バスと電車とタクシーを乗り継ぐこと3時間あまり。
たどり着いたのは千葉県南房総市白子の
道の駅「ローズマリー公園」。
入り口近くには、なぜかソクラテスの石像。
そして、巨大ソフトクリームを抱える人形。
さらには謎の「中国物産展」の看板。
中央に建つのは「はなまる市場」という農産物直売所。
むむ、どこにでもある道の駅??
でも、奥に進むと‥‥、
ありました! シェイクスピアの〝生家〟。
意外や意外、
これが、びっくりするほど立派なのです。
この一角だけを切り取れば、
「もしかすると、ここはシェイクスピアの故郷、
ストラトフォード・アポン・エイヴォン!?」と、
さすがに思いはしませんが、
一瞬、「千葉」であることを忘れる程度には
異国情緒が漂います。
隣接する「シェイクスピア・シアター」がまた、
なんとも趣ある空間でした。
100ほどの客席を擁する小さな劇場は、
中世のイギリスをイメージして造られたものらしく、
時空を超える旅に連れていってもらえそう。
(ちなみにここは、一日7700円で誰でも借りられます。
見学だけなら無料です。)
正面と天井の絵だけでも見る価値があります。
シアターから2階にあがると、そこは資料室。
これがまた、驚くほど本格的。
『テンペスト』や『夏の夜の夢』、『ハムレット』
といった有名なシェイクスピア劇の一場面を再現した
彫像があり、録音された俳優のセリフが流されます。
シェイクスピアの生きた時代、当時のロンドンの様子、
代表作の数々など、解説は的確にして名文。
たとえば、こんな具合です。
1600年頃初演の『ハムレット』から「悲劇の時代」がはじまる。『オセロー』『リア王』『マクベス』とつづく四大悲劇は、人間性の悪をひるむことなく見据えた恐るべき傑作群である。「生か死か」という問いをはじめ、親と子、夫と妻、政治と人間、現実と幻想などの諸問題が、鮮やかな劇作術を駆使して掘り下げられる。新旧の価値観が衝突した西洋近代初期の産物でありながら、普遍的魅力をもって世界の文学に屹立している。
監修した人はただ者ではない!
そう思ったら、案の定、
日本シェイクスピア協会会長を務めていた
シェイクスピア研究の大御所
故高橋康也東大教授であることが、
あとになってわかりました。
さらに資料室の一角を占めるのは、
紙人形作家・中西京子さん作の群像。
シェイクスピアが生きた時代の人々や町の様子、
グローブ座の熱狂が生き生きと再現されています。
まるでお芝居を観る人々の歓声が聞こえてきそうなほど。
ざっと見て回れば1時間も要しない場所ですが、
ちょっとしたシェイクスピア旅気分は味わえます。
それだけに、入り口に屹立する
「はなまる市場」周辺の猥雑さとの落差が
余計に気になります。
どうしてこんなことに……?
そこには市町村合併に伴う
公園の変遷がありました。
もともとここは、千葉県安房郡丸山町でした。
地中海と同じ緯度に位置することを理由に、
「風車とローズマリーの里」として
開発が進められ、
1991年に「ローズマリー公園」が開園しました。
その後、1997年に
「シェイクスピア・カントリーパーク」という名の
有料テーマパークとして整備されたようです。
でも、2006年、周辺7町村が合併して南房総市となり、
運営が旧丸山町の手を離れると、
経営の傾いたパークの運営は民間企業に委託され、
2011年11月「シェイクスピア・カントリーパーク」は、
その幕を閉じたのでした。
つまり、いま残るシェイクスピアの生家と関連施設は、
シェイクスピア・カントリーパークの名残なのです。
‥‥と、ここまでを、
ほぼ日の学校の河野学校長に報告しました。
すると、学校長は
「ああ、そういうことだったのか。」と
遠くを見る表情を浮かべたのです。
聞けば、このシェイクスピア関連施設を
本格的なものにした監修者・高橋康也氏は、
学校長が大学1年生だったときの
英語の先生でした。
少し、学校長の話を聞いてみましょう。
「教養課程の英語の授業で、
シェイクスピア時代の形而上学詩人
ジョン・ダンの作品をテキストにしたのが
高橋先生でした。
カトリック教徒の家系に生まれたジョン・ダンは、
身内が宗教的迫害の犠牲になるのを
目の当たりにしながら、やがて自らは
イギリス国教会の牧師となり、
セント・ポール大聖堂の主席司祭になります。
そうした宗教的背景をもった彼の作品は難解でした。
聖なるものと俗なるもの、
まったくかけ離れた2つの概念を
大胆に結びつける文学手法などは
シェイクスピアにも通じます。
後々なるほどと思うのですが、
当時はポカンと聞いているだけでした。
それでも、単なる英語の授業でなく、
英文学というものの窓を開いてくれたのは
高橋先生です。
たまたま私が中央公論社に入社することが
決まった直後に中公新書で先生の『道化の文学』が
刊行されました。入社した直後に、
次の新書『シェイクスピア時代』(樺山紘一氏との共著)
の企画が動き始めました。
いろいろご縁がありました」
加えて記せば、
高橋康也氏は「シェイクスピア講座」の講師の一人、
河合祥一郎さんの岳父でもあります。
「ふるさと創生」が残した遺構にしてしまうには、
まことに惜しい。
訪れる人が増えれば、
地元自治体も考えを変えるかもしれません。
花の季節にあわせて行けば、
大人の遠足にぴったりです。
でかけてみませんか?
南房総でシェイクスピアの世界に浸りに。