相双連合

相双連合(そうそうれんごう)は、
双葉翔陽高校と、富岡高校と、相馬農業高校の
3つの高校から成る合同チームである。

双葉翔陽高校は福島第一原発のある大熊町にある。
そして富岡高校は隣町の富岡町に、
相馬農業高校は原発30キロ圏内の南相馬市にある。

この3校は震災による部員数減少などの影響により、
夏の大会への参加が危ぶまれた。
そこで、3校は合同チームを結成。
「相双連合」として夏の甲子園を目指すことになった。
全国的にも異例の参加となる。

その相双連合の取材をするために、
どこにどうやって連絡をとればいいのか、
まず、わからなかった。

福島の高野連にうかがって、
相双連合チームの母体となっているのは
双葉翔陽高校であるとわかった。
けれども、双葉翔陽高校に電話するわけにはいかない。
なぜなら、双葉翔陽高校の校舎はもう機能していない。

ぼくは連合チームを率いる
双葉翔陽の服部芳裕監督に連絡をとろうとした。
震災以降、双葉翔陽はサテライト校と呼ばれる協力校の
安達東高校か小野高校に分かれて授業を受けている。

両方の学校に電話をかけたが、
服部監督はどちらにもいない。
ならば練習先で直接お会いして、とも思ったが、
野球部がどこで練習する予定なのか、
それぞれのサテライト校にいる先生にも
把握しきれていないという状態だった。

実際、連合チームは、あちこちのグラウンドを
点々としながら練習を続けていた。
ようやく服部監督に連絡がついたとき、
取材の趣旨などを説明しようとすると、
監督はそれをさえぎるように、
なかば事務的な感じで練習の予定日を教えてくださった。
「今度の土曜日、福島北で練習試合です。
 あとは、現地でお願いします」と。

おそらく、取材が殺到しているのだ。
なにしろぼくのような者も
練習を取材しようというのだから。

調べてみると福島北高校は、
福島交通の医王寺前という駅から
歩いてしばらくしたところにある。
例によって、どういう駅かもよくわからず、
行くしかないでしょ、ということで
ともかく医王寺前駅で降りた。

緑多く、のどかである。
駅前からタクシー、という感じではないな。

おそらく、歩いて10分ほどと踏んでいる。
プリントアウトした地図を片手に進むと、
おお、わかりやすい看板発見。

今日も暑ぅーい一日になりそうですね、
というスチャダラパーの
すばらしいフレーズをくちずさみながらなおも行くと、
遠くから、高校野球的物音が聞こえる。
つまり、野手のかけ声と金属音の入り交じる
真夏の効果音。

ふと意外な角度に視界が開け、
そこに、ああ、見えた、見えた。





福島北高校だ。そして、相双連合。
さまざまな種類の緑の光る、
なだらかな坂道を降りていく。

着くと、相双連合の守備練習がはじまるところだった。
それにしても、予想以上の報道陣の多さ。
弊社のようなおもしろメディアはさておき、
テレビカメラがざっと数えただけでも4台。






いくつものカメラと大きなマイクに囲まれて、
相双連合は練習を続けている。
当たり前だけど、みんな、ふつうの高校生だ。
ふつうの野球部と違うのはただひとつ、
選手の着ているユニフォームが3種類あること。


資料によれば、相双連合の
学校別のチーム構成は以下のようになっている。
双葉翔陽高校14人、富岡高校1人、相馬農業高校3人。
たぶん相馬農業高校3人のうちの1人は
マネージャーじゃないだろうか。

ほとんどは双葉翔陽高校の部員が占めるが、
たんに双葉翔陽高校にほかの学校の4人が
混ざっているだけかというと、
それはニュアンスが違う。
というのも、双葉翔陽高校も14人がそろって
練習できているわけではないのだ。

つまり、14人+1人+3人の相双連合は、
ふだんあちこちの高校の野球部で練習している。
それが、おもに1週間に1回、
みんなでそろって練習をする。

初練習は5月29日。
けっきょく、福島大会がはじまるまで、
総合練習は7回しかできなかったという。
ぼくが取材したこの日は、最後の練習試合。
相手は地元中学の出身選手が多く、
チームワークのよさで知られる福島北高校だ。


相双連合の試合前の守備練習を見学していると、
これまでの報道で見聞きした
何人かの選手がすぐに目に飛び込んでくる。
この相双連合、どうしても
その境遇と成り立ちばかりが注目されてしまうが、
じつは、野球マンガに登場しそうなほど、
個性あふれるチームなのである。

おもなキャラクター‥‥あ、いや、
選手たちを紹介しておこう。

相馬農業高校から参加し、
サードを任されることになった
八巻健太くん。2年生。
守備はまだ不慣れだが、思い切りのいい打撃が持ち味。
あと、ほら、パッと見、キャラが立ってるでしょう?

富岡高校からただひとり参加の
中村公平くん。3年生。
ショートという重要なポジションをこなしつつ、
四番を打つ。つまり、野球センス抜群。
身体のバランスがよく、長打力もある。

相双連合のキャプテンを務める
双葉翔陽の遠藤剛司くん。
明るいムードメーカーで、
急造チームをまとめていく。
守備の要となる強肩キャッチャー。

エースは双葉翔陽の林優太朗くん。
どちらかというと軟投派。
アウトコースへの変化球が生命線。
打撃センスも光る。

そして服部監督。
いわゆる、ベンチからヤイヤイ言うタイプの監督で、
一見、怖そうだけれど、
話してみるとたいへん親しみやすい。
「なんでわざわざ難しい球打つかなーー」的な
福島弁のボヤキに、時折筆者は、
西田敏行さん的なおかしさを感じて笑ってしまった。

この日は開会前の最後の週末。
本来、最後の調節になるべき時期だが、
中継などの連携に多くの時間を費やしていた
守備練習を見ているかぎり、
相双連合にとってはまだまだ時間が欲しいところだろう。

ちなみに、相双連合が守備練習をしているあいだ、
ボールの補充や球拾いといったバックアップは
福島北高校のナインが担当していた。





守備練習のあと、
福島北高校対相双連合の練習試合がはじまった。
思えば、練習試合とはいえ、試合を観戦するのは
この取材を開始してからはじめてのことだ。







それで、我ながらどうかと思うのだけれど、
試合がはじまると、真剣に観ちゃうのである。
曲がりなりにも取材する身として
そりゃあんまりじゃないかと思うけれど、
たとえば、ツーストライクと追い込んだ投手が
アウトコースぎりぎりへ流れる変化球を投げて、
打者がそれを見逃し、一呼吸おいて、
主審が「‥‥ボール」とコールすると、
観ているぼくは、つい、
「にゃっ!」みたいな声を発してしまうのである。
ちなみにこの「にゃっ!」には、
「惜しい!」「ナイスボール!」
「打者もナイス選球眼!」
「でもほんとにボール? 入ってない?」
というあたりの感情の入り交じるひと言である。

しかし、仮にも取材の腕章をつけ、
一眼レフカメラを片手に取材をしているなら、
試合を観ながら「にゃっ!」などと言ってはいけない。
猫じゃないんだから。






ああ、いいなぁ、野球はいいなぁ、などという
どうしようもない幸福感とともに展開を追っていると、
暑さと陽射しでちょっとくらくらしはじめた。
福島の夏は暑いよ、と誰かが言っていたけれど、
いや、ほんとに、暑い。

しかしながらみなさん、ぼくも取材をはじめてから
あらためて痛感したことだけれどもね、
グラウンドには日陰が少ないんですよ。
いや、あるにはあるけど、そこは道具置き場だったり
関係者席だったりすることがほとんどでね、
およそ高校野球をするような場所には
無駄な日陰はないといっても過言ではない。
どうぞ、夏の高校野球を取材するときは
日除け、ならびに熱中症対策を、
おさおさ怠りなくということを
ゆめゆめ忘れることなかれ。

イニングの合間にバックネットあたりの日陰へ
こそこそ逃げ込んでいると、
福島北高校のご父兄の方から
冷えたアイスコーヒーをいただいた。
この夏、いちばん美味しかったアイスコーヒー賞、
受賞決定である。
ちなみに、こちらがその受賞作。

試合は、両チームがそれぞれに
メンバーを入れ替えつつ戦い、ほどよい乱打戦となった。
試合結果は11対6で福島北高校の勝ち。



試合後、ベンチへ戻った選手たちと監督を
取材陣が控えめに取り囲む。
それにしても、高校の練習試合が
これほど注目されるのもめずらしいだろう。

富岡高校の中村くんと、相馬農業の八巻くんに、
試合を終えての感想を訊いてみた。

中村
「今日は点は取れたんですけど、
 相手にもそれ以上点取られたんで、
 やっぱり、相手に点やらないように
 とくに守備をしっかり改善していきたいです。
 実戦経験は少ないんですけど、
 開幕する日は変わらないので、
 やっぱり、言い訳できないので、
 しっかりやりたいです」

八巻
「最後の練習試合だったので、
 みんな気合いが入ってできていたと思います。
 ヒットは出ましたけど、
 守備のほうに課題があるので、
 そこはもう、ちゃんとしていかないと。
 学校の人たちをはじめ、
 周囲の人も応援してくれてるのでがんばりたいです。
 自分としてはもう、野球に集中できてます」

当たり前だけれども、
彼ら自身はごくふつうの高校野球部員で、
特別なのはその境遇である。
コメントは高校生らしくまっとうなもので、
ぼくもとくに深いところへ
斬り込むような質問も持ち合わせず、
ありがとうございましたと
互いに言い合って取材を終える。

ほんとは、ふたりともいいヒットを打っているのだから、
「ナイスバッティン!」くらいのひとことから
会話をはじめたいのだけれど、
いかんせん、ぼくも彼らも、固い。

ベンチの彼らを見守るあたりの位置で、
服部監督が取材を受けていた。
ぼくもあわててその輪に加わる。

服部監督
「今日は雨の予報だったのが、
 こうやって、暑い中、体力を使いながらできて、
 それがまずいちばんよかったね。
 いい練習試合になって、
 福島北高校のみなさんには感謝したいなと思います。

 まあ、やれるだけの準備はやれたというかね、
 回数は少かったけど、準備は整ったので、
 あとは本番でね、ミスを修正して、
 なんとか勝てればなぁと思ってますけどね。

 (初戦は喜多方高校ですが、対策は?)

 相手がどこであろうと、うまくつながれば
 今日みたいに6点くらいは取れるわけだから、
 それができるように自分たちでやっていく。
 相手じゃなくて、自分たちだね。
 相手にミスしてくれなんて言えないからね、
 まずは監督の俺がミスしないように。
 自分らがやんなきゃ、勝ちは寄ってこないからね。
 まぁ、少ない練習のなかではあるけど、
 できるようになったことがふだんどおりできれば、
 いいゲームができて、いい結果がもらえる。
 だから、1勝だ、まず1勝。まず勝つ。
 勝てば、つぎ、まだ勝負できるので。
 負けちまえばそこで終わりだ。まず勝つ。
 1日も長くね、こいつらと一緒に
 野球がやれればな‥‥と思いますね。
 チーム持づとな、夏の大会は
 ほんとに1日も長くって思うんだ。

 (初戦の喜多方戦は、今日と同じオーダーで?)

 ほかにいねぇべ(笑)!

 (注目されることに慣れてきて、
  それを楽しんでる余裕すら感じましたが?)

 それはもう、言ってありますから。
 おめぇら、見られるのは当然だと。
 ただ、それはグランドには入ってこない。
 グランドでやるのはおまえらだ、って話はしてる。
 もうゲームがはじまればゲームに対しての
 集中力っていうのが、あると思うし、
 そんなのは、ぜんぜん。
 あと、よく話してあるのは、わたしの経験でね、
 ダルビッシュと東北大会でやったときのお客さんとか、
 聖光学院戦のときとかね、
 たくさんのお客さんの中でやるっていうのは、
 『おめぇ、気持ちがいいんだよ?』って話をね(笑)。
 そのぐらいのほうがたのしくやれるし、
 みんなに見てもらえるんだよ、っていう。

 (ほんとに全国からたくさん応援が
  寄せられてると思うんですけど)

 うん。
 その人らが見て、ああーがんばったなぁ
 って言ってもらえるように、
 俺らはがんばるだけで。
 それでどうしてほしいとか、
 こうしてほしいとか、じゃなくてね。
 ああー、がんばったなって。
 そんなゲームにして、
 みなさんに支援していただいたぶん、
 返せればなって思ってるだけで‥‥。
 じゃあ、悪いけんどな、メシ食ってくるな」

練習試合のあとは、
福島北高校の父兄の方のはからいで、
野外バーべーキュー。
福島北高校と相双連合が入り交じって
わいわいと食事を楽しむ。







さすが、高校生。もりもり食べる。
じゃんじゃん焼かれる肉が、じゃんじゃんなくなる。

食事が一段落したころ、ふと見ると、
服部監督がぽつんとシートに座っていた。
ぼくは近づき、話しかけた。
宗像さんに聞いたあの話を、
たしかめておきたかったのだ。

監督、ちょっとお話、よろしいですか、
と声をかける。
ああ、はいはい、と服部監督。

勝利後の校歌のかわりに、
『栄冠は君に輝く』を歌うことになってる
とうかがいましたが、
どういう経緯で決まったんでしょう?

服部監督
「えーとね、ま、3校の連合チームをつくるときに、
 勝ったときに流す歌と、
 試合のときに掲げる旗を決めてくれと言われてね。
 で、まずは校旗をどうしようかと思ったんだけど、
 富岡高校さんは、学校、入れないのでね。
 部室にあるけど、取りに行ける状態ではない、と」

そこでちょっとぼくは驚いてしまう。
そして、「あ、入れないんですね」とつぶやく。

もちろん、ニュースで知ってはいた。
福島第一原発から20キロ圏内は
警戒区域となっていて、立ち入ることができない。
富岡高校があるのは、原発のある大熊町の隣町だ。

しかし、毎日通っていた校舎に、
突然入れなくなるというそのリアリティーは、
ニュースで知った知識とは明らかに手触りが違った。
部室に、大会のときに掲げる校旗がある。
けれど、もう、それを取りに行くことができない。

ぼくがつい「あ、入れないんですね」と
つぶやいたのを聞いて、
服部監督は苦笑しながらこう言った。

服部監督
「うちも入れねぇんだけどね」

ああ、そうだ、
そういう状態だからこその合同チームなのだ。
自分の認識の甘さを痛感する。

しかし、それを知っていることと、
現実味をもってきちんと感じることは、やはり違う。

たとえば、自分が高校時代を過ごした校舎を思う。
春に卒業式を迎えたとき、
写真を撮ったり、撮られたりしながら、
その風景を刻み、立ち去った校舎を思う。

富岡高校も、双葉翔陽高校も、
そしてそのほかのサテライト校で過ごしている
いくつかの高校も、そこに通っていた生徒たちは、
きちんとその風景を刻み込むことなく
思い出深いその校舎に入れなくなってしまった。
おそらく慌ただしく、唐突に、理不尽に。

校旗だけでなく、さまざまなものが置き去りだろう。
手になじんでいたグローブも、気に入っていたバットも。
描きかけの絵も、楽器も、漫画も、写真も、手紙も。

そして、それらの風景が、
現実味をもってピントを結んだとたん、
もっと手前に、もっとひりひりするような風景が
広がっていることにぼくは気づく。
知識としては知っていた。
けれども、いままでの自分は
きちんとそれを感じ取れていなかったのだと気づく。

自分の家に入れない人たちがいる。
さまざまなものが、いまも置き去りになっている。
荷物を段ボールにきちんと詰めて
引っ越したわけではない。
それらは、ぜんぶ、そのまんまになっている。

もしも自分が、いま、自分の家に戻れないとしたら。
そう考えるだけで‥‥いや、おそらくぼくは、
それをうまく想像することすら、できていない。

部室に置き去りになっている
校旗から広がったイメージにたじろいでいるうちに、
服部監督はことばを続けた。

服部監督
「うちは、たまたま私のロッカーに
 校旗の入ったバッグがあってね、
 相馬農業さんの旗もあったんだけど、
 まぁ、うちの人数が多いので、
 旗は双葉翔陽のを使いましょう、と。
 で、校歌は3回勝って、
 3校の校歌を1回ずつ流せれば
 いちばんいいんだけど、
 そうならないことがあるのでね、
 (宗像)理事長なんかと相談をして、
 まぁ、たいへん僭越ではあるんだけど、
 大会歌の『栄冠は君に輝く』を、勝てれば流したいと。
 そうお願いしたっていう感じかな」

どちらが勝ってほしいというわけでなく、
純粋に、球場に流れるその歌を聴きたいと思った。
それで、聴きたいですね、と
ちょっとしみじみした感じで言ったら、
監督は、ベンチから選手に向かって
ヤイヤイ言うような調子でこう言った。

服部監督
「いや、聴かねぇと! 終わっちまう!」

そうだ。そのとおりだ。
たった一度、試合に負けるだけで、
球児たちの夏は終わってしまう。
それは、夏の甲子園がその根本に抱える、
どうしようもなくシンプルで切ないシステムである。

最後に、監督はつけ加える。

服部監督
「(宗像)理事長は、今回、
 いろいろと奔走してくださって、
 そのおかげでここまでこれたのでね。
 がんばって勝って、大会歌を流すことが、
 恩返しかなぁなんて思ってるので」

ありがとうございます、とお礼を言って、
ぼくはその場を離れた。
取材のICレコーダーを再生してみると、
録音時間はわずか3分40秒。

たったそれだけの時間だが、
福島に来た意義を感じ取れるほどに
大切なものを得たような気がした。

さて、
ここで原稿を終えるとおさまりがいいのだが、
もうひとつ、書いておく。

午後の青空に雲が集まってきて、
あたりが暗くなった。
バーべーキューの片づけも終わったころだ。

ぽつん、と降り出した。
たいした雨量ではない。
けれども、ぽつぽつと、乾燥したグラウンドに
雨粒はまばらな模様を描く。

雨は放射性物質を降らせる可能性がある。

福島大会においても、試合が雨で中断した場合、
再開前に放射線量を2ヵ所で量ることが決められている。

監督やコーチが立ち上がり、
荷物を屋根のある場所へ運ぶように指示する。
ぱらぱらと降る弱い雨だったから、
一刻も早く、という感じではないが、
あの事故以前にこういうことはなかっただろう。

ぼくは、落ちる雨粒を感じながら、
どう振る舞うべきかよくわからずにいた。
ぜんぜん問題ないと笑い飛ばせないし、
全速力で物陰へ走りだすこともできなかった。

すでにそれはやみかけている。
ただの雨として考えれば、傘さえ必要のない勢いだ。
しかし、雨粒はたしかにぼくのシャツに染みこんでいる。
このシャツは家で洗うことになる。
ぽつぽつと降る雨の下にあってなお、
ぼくは自分の行動を決めかねる。

けっきょく、ぼくは先生たちにうながされて
荷物を屋根のある場所に運ぶ選手たちと
同じように動いた。
とりあえず、屋根の下へ。
そうこうしているうちに雨はやんだ。
どうするべきだったか、じつはまだわかっていない。