第4回
“苦しいに似たり”
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大島 |
そうか、僕はセックスをハレとケで
考えたことはなかったけど、
なるほどと納得する部分はあるね。
いまの時代、まさにハレばっかりだし。 |
糸井 |
ハレはメニュー化できますよね。
価値のヒエラルキーができる。 |
大島 |
ケはモノトーンか。 |
荒俣 |
だから比べようがない。
次はきれいなねえちゃんがいい、
次は若いのがいいというような世界じゃないんですね。 |
糸井 |
そこで前にも出た話にもどりますけど、
人格というのがいちばん出てくるんじゃないかなぁ。
ウエスタンスタイルの「快楽は全部ありますよ」
というものの究極ってハーレムでしかないんですね。
あれ、相手の入れ替えだけです。
すると人格が失われて、
どんどんマテリアルになっていく。
それが行き着く先の退屈って、地獄だと思うんです。 |
大島 |
ハレの快楽が、地獄を招く。 |
糸井 |
まあ、こういうふうに、僕のエロティシズムは
どんどん水墨画に傾斜していましてね。
ただ、ケのセックスには別の問題も出てきて、
確かにつまらないです(笑)。
だけど、つまんなそうだけど、
なんか意味があるというのか……。 |
荒俣 |
これ、やっぱり次の文化じゃないでしょうか。
華道も茶道も、実はつまんないんですよ。
だけど意識的につまんないことをやって、
なおかつ続けるのは「粋」なんですね。
そのかわり、粋を頑張るために
相当いろいろなことで諦めをつけなきゃならない。
ただ、封じ手で暮らすカッコよさってありますね。
昔の侍なんか、刀を抜かないように、
わざと紙縒り(こより)結んでいたでしょう。
あのダンディズムみたいなものが、
どうもケの文化につながってるんじゃないか。 |
大島 |
そうなると、もしかしたら、
したいのにあえてずっとしないというのも
究極の性の行方かもしれんね。 |
糸井 |
“苦しいに似たり”というような。
しかし、このままいくと未来の性は
ほとんどオナニーになると僕は予言しているんです。
忙しくて時間がないから、
食生活もインスタント食品と冷凍食品になる。
それに対応するのがオナニー。 |
荒俣 |
セルフになる。自分でチンして。 |
糸井 |
夫婦間のオナニーは80パーセント。
あとは、さあきょうは外に
何食いに行くかっていう形で。
そんなこと予言してどうすんだっていう
気もするけど。(笑) |
大島 |
そうすると、性独特のどろどろ感がなくなってくる。 |
荒俣 |
ケのセックスライフもなくなる。 |
大島 |
もちろん、性にとって大切な人格なんていうのも
必要なくなるね。 |
糸井 |
そこを埋めてくれるのが文学、
芸術じゃないですかね。
それがモデルケースになり、
真似をするというような形で
表層的な部分から芯のほうに
向かっていくんじゃないかとは
うっすら思うけど。 |
荒俣 |
じゃあ、いままでのファンタジーというのは、
快楽を拡大するためのものだったけど、
これからはイメージを減少させるものが
ファンタジーになるわけですか。
それだったら将来は小津安二郎の映画がSF、
あるいはテキストになる。 |
大島 |
ああいう淡々とした世界もあるのかと……。 |
荒俣 |
小津のテーマって、ケのセックスの勧めですもんね。
きゃんきゃんしてる独身の娘に父親が、
おまえも26歳なんだから、そろそろ結婚して
ケの生活に入りなさいというの。 |
糸井 |
あれ豊かに見えますよ、いまは。
(おわり) |