケベさはと(笑)。
性って、もうちょっとマテリアルなものが
自分のスケベさと共鳴してるのかと思ったら、
人格とのつながりを求めているんだなと気づきまして。
大島 そこがまさに人間の性だよね。
動物はそうじゃないもの。
だから糸井さんの場合、
原点に戻ったということですよ。
糸井 びっくりはしましたね。
スケベなものなら何でもいいと思ってましたから。
荒俣 スケベにも、人格がある。
糸井 はい。それと、この間荒俣さんにバッタリ会って、
「最近、何やってます?」と聞いたら、
「ストリップを……」っておっしゃってましたね。
それも性の話をしたくなったきっかけなんです。
荒俣 ストリップ研究を始めましてね。
最初、興味をもったのは万博なんです。
糸井 万国博覧会。
荒俣 あれ、最初はイギリスが1回だけやりましたけど、
19世紀後半、パリなんかでたくさんやられましたから、
仕掛けたのはほとんどフランスです。
糸井 日本でも開かれましたね。
荒俣 僕は万博って清く正しいものだと思ってた。
科学と人類の発展のためのものだと。
ところがその歴史をみると、フランスじゃ、
ストリップなんかやってるんです。
とりあえず人を集めて大儲けしようという、
いかにもフランス人的な発想がルーツになっていて、
そのために何をやったかというと、一つは遊園地。
一つは食いもん。そしてもう一つがセックスショーです。
ストリップやカンカン踊りとか、
いま、われわれが浅草あたりで見るようなものが
全部そこで行なわれていたんです。
それで、20世紀はこのストリップショーを
ちゃんと研究しないとわからないんじゃないか
という気がして……。
糸井 食う、見る、遊ぶ−−だ。
荒俣 ええ。健康に暮らすっていうか、
健康な性、健康な食欲、健康な遊びが
三位一体になっていないと
人生を全うできないという概念が
ルネッサンスあたりからずっとあったんですね。
哲学したり会話するのも、
そういった考えに基づいている。
その延長線に出てきたのが、フォリーといって、
極めてばかばかしい遊びをやること。
セックスショーもそんな背景があって
生まれたんです。
糸井 じゃあ、万博でストリップやるのも、違和感はないんだ。
荒俣 あれ、やっぱりフランス人だからできたと僕が思うのは、
性の意識のもち方ね。キーワードは「社交」なんです。
カトリックの国で不倫はタブーだろうと思うと、
どうもそうじゃない。
他人とのお付き合いの中に性的な交わりがあって、
それも一種の社交というわけで。
大島 中性から近代にかけて、紳士が集まる
「サロン」というのがありましたね。
そのサロンもフォリーだったり、
セックスや乱交があったの?
荒俣 セックス、ありましたね。
主催するのはたいていマダムで、
大島先生のような面白い先生を呼んできて
話をさせる。
「わあ先生、素晴らしい」
と言って、
「じゃ先生、今晩はひとつ……」
とか。
学問もセックスもエンターテイメント、
社交になっちゃう。
そこまでいくと、社交の究極は
乱交じゃないかなって感じがします。
大島 つまるところ−−ね。
糸井 ずいぶん早くつまりますね(笑)。
でも、性は基本的にずっと秘められてきたわけでしょ。
性を秘密にしたことで、ある意味ではとても豊かになり、
ある意味では不自由にもなったと思うんですけど、
なんで秘密になったんですかね。
大島 性イコール下半身、ですよね。
下半身は隠すべきもので、それを露骨に出したり
語ったりするのはおかしいということなんでしょう。
だけど、日本の平安時代とか
江戸の中期なんていうのは、おおらかだったですよ。
糸井 あまり隠さない。
大島 そう。
で、そういう時代はだいたい「女の時代」なんです。
糸井 というと?
大島 不景気で子どもは産まないんだけど、
ほがらかで楽しくて、女が元気なの。
色街から素晴らしい女性が出たり。
荒俣 性のエキスパートの女がいるんですよ、
白拍子(しらびょうし)からはじまって。
大島 しかも、おつむがいいというか見識がある。
荒俣 白拍子なんか、説教もしちゃうわけですから。
糸井 説教はするわ、脱ぐわ、やるわ。
荒俣 最後は、成仏までさせちゃう。
大島 不景気だから、人妻が身を売るんだけど、
しゃべらせたら本当に素晴らしい才能をもっている。
だから平安の頃、いろんな仮名文が出ましたもんね。
荒俣 和泉式部は本当は娼婦だったという話がありますし、
義経を狂わした静御前もそうだったとか。
大島 江戸の中期も不景気だったんだけど、
その頃の女もラッタッターですよ。
奥さんが外で働き、旦那は早起きして味噌汁つくり、
「かあちゃん朝飯できたよ」
という時代だったらしいです。
それが江戸後期から男がカムバックして
明治維新までいく。
そして明治維新からこの前のバブル崩壊までが
男の時代。
そういう時代は、女性が性に目覚めて、
こんな亭主じゃ私は更年期を過ぎて
やがて死んでいくのにつまらない、
なんて言われちゃ困るから、
性は隠さなきゃいかんと。
荒俣 女が出てくるとオープンになる?
大島 なるんですねぇ。
荒俣 たしかに、フランスのサロン時代もまさにそうで、
女が主人公で、乱交もあれば、学問も開いたし、
文化も開いた。
糸井 開いている女たちの気をひきたい男たちが
頑張る、ということなんですかね。
ただ、あまりオープンすぎるのも、
飽きるんじゃないかという気が……。
荒俣 だから、プラス芸や教養といったものが
加味されないと、もたないんです。
糸井 それにしても、人間は
「したがりすぎ」じゃないですか。
こんなにしたいものかっていうのも謎です。
大島 動物は発情期がありますけど、
これはもともと脳ミソにインプットされている
生命記憶とか遺伝子記憶が仕掛けるんですね。
人間の場合は、オギャーと生まれてから
10歳くらいまでにつくられた脳のソフトウェアが
性に対する意識を発動させる。
そういう違いがあります。
荒俣 たとえばストリップショーやなんか、
発動のきっかけになるんでしょうね。
大島 ただ、脳のソフトウェアも神経回路が
ちゃんとできてなきゃ、面白い性なんてできない。
よく言われるセックスレスなんか、
ソフトウェアがガチャンコ。
荒俣 壊れちゃってる。
大島 酒鬼薔薇君ていたでしょ。
男は15歳くらいがいちばん性欲旺盛で、
触ったってピュッと出るくらいすごい。
そこをコントロールするのがソフトウェアだけど、
それがちゃんとできていないと、
性的エネルギーが暴力に変わることもある。
荒俣 動物の場合は、性について悩むなんて
聞いたことないですね。
大島 サルは1年にいっぺんでサケなんて一生に1度。
ネズミは4日に1度で新婚さんなみだけど、
これは寿命が短いから。
みんな発情期でなければ性欲は燃えてこないし、
子孫繁栄のための性だから、
そんなにガタガタしなくたっていい。
まあ、のべつまくなしにやるのは人間だけで、
これが厄介でもあり、面白くもある。
糸井 人間は発情する機会が多いですね。
自分自身で発情するように仕向けては、
何度も発情しているというのが人間で。
大島 下からきた欲情が脳を活性化させて、
いろんなものを見たり触ったり、話したりして、
それがまたはねかえってくるというサーキットが
できちゃうのね。
そうすると、もう無限に「やりてえッ」となっちゃう。
糸井 辞書でもイクじゃないですか。
大島 若い頃だと、「陰」の字を見ただけでね。
辞書で「陰」を探して、「陰門」なんてあったら、
すぐピュッと出る。
荒俣 昔、「毛」という字で発情したことがあります。
「髪(はつ)」ならたいしたことないのに、
「毛(もう)」だとね。
糸井 もうだめ。(笑)
荒俣 これがカタカナの「へア」などとなると、
どうしようもないけど。
糸井 僕は性だと思っていることのものすごい割合の部分が、
実はフェティシズムにしかすぎないっていう気が
するんです。
「したい」ことの周辺のこだわりが
絶えず引き金を引くけど、
小さい玉がパーンと出るだけみたいな……。
だから南の島なんかで、いつでもできる状態で
毎日ダラーッとしてると、どんどん自分が
スケベじゃなくなっていくのがわかる。
大島 まさにそれなんですよ。
「人間の性というのは股間に非ずして耳間である」
と言いますが、耳間とは脳ミソのこと。
脳ミソがダメになったら、したくもなんともなくなる。
だから逆に、いつでもしたいと思っている人間は、
脳ミソが活性化しているとも言えるわけです。
糸井 じゃあ、僕はもうダメかもしれない。
荒俣 そうお?(笑)
大島 昭和9年に『性』という雑誌を出した
沢田順二郎という人は、
「性は生なり」と言っています。
やっぱり生き方そのものですよ。
だから、糸井さんがおっしゃるように、
ダラーとしていると性欲もなくなる。
あるいは遊びや刺激のない教育ばかり受けていたら、
性的には面白くない人間になる。
だいたいエリートの学校を出たやつっていうのは
ダメなの。教育自体に遊びがないから。
荒俣 それ、よくわかりますね。

(つづく)

第2回  マッチョイズムのあとに

第3回  楽しいほどあぶない

第4回 “苦しいに似たり”

1999-12-28-TUE

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