第3回
楽しいほどあぶない
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大島 |
だけど、いろいろやってみたところで、
男の快感というのは、わずか10秒くらいの
射精の瞬間しかない。 |
糸井 |
えっ、本当ですか?
じゃあ、それまでのいいような気持ちがするのは? |
大島 |
全知全能を使って準備態勢をつくっているとき、
全身的なもやもやとしたものはあります。
でも、本当のオーガズム、超快感というのは10秒だけ。
それは女性と根本的に違うところですね。 |
糸井 |
女になってみたいですね。 |
大島 |
女性は多重性のオーガズムと言われています。
しかも、オーガズムは女性ひとりひとりで全部違う。
だから女性は自分を満足させてくれる男性が
ひとりいれば、婚外セックスは
しなくたっていいわけです。
男は万人とも同じパターンで、
常に単純がオーガズムしか得られないから、
女があれだけ多重的なオーガズムがあるなら、
俺も体験したいと。
パートナーを替えていくというのは、
そういうことがあるのかもしれないね。
替えることで多重型にしようという目論見で。 |
荒俣 |
男の手段としては、ね。 |
大島 |
男の単純型と女の多重型、
これがいろんな性行動にも反映したりする。
さっき体位の話が出たけど、
正常位しかできない男だと、
女の人が可哀想だと思いますね。
男は自分の10秒のアクメのためにシコシコやって、
女の人がまだ本当のめくるめくときを
迎えていないのに発射して、あとはグーグー寝てる。
これは女性に対して失礼だね。 |
糸井 |
ただ先生、僕はそれ、ちょっと反論があるんです。
あんまり上手だと誠意がないと思われますよ。 |
大島 |
上手下手ではなく間合いですよ。 |
糸井 |
いえ、つまり遊び性を高めれば高めるほど、
面白いに決まってるんですよ。
ただ、ある程度、信頼関係のある中で
遊んでいる分にはいいんだけど、
そこが曖昧なときに、
いろいろお上手な方なんかがいらっしゃったら、
こいつ悪いやつだなと思われるだけですよ。
正常位で無口にシコシコやる人のほうが、
婚姻する相手としては確かな感じがあると思う。 |
大島 |
婚姻して孕むことが目的なら、
それは非常に正直かもしれない。 |
糸井 |
そこを使い分けないと、信頼をなくしますね。 |
大島 |
信頼をなくしますか。(笑) |
荒俣 |
快楽原理って、あるところまで辿りつくと
次のところをほしがりますね。 |
糸井 |
だから、楽しいほどあぶない。 |
荒俣 |
人間の性が大脳的なものとすると、
普通なら肉体的に無理だという歯止めがきくけど、
脳の中のファンタジーだと、いかなるものも
可能になってしまう。 |
糸井 |
バンジージャンプしながらとか。 |
大島 |
たしかに、何でも可能になるね。 |
荒俣 |
そうなると、セックスのために
体がついてこなくなる段階が、
いずれきちゃうんじゃないかなって気はします。 |
糸井 |
ファンタジーというのを現実社会で拒否する部分が、
多分、女性にはあるんですよ。
つまり、男は遊びやゲーム性の高い性に
いっちゃうんだけど、面白いことを
いろいろ考えているときに、
奥さんはダイコン刻みながら
「何言ってんだ、この人は」っていうような。 |
大島 |
いや、遊戯性とかファンタジーということではなく、
女性の生理ってあるでしょう。
男より昇りつめるのが遅いとか、
それを見極めることもすごく大事だということです。 |
糸井 |
それは思いやりというような? |
大島 |
そう、思いやり。
そうしないと、この女性はどういうオーガズムの
パターンになっているかわからない。 |
荒俣 |
それは重要なところですね。
人間が大脳的なものでセックスをする特徴の一つは、
相手の感じが推測できるということ。
この推測できるという方面でも、けっこう喜びがある。 |
糸井 |
まったくその通りなんですけど、
そうすると男の性はサービス、
つまり仕事に近くなってきますね。 |
大島 |
ある程度のサービスは必要でしょう。 |
糸井 |
でも、そのとき男にとって自分がする必然性は
何だというのか……。
サービスが主体だと、自分はそんなにしたかったのか
という疑問に立ち至るわけです。 |
大島 |
それはいわゆる義理マンというものですか。
まあ、お義理じゃあ、あんまり面白くないでしょう。 |
糸井 |
義理ではないんです。思いやり優先になる。
これ、男の宿命かもしれませんが。
たとえばここに一生無口で暮らす
農民の夫婦がいたとしますね。
おやじさんとおかみさんが、
とくに何をするでもなく3分で
「ウッ」ていってお終いになる。
これって僕にとってもう一つのファンタジーなんです。
思いやりだとかサービスというところに
どこまでもいくというのは、いわば男の性の疎外です。
それよりは「ウッ」だけのおやじのほうが、
もしかしたら得してんじゃないか。(笑) |
荒俣 |
相手のことを考えて、どんどん突き進むことは、
まだ快楽原理の上に成り立ってますね。
それが、何の感動もないんだけど、
繰り返すことができるとなると、
別の段階に入ってくる。 |
糸井 |
「ハレ」と「ケ」でいうと、
ケの性に対する憧れが出てくるんです。 |
荒俣 |
同じことを意味もなく繰り返していることの
すごさみたいなものね。
僕、朝飯で思うんです。
そういや味噌汁、50年間も毎日食い続けてるなあと。
変化つけようと、朝、ビフテキ食べても、
翌朝また味噌汁にもどっちゃう。
そうすると、永遠に繰り返すというのも、
一種の快楽につながってるのかなとは思いますね。 |
糸井 |
僕がいちばん興味あるのはそこなんです。
面白くもなんともないんだけど、
なんかしたくなるというか。 |
大島 |
したくなるかなぁ。 |
糸井 |
なる(笑)。
昔の農家は夜することがないから、
早く雨戸閉めて子どもがいっぱいできたとか、
そういう話、僕、好きなんですよ。
ただ、現代の夫婦はそれがとても難しくなってる。
食生活も、外で風俗嬢の性にあたるような
技巧的な食事をしてるわけです。
そうすると家で食べるケの食事と、
外で食べるハレの食事はどんどん分かれていきますね。
日常的に外でおいしいものをさんざん食べてるから、
奥さんは自分の料理をプロと勝負しなくちゃいけない。
これは大変です。 |
荒俣 |
実際に外でセックスしなくても、
テレビだとかいろんなもので
ハレのセックスの情報は入ってくる。
じゃあ、こんなセックスを
うちでもしなきゃいけないんじゃないかって。 |
大島 |
すると、ケのセックスができなくなる……。 |
糸井 |
そのあげく、セックスレスになるに決まってる。
ケのセックスなんてするまでもない、の一言でね。
外のファンタジーの横溢がそうさせるんです。
そこでケの性の意味を
いまこそ問い返すべきではないか。
自分でもわかりたいんです。
この先そんなに長くないですから。 |
荒俣 |
東洋はそういうことへの関心が非常に強いですよ。
理想の世界というのが、仙人の場合だと
何の意味もなく同じことを繰り返して800年生きること。 |
糸井 |
はーあ、それ、すごいですね。 |
荒俣 |
たとえば西洋のキリスト教では、
夫婦の間のことについて、面白かろうが
つまらなかろうが運命なんだから
二人でやりなさいと、つまり義務として教える。
ところが同じことが東洋では義務じゃなく
理想の世界なんです。
毎日繰り返してやることが性の完成につながると。 |
大島 |
なるほど、東洋思想だねぇ。 |
荒俣 |
だから、男が変な女の人につかまっているうちは、
「おまえさん、まだまだだね」
って、かみさんが言うわけです。
で、男がかみさんのもとに帰ってくると、
「うん、性がわかってきたね、おまえさん」
となる。
そうして、おならを一発するのと
同じような感じになっても、
なんかずっとしちゃうというのは、
ステップが上がることなんです。 |
糸井 |
それ、女性のほうが先にわかってるんですね。
僕は昔、商売の女性たちとデートするのが
すごく好きだったんですけど、
これが実にサッパリしてて。 |
大島 |
もしかしたら、オーガズムに達しないんじゃないですか。 |
糸井 |
そんなことない。いや、ないようです(笑)。
だけど、性の技巧や大脳的環境は充分にある女性が、
自分の性については超お惣菜的だというのは
興味深いと思って。 |
荒俣 |
それ、わかりますね。
なぜなら、生涯、食い続けることができる。
(つづく) |