BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。

第1回 女の時代に性は開く

第2回  マッチョイズムのあとに

第3回  楽しいほどあぶない

第4回
“苦しいに似たり”

大島 そうか、僕はセックスをハレとケで
考えたことはなかったけど、
なるほどと納得する部分はあるね。
いまの時代、まさにハレばっかりだし。
糸井 ハレはメニュー化できますよね。
価値のヒエラルキーができる。
大島 ケはモノトーンか。
荒俣 だから比べようがない。
次はきれいなねえちゃんがいい、
次は若いのがいいというような世界じゃないんですね。
糸井 そこで前にも出た話にもどりますけど、
人格というのがいちばん出てくるんじゃないかなぁ。
ウエスタンスタイルの「快楽は全部ありますよ」
というものの究極ってハーレムでしかないんですね。
あれ、相手の入れ替えだけです。
すると人格が失われて、
どんどんマテリアルになっていく。
それが行き着く先の退屈って、地獄だと思うんです。
大島 ハレの快楽が、地獄を招く。
糸井 まあ、こういうふうに、僕のエロティシズムは
どんどん水墨画に傾斜していましてね。
ただ、ケのセックスには別の問題も出てきて、
確かにつまらないです(笑)。
だけど、つまんなそうだけど、
なんか意味があるというのか……。
荒俣 これ、やっぱり次の文化じゃないでしょうか。
華道も茶道も、実はつまんないんですよ。
だけど意識的につまんないことをやって、
なおかつ続けるのは「粋」なんですね。
そのかわり、粋を頑張るために
相当いろいろなことで諦めをつけなきゃならない。
ただ、封じ手で暮らすカッコよさってありますね。
昔の侍なんか、刀を抜かないように、
わざと紙縒り(こより)結んでいたでしょう。
あのダンディズムみたいなものが、
どうもケの文化につながってるんじゃないか。
大島 そうなると、もしかしたら、
したいのにあえてずっとしないというのも
究極の性の行方かもしれんね。
糸井 “苦しいに似たり”というような。
しかし、このままいくと未来の性は
ほとんどオナニーになると僕は予言しているんです。
忙しくて時間がないから、
食生活もインスタント食品と冷凍食品になる。
それに対応するのがオナニー。
荒俣 セルフになる。自分でチンして。
糸井 夫婦間のオナニーは80パーセント。
あとは、さあきょうは外に
何食いに行くかっていう形で。
そんなこと予言してどうすんだっていう
気もするけど。(笑)
大島 そうすると、性独特のどろどろ感がなくなってくる。
荒俣 ケのセックスライフもなくなる。
大島 もちろん、性にとって大切な人格なんていうのも
必要なくなるね。
糸井 そこを埋めてくれるのが文学、
芸術じゃないですかね。
それがモデルケースになり、
真似をするというような形で
表層的な部分から芯のほうに
向かっていくんじゃないかとは
うっすら思うけど。
荒俣 じゃあ、いままでのファンタジーというのは、
快楽を拡大するためのものだったけど、
これからはイメージを減少させるものが
ファンタジーになるわけですか。
それだったら将来は小津安二郎の映画がSF、
あるいはテキストになる。
大島 ああいう淡々とした世界もあるのかと……。
荒俣 小津のテーマって、ケのセックスの勧めですもんね。
きゃんきゃんしてる独身の娘に父親が、
おまえも26歳なんだから、そろそろ結婚して
ケの生活に入りなさいというの。
糸井 あれ豊かに見えますよ、いまは。    

(おわり)

1999-12-28-TUE

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