BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。


ハレのちケの性愛論
(全4回)

酒池肉林の行き着く先は、地獄のタイクツだけ。
今こそ問い直したい、究極のセックスライフとは?

第1回 女の時代に性は開く

第2回
マッチョイズムのあとに

大島 セックスというと結合の話ばかり。
とにかく勃起しなきゃいかんというので
バイアググラが盛んに使われたりね。
だけど人間の性って、たとえ立たなくても
ハートがマッチして付き合ってて面白ければ
それでもいいわけなんですよ。
糸井 それも充分に「性」であると。
大島 90歳になってもいつもピンコ立ち、
そんな人いませんから。
荒俣 これから老人社会になってくると、
そういうことも問題ですね。
糸井 つまり、ピストン運動信仰を
捨てようってやつですね。
あれ、工業社会的な感じします。
大島 年とっても連れ合いはほしいと思いますね。
そのときの性をどうするのか。
糸井 男がいままで後生大事にかかえてきた
マッチョイズムみたいなものが破壊されたときに
何が残っているか、ですね。
だから脱ピストンであり、脱マッチョであり……。
でもアメリカの映画なんか見てると、
ほとんどがマッチョですよ。
荒俣 マッチョですねえ。
糸井 でないと生きていけないみたいな。
アメリカって、男だと筋肉があって
チンポコがでかくて、女性はおっぱいが大きくて
お尻がクネクネしてて−−と、
互いに異性性が強いもの、
つまり反対側にあるものがぶつかったときに
子孫を残す権利があるみたいなところがあるでしょう。
荒俣 キリスト教国家って、だいたいそうなりますね。
大島 右か左か、なんですよ。
糸井 日本はお稚児さんしながら、
平気で女の人のところに行ったり、
性の境界を行ったり来たりできるじゃないですか。
だけどアメリカ的な発想だと、
極北から極南へ交流があるという形で、
間のマージナルな部分が認められていない。
大島 だからあれだけ性革命の先駆国家と言われている
アメリカでも、ほとんどの州がホモセクシャルに
反対でしょ。
糸井 シックスティナイン禁止っていう州もあるとか。
つまり、誰も見ていないんだけど、禁止はある。
荒俣 神様がどこかで見てる。
大島 そのアメリカで真っ先にエイズが蔓延しちゃった。
1960年代に性革命が起こって、人間の性というのは
恥ずかしくも何ともないんだと
セックスの生理的な反応も公にしたら、
今度はそっちのほうにひたすら走ってね。
もし日本で性革命が起きてたら、もっとまろやかで
浮世絵的なものになったんじゃないかな。
荒俣 なんか必死にやっちゃう感じですもんね、アメリカは。
糸井 仕事にしちゃう。
工業社会ですねえ、重工業的ですねぇ。
荒俣 同じキリスト教国家でも、フランスみたいに
ばかばかしさを楽しむフォリーにはならない。
糸井 性についてはどこから話しても興味深いんだけど、
人間は体毛を失いましたね。
で、毛が残っている部分で結合している。
それが見事にけもの性をあらわしているようで、
面白いなあと。
大島 その通り。人間が二本足で立ち上がって以来、
なぜ毛が消えたか、いろいろな説があるんだけど、
性のにおいがこんもり残る場所に毛を残していますね。
荒俣 一種のシンボルですか。
ほらあるぞ、みたいな。
糸井 でもいま、どんどん剃ってます。
日本でも男の子たちがスネ毛剃ったり、眉毛切ったり。
大島 動物的でありたくないということなんでしょう。
荒俣 それは20世紀の特徴ですね。
腋の下の毛を剃るのは20世紀はじめ、
パリの女性たちが始めましてね。
最大の理由は、商品としての体は
人工的でなきゃいかんという……。
そこにに毛は邪魔なんだ。
大島 商品価値になったんだ。
荒俣 女体のカーブが一つのステイタス。
それまでの女性はコルセットで
胸や尻をふくらませることができたけど、
コルセットをはずす時代になると、
勝負は自分の体そのもののカーブね。
そのとき腋毛は邪魔なんです。
腕を上げたとき脇の下に線があると
カーブが切れちゃうから。
そして最終的に女体の理想は、
その頃描いていた未来の汽車や自動車のフォルムと
同じになるんです。
糸井 新幹線のように。
荒俣 そう、新幹線。エネメルコーティングでツルツル。
ビスなんか打ってない。
糸井 ビスが毛なんだな。だから見えちゃいけない。
商品流通が全国的になると、
普遍的価値が必要になるけど、
それが女体でいえばツルツルのカーブね。
荒俣 誰が見てもOKと言わないとダメ。
そこで、ユニバーサルな美人というのが成立する。
ちょうど同じ時期に、
ビューティーコンテストといったものも
出てくるんですよ。
大島 そうやって動物性を隠しても、排泄はするでしょ。
それは避けられない。
荒俣 排泄もないことにしちゃう。
大島 こりゃ大変だ。
糸井 けだもの性を隠し続けることで、
1日の半分が終わってしまいますね。
荒俣 ファッションの研究家がコルセットは
悲惨だったと言うけど、コルセットをはずし、
毛を剃り始めてからのほうが、
よほどストレスは大きいと思いますよ。
糸井 剃っていく時代といううのは、死体は隠す、
性交は隠す、排泄は隠す。
だけど「食う」というインプットは隠さないで、
むしろひけらかしてますね。
荒俣 いまのグルメブームなんか、食うほうだけで、
アウトプット、排泄の問題は異様に消されてますよ。
糸井 うーん、溜まってますねぇ。
荒俣 家の設計でも、トイレだけは出来合いのユニット。
人間もいろいろな便所つくってますけど、
もう少し21世紀的な展開があっても
よさそうに思います。
大島 トイレを一つの文化として、
自分の好きなようにデザインするというのは、
僕、賛成ですね。
糸井 トイレについては僕も考えたことがあります。
でもこの問題が難しいのは、
必ず同じ格好をして座ること。
ウンコの仕方には変化がない。
それで僕は一時、便器に横に座って
やってたことがある。
大島 よくやりますねえ(笑)。
横に座ったら、出るものも出ないでしょう。
糸井 非常に難しい。でも新鮮でした。
荒俣 僕は海の中でウンチした体験があるんです。
潮が流れているので、ウンチが
きれいにつながって出ていく上に、
気持ちよくって、ちょっとやめられなかった。
もっとも、潮が逆になったら、
ウンチまみれになりましたけども。
糸井 水中トイレは僕も憧れです。
荒俣 これ、わりとセックスの問題とも
つながっているかもしれませんね。
水中では、より自由が利くんです。
糸井 水中セックス、いいかもしれない。
ファンタジーとしてはいっぱい描かれてるけど、
潜ると苦しいんじゃない?
荒俣 そのまんま『失楽園』になる。
大島 僕、何度か水中でやったことがあるんです。
糸井 あらぁ。
大島 やっぱり陸の上とは違うね。
糸井 難しいでしょう。
大島 難しくもなんともない。
あれ、いいんじゃないですか。
ただ、オーガズムには達しにくいね。
荒俣 水の中だと、ほかに気をとられそうですが。
糸井 変な体位が楽しくないのは、だいたいそれですよ。
そんな難しいことしてどうすんだって。(笑)

(つづく)

第3回 楽しいほどあぶない

第4回 “苦しいに似たり”

1999-12-19-SUN

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