第2回
マッチョイズムのあとに
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大島 |
セックスというと結合の話ばかり。
とにかく勃起しなきゃいかんというので
バイアググラが盛んに使われたりね。
だけど人間の性って、たとえ立たなくても
ハートがマッチして付き合ってて面白ければ
それでもいいわけなんですよ。 |
糸井 |
それも充分に「性」であると。 |
大島 |
90歳になってもいつもピンコ立ち、
そんな人いませんから。 |
荒俣 |
これから老人社会になってくると、
そういうことも問題ですね。 |
糸井 |
つまり、ピストン運動信仰を
捨てようってやつですね。
あれ、工業社会的な感じします。 |
大島 |
年とっても連れ合いはほしいと思いますね。
そのときの性をどうするのか。 |
糸井 |
男がいままで後生大事にかかえてきた
マッチョイズムみたいなものが破壊されたときに
何が残っているか、ですね。
だから脱ピストンであり、脱マッチョであり……。
でもアメリカの映画なんか見てると、
ほとんどがマッチョですよ。 |
荒俣 |
マッチョですねえ。 |
糸井 |
でないと生きていけないみたいな。
アメリカって、男だと筋肉があって
チンポコがでかくて、女性はおっぱいが大きくて
お尻がクネクネしてて−−と、
互いに異性性が強いもの、
つまり反対側にあるものがぶつかったときに
子孫を残す権利があるみたいなところがあるでしょう。 |
荒俣 |
キリスト教国家って、だいたいそうなりますね。 |
大島 |
右か左か、なんですよ。 |
糸井 |
日本はお稚児さんしながら、
平気で女の人のところに行ったり、
性の境界を行ったり来たりできるじゃないですか。
だけどアメリカ的な発想だと、
極北から極南へ交流があるという形で、
間のマージナルな部分が認められていない。 |
大島 |
だからあれだけ性革命の先駆国家と言われている
アメリカでも、ほとんどの州がホモセクシャルに
反対でしょ。 |
糸井 |
シックスティナイン禁止っていう州もあるとか。
つまり、誰も見ていないんだけど、禁止はある。 |
荒俣 |
神様がどこかで見てる。 |
大島 |
そのアメリカで真っ先にエイズが蔓延しちゃった。
1960年代に性革命が起こって、人間の性というのは
恥ずかしくも何ともないんだと
セックスの生理的な反応も公にしたら、
今度はそっちのほうにひたすら走ってね。
もし日本で性革命が起きてたら、もっとまろやかで
浮世絵的なものになったんじゃないかな。 |
荒俣 |
なんか必死にやっちゃう感じですもんね、アメリカは。 |
糸井 |
仕事にしちゃう。
工業社会ですねえ、重工業的ですねぇ。 |
荒俣 |
同じキリスト教国家でも、フランスみたいに
ばかばかしさを楽しむフォリーにはならない。 |
糸井 |
性についてはどこから話しても興味深いんだけど、
人間は体毛を失いましたね。
で、毛が残っている部分で結合している。
それが見事にけもの性をあらわしているようで、
面白いなあと。 |
大島 |
その通り。人間が二本足で立ち上がって以来、
なぜ毛が消えたか、いろいろな説があるんだけど、
性のにおいがこんもり残る場所に毛を残していますね。 |
荒俣 |
一種のシンボルですか。
ほらあるぞ、みたいな。 |
糸井 |
でもいま、どんどん剃ってます。
日本でも男の子たちがスネ毛剃ったり、眉毛切ったり。 |
大島 |
動物的でありたくないということなんでしょう。 |
荒俣 |
それは20世紀の特徴ですね。
腋の下の毛を剃るのは20世紀はじめ、
パリの女性たちが始めましてね。
最大の理由は、商品としての体は
人工的でなきゃいかんという……。
そこにに毛は邪魔なんだ。 |
大島 |
商品価値になったんだ。 |
荒俣 |
女体のカーブが一つのステイタス。
それまでの女性はコルセットで
胸や尻をふくらませることができたけど、
コルセットをはずす時代になると、
勝負は自分の体そのもののカーブね。
そのとき腋毛は邪魔なんです。
腕を上げたとき脇の下に線があると
カーブが切れちゃうから。
そして最終的に女体の理想は、
その頃描いていた未来の汽車や自動車のフォルムと
同じになるんです。 |
糸井 |
新幹線のように。 |
荒俣 |
そう、新幹線。エネメルコーティングでツルツル。
ビスなんか打ってない。 |
糸井 |
ビスが毛なんだな。だから見えちゃいけない。
商品流通が全国的になると、
普遍的価値が必要になるけど、
それが女体でいえばツルツルのカーブね。 |
荒俣 |
誰が見てもOKと言わないとダメ。
そこで、ユニバーサルな美人というのが成立する。
ちょうど同じ時期に、
ビューティーコンテストといったものも
出てくるんですよ。 |
大島 |
そうやって動物性を隠しても、排泄はするでしょ。
それは避けられない。 |
荒俣 |
排泄もないことにしちゃう。 |
大島 |
こりゃ大変だ。 |
糸井 |
けだもの性を隠し続けることで、
1日の半分が終わってしまいますね。 |
荒俣 |
ファッションの研究家がコルセットは
悲惨だったと言うけど、コルセットをはずし、
毛を剃り始めてからのほうが、
よほどストレスは大きいと思いますよ。 |
糸井 |
剃っていく時代といううのは、死体は隠す、
性交は隠す、排泄は隠す。
だけど「食う」というインプットは隠さないで、
むしろひけらかしてますね。 |
荒俣 |
いまのグルメブームなんか、食うほうだけで、
アウトプット、排泄の問題は異様に消されてますよ。 |
糸井 |
うーん、溜まってますねぇ。 |
荒俣 |
家の設計でも、トイレだけは出来合いのユニット。
人間もいろいろな便所つくってますけど、
もう少し21世紀的な展開があっても
よさそうに思います。 |
大島 |
トイレを一つの文化として、
自分の好きなようにデザインするというのは、
僕、賛成ですね。 |
糸井 |
トイレについては僕も考えたことがあります。
でもこの問題が難しいのは、
必ず同じ格好をして座ること。
ウンコの仕方には変化がない。
それで僕は一時、便器に横に座って
やってたことがある。 |
大島 |
よくやりますねえ(笑)。
横に座ったら、出るものも出ないでしょう。 |
糸井 |
非常に難しい。でも新鮮でした。 |
荒俣 |
僕は海の中でウンチした体験があるんです。
潮が流れているので、ウンチが
きれいにつながって出ていく上に、
気持ちよくって、ちょっとやめられなかった。
もっとも、潮が逆になったら、
ウンチまみれになりましたけども。 |
糸井 |
水中トイレは僕も憧れです。 |
荒俣 |
これ、わりとセックスの問題とも
つながっているかもしれませんね。
水中では、より自由が利くんです。 |
糸井 |
水中セックス、いいかもしれない。
ファンタジーとしてはいっぱい描かれてるけど、
潜ると苦しいんじゃない? |
荒俣 |
そのまんま『失楽園』になる。 |
大島 |
僕、何度か水中でやったことがあるんです。 |
糸井 |
あらぁ。 |
大島 |
やっぱり陸の上とは違うね。 |
糸井 |
難しいでしょう。 |
大島 |
難しくもなんともない。
あれ、いいんじゃないですか。
ただ、オーガズムには達しにくいね。 |
荒俣 |
水の中だと、ほかに気をとられそうですが。 |
糸井 |
変な体位が楽しくないのは、だいたいそれですよ。
そんな難しいことしてどうすんだって。(笑)
(つづく) |