村口和孝さんは、
新しく事業をはじめようという人と
その会社に資金を投じて、
生まれたての企業の成長を後押しする、
独立系ベンチャーキャピタリストです。

そして、大学の経済学部に籍をおいていたころ、
授業よりも熱心にシェイクスピア劇を演出していた
大のシェイクスピア好きでもあります。

そんな村口さんにとって『ヴェニスの商人』は、
数あるシェイクスピア作品のなかでも、
特別な作品のひとつです。なぜなら、
ベンチャーとは何か、投資とは何か、だけでなく、
友情やものごとの本質についても教えてくれるから。

ただ、村口さんの読み方はちょっと変わっています。

なぜなら、かの有名な「人肉裁判」よりも、
「アントーニオの船が戻ってきた」ことに
心を揺り動かされるから。

そんな村口さんと、
2人のシェイクスピア研究者がめぐりあいました。

松岡和子さんと河合祥一郎さん。

ともにシェイクスピア全作品の新訳に挑んでいます。

3人の会話はどんな盛り上がりをみせたのでしょう。

2.
億の金を扱う
投資家の目で読むと‥‥

村口
もうひとついうと、
『ヴェニスの商人』をユダヤ人対キリスト教徒という
民族問題として読む人がいるけれど、
そうではなくて、ユダヤ人だろうとキリスト教徒だろうと、
そのどちらにもいる形式主義者と本質論者。

それを描いていると思うんです。

シャイロックはユダヤ人の典型ではなく、
何人であれ「こういう奴いるんだよ」という典型として
描かれている、と。

契約書にどう書いてあるかよりも、
心の中でこうだよね、と誓ったものと、
書いてある文字面だけをたてにする形式主義。

その対比をシェイクスピアは真剣に書いたと思うんです。

箱選びも人肉裁判も茶番じゃないですよね。
河合
もちろん茶番なんかじゃありません。
村口
シェイクスピアはちゃんと書いているんですよ。

わたしは毎日投資をしているわけですが、
たとえば今日、十年前に投資した金が数億円戻ってきて、
明日配分するんですけど‥‥
河合、松岡
おぉ!
村口
そういうことが日々おきている世界の者として
『ヴェニスの商人』を読むと‥‥
河合
おおおおおおお、リアルですねえ!
松岡
すごい!

村口
ちゃんと書いてあるわけですよ。

金の箱には
「我を選ぶ者は、多くのものが望むものを得るべし」
銀の箱には
「我を選ぶ者は、おのれにふさわしいものを得るべし」
鉛の箱には
「我を選ぶ者は、持てるものすべてをなげうつべし」と。

投資も、自分の人生ぜんぶかけて、
未来に向かって選択しつづけないと、
うまくいかんわけですよ。
河合
いやぁ、説得力ありますね。

その視点でいうと、
冒頭、アントーニオが「憂鬱」なのはどうしてでしょう。
村口
投資してると眠れなくなるんですよ。
河合、松岡

村口
ほんとにお金は振り込まれるのか。

戻ってくると確信していても確信しきれなくなる。

アントーニオの“友だち”サレーリオとソラーニオの
冷ややかなセリフは、私に向けられるのと同じですよ。

「村口さん、そういう投資をしたら、
そりゃあ眠れなくなりますよ」
河合
すごく説得力がありますね。
村口
友だちは、没落アントーニオとして見ている。

「ごめん。お金ないわ」といって貸さない。

「貸す」という言葉がでない。
河合
それでシャイロックに借りにいくわけですね。

大財閥の情報ネットワーク

松岡
村口さんの視点からご覧になると、
アントーニオが
反目しているシャイロックにお金をかりるのは、
よっぽどの事態なわけですよね。

知り合いにはぜんぶあたって、
ダメだったということですよね。
村口
1幕1場から1幕3場までの間に、
アントーニオは、これぞという友だち
5人から10人に、
すでに借金を断られているでしょうね、
わたしの感覚では。
河合
ほぉ、なるほどね!ところで、船が戻ってきたという
重要な情報を伝えるのが、
大富豪のポーシャというのは、
投資家の目からみるとどう読めるのですか?
村口
大財閥は情報ネットワークを
持っているわけですよ。
河合
あぁ、説得された!(笑)
村口
船が沈んだらしいと流した
サレーリオたちがもっていたのは、
単なる港の噂話。

それに対して、おそらく自身も投資をしていた
ポーシャの家は、町の情報よりも
質の高い情報網を持っていた。

ポーシャの家は情報戦を戦い抜いていたと
思いますね。

いまでいえば、
ロシアや中東のオイルマネーとか、
ウォール街に象徴されるような世界ですかね。
河合
なるほどねぇ。
村口
この、船がひょっこり戻ってくるのが
おもしろいですよね。

船が戻ってこない、
つまり投資した金が回収できない前提で
人肉裁判が行われるのに、
結局、船は戻ってくるわけです。

アント―ニオの投資はちゃんと回収できる。

5幕1場まで進んでから。

それで、すべてのロジックがはまる。

「アントーニオ、すごいね」となるわけです。
河合
そこで「アントーニオはすごいね」と解釈するのが、
村口さんらしいです。

(つづきます)

2018-03-03-SAT