BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。

第1回 女の時代に性は開く

第2回  マッチョイズムのあとに

第3回
楽しいほどあぶない

大島 だけど、いろいろやってみたところで、
男の快感というのは、わずか10秒くらいの
射精の瞬間しかない。
糸井 えっ、本当ですか?
じゃあ、それまでのいいような気持ちがするのは?
大島 全知全能を使って準備態勢をつくっているとき、
全身的なもやもやとしたものはあります。
でも、本当のオーガズム、超快感というのは10秒だけ。
それは女性と根本的に違うところですね。
糸井 女になってみたいですね。
大島 女性は多重性のオーガズムと言われています。
しかも、オーガズムは女性ひとりひとりで全部違う。
だから女性は自分を満足させてくれる男性が
ひとりいれば、婚外セックスは
しなくたっていいわけです。
男は万人とも同じパターンで、
常に単純がオーガズムしか得られないから、
女があれだけ多重的なオーガズムがあるなら、
俺も体験したいと。
パートナーを替えていくというのは、
そういうことがあるのかもしれないね。
替えることで多重型にしようという目論見で。
荒俣 男の手段としては、ね。
大島 男の単純型と女の多重型、
これがいろんな性行動にも反映したりする。
さっき体位の話が出たけど、
正常位しかできない男だと、
女の人が可哀想だと思いますね。
男は自分の10秒のアクメのためにシコシコやって、
女の人がまだ本当のめくるめくときを
迎えていないのに発射して、あとはグーグー寝てる。
これは女性に対して失礼だね。
糸井 ただ先生、僕はそれ、ちょっと反論があるんです。
あんまり上手だと誠意がないと思われますよ。
大島 上手下手ではなく間合いですよ。
糸井 いえ、つまり遊び性を高めれば高めるほど、
面白いに決まってるんですよ。
ただ、ある程度、信頼関係のある中で
遊んでいる分にはいいんだけど、
そこが曖昧なときに、
いろいろお上手な方なんかがいらっしゃったら、
こいつ悪いやつだなと思われるだけですよ。
正常位で無口にシコシコやる人のほうが、
婚姻する相手としては確かな感じがあると思う。
大島 婚姻して孕むことが目的なら、
それは非常に正直かもしれない。
糸井 そこを使い分けないと、信頼をなくしますね。
大島 信頼をなくしますか。(笑)
荒俣 快楽原理って、あるところまで辿りつくと
次のところをほしがりますね。
糸井 だから、楽しいほどあぶない。
荒俣 人間の性が大脳的なものとすると、
普通なら肉体的に無理だという歯止めがきくけど、
脳の中のファンタジーだと、いかなるものも
可能になってしまう。
糸井 バンジージャンプしながらとか。
大島 たしかに、何でも可能になるね。
荒俣 そうなると、セックスのために
体がついてこなくなる段階が、
いずれきちゃうんじゃないかなって気はします。
糸井 ファンタジーというのを現実社会で拒否する部分が、
多分、女性にはあるんですよ。
つまり、男は遊びやゲーム性の高い性に
いっちゃうんだけど、面白いことを
いろいろ考えているときに、
奥さんはダイコン刻みながら
「何言ってんだ、この人は」っていうような。
大島 いや、遊戯性とかファンタジーということではなく、
女性の生理ってあるでしょう。
男より昇りつめるのが遅いとか、
それを見極めることもすごく大事だということです。
糸井 それは思いやりというような?
大島 そう、思いやり。
そうしないと、この女性はどういうオーガズムの
パターンになっているかわからない。
荒俣 それは重要なところですね。
人間が大脳的なものでセックスをする特徴の一つは、
相手の感じが推測できるということ。
この推測できるという方面でも、けっこう喜びがある。
糸井 まったくその通りなんですけど、
そうすると男の性はサービス、
つまり仕事に近くなってきますね。
大島 ある程度のサービスは必要でしょう。
糸井 でも、そのとき男にとって自分がする必然性は
何だというのか……。
サービスが主体だと、自分はそんなにしたかったのか
という疑問に立ち至るわけです。
大島 それはいわゆる義理マンというものですか。
まあ、お義理じゃあ、あんまり面白くないでしょう。
糸井 義理ではないんです。思いやり優先になる。
これ、男の宿命かもしれませんが。
たとえばここに一生無口で暮らす
農民の夫婦がいたとしますね。
おやじさんとおかみさんが、
とくに何をするでもなく3分で
「ウッ」ていってお終いになる。
これって僕にとってもう一つのファンタジーなんです。
思いやりだとかサービスというところに
どこまでもいくというのは、いわば男の性の疎外です。
それよりは「ウッ」だけのおやじのほうが、
もしかしたら得してんじゃないか。(笑)
荒俣 相手のことを考えて、どんどん突き進むことは、
まだ快楽原理の上に成り立ってますね。
それが、何の感動もないんだけど、
繰り返すことができるとなると、
別の段階に入ってくる。
糸井 「ハレ」と「ケ」でいうと、
ケの性に対する憧れが出てくるんです。
荒俣 同じことを意味もなく繰り返していることの
すごさみたいなものね。
僕、朝飯で思うんです。
そういや味噌汁、50年間も毎日食い続けてるなあと。
変化つけようと、朝、ビフテキ食べても、
翌朝また味噌汁にもどっちゃう。
そうすると、永遠に繰り返すというのも、
一種の快楽につながってるのかなとは思いますね。
糸井 僕がいちばん興味あるのはそこなんです。
面白くもなんともないんだけど、
なんかしたくなるというか。
大島 したくなるかなぁ。
糸井 なる(笑)。
昔の農家は夜することがないから、
早く雨戸閉めて子どもがいっぱいできたとか、
そういう話、僕、好きなんですよ。
ただ、現代の夫婦はそれがとても難しくなってる。
食生活も、外で風俗嬢の性にあたるような
技巧的な食事をしてるわけです。
そうすると家で食べるケの食事と、
外で食べるハレの食事はどんどん分かれていきますね。
日常的に外でおいしいものをさんざん食べてるから、
奥さんは自分の料理をプロと勝負しなくちゃいけない。
これは大変です。
荒俣 実際に外でセックスしなくても、
テレビだとかいろんなもので
ハレのセックスの情報は入ってくる。
じゃあ、こんなセックスを
うちでもしなきゃいけないんじゃないかって。
大島 すると、ケのセックスができなくなる……。
糸井 そのあげく、セックスレスになるに決まってる。
ケのセックスなんてするまでもない、の一言でね。
外のファンタジーの横溢がそうさせるんです。
そこでケの性の意味を
いまこそ問い返すべきではないか。
自分でもわかりたいんです。
この先そんなに長くないですから。
荒俣 東洋はそういうことへの関心が非常に強いですよ。
理想の世界というのが、仙人の場合だと
何の意味もなく同じことを繰り返して800年生きること。
糸井 はーあ、それ、すごいですね。
荒俣 たとえば西洋のキリスト教では、
夫婦の間のことについて、面白かろうが
つまらなかろうが運命なんだから
二人でやりなさいと、つまり義務として教える。
ところが同じことが東洋では義務じゃなく
理想の世界なんです。
毎日繰り返してやることが性の完成につながると。
大島 なるほど、東洋思想だねぇ。
荒俣 だから、男が変な女の人につかまっているうちは、
「おまえさん、まだまだだね」
って、かみさんが言うわけです。
で、男がかみさんのもとに帰ってくると、
「うん、性がわかってきたね、おまえさん」
となる。
そうして、おならを一発するのと
同じような感じになっても、
なんかずっとしちゃうというのは、
ステップが上がることなんです。
糸井 それ、女性のほうが先にわかってるんですね。
僕は昔、商売の女性たちとデートするのが
すごく好きだったんですけど、
これが実にサッパリしてて。
大島 もしかしたら、オーガズムに達しないんじゃないですか。
糸井 そんなことない。いや、ないようです(笑)。
だけど、性の技巧や大脳的環境は充分にある女性が、
自分の性については超お惣菜的だというのは
興味深いと思って。
荒俣 それ、わかりますね。
なぜなら、生涯、食い続けることができる。

(つづく)

第4回 “苦しいに似たり”

1999-12-24-FRI

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