何十分、何時間経ったかはわからない、
なんだか煙のような、
とらえどころのない感情がむくむくと湧いていて、
私はそのとらえどころなさのなかに、
ゆっくりと起きあがる。
六畳分の闇全体を見渡す。
むくむくと湧きあがるその感じは、大きく渦を巻き、
部屋のある一点めざし流れ込んでいく。
それは押し入れだ。
そのなかの何かをいま取らないと、
私はそういわれている気がし、
膝でにじり、押し入れの戸をそろそろと引き開けた。
衣装ケースの向こうに、かすかな光がある。
顔を近づけてみると、板壁にひとつ、
小さなふしあなが空いている。
昔のこたつのなかみたいな、
ほの暗い、あとずさるみたいな光が
そこから漏れだしている。
私はなにも考えず衣装ケースをずらすと、
部屋に渦巻くとらえどころのなさに押されるように、
右目をそっとふしあなの光に押し当てた。

ちょっと目が押し戻される感覚が一瞬あって、
何度か瞬きすると、
ふしあなの向こうの様子が暗い中に見えてくる。
蛍光灯の点灯管がつけっぱなしなのか、
それともそういう照明なのか、
赤っぽい微光のなかに、
うっすらと丸いちゃぶ台の形が浮かびあがる。
上にいくつか物が載っているけれど、
そうしたものが何なのかはよくわからず、
人がいるかどうかもはっきりはしない。

なんだかねぼけてでもいるみたいだ。
いまこの場所に、
いるはずなのにいないといった非現実感が、
こうして衣装ケースに手をかけて覗いていると、
押し入れじゅうに充満してる気がする。
夢でもないと、人のうちをふしあな越しに覗くなんて、
ふだんのわたしならちょっと考えられない。
ちゃぶ台のむこうで何か動く。
光の赤味が少し強くなった気がする。
そうして私は息を呑み、
さっきからの違和感がなんなのか、
からだがクルッと裏返ったみたいに理解する。

押し入れからにじり出、ベランダを振り向く。
南向きで二階の高さ、道路に面してる。
そうして西側の壁に押し入れ、
その横には机、机の上に小窓がある。
小窓を開けて見おろすと、そこにはいつも通り、
夜の動物みたいにライトバンや乗用車が蹲っていた。
私の部屋は南西の角にある。
アパートの西隣はアスファルト敷きの駐車場だ。
ふしあなの向こうに部屋なんてあるはずない。

つづく
文・絵:いしいしんじ プロデュース:糸井重里 須貝利恵子(新潮社)
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