ガンジーさんが来た日。
・・・鼠穴では、テープが回っていた。

第2回 死が、同情にまきこまれてしまうのかな。


   
糸井 ぼくが、ほぼ日で「ガンジーさん」を
はじめたいなあと思った動機としては、
今まで、人生が終わるということについて、
それなりに、いつも考えてきたからなんです。

父親が亡くなった時にも、
ぼくは、かなり冷静だったんです。
「愛情がないんじゃないか?」と言われたけど、
別に、愛情がないから冷静だった、
というわけでは、なかったんです。

父親の場合は、病気に関することで、
まわりが自分にうそをついているのが
いちばん嫌だ、という気持ちがあったようで。
ある意味では、それが唯一、父親にとっての
思い残すことだ、という感じさえ、していました。

そこで、ガンジーさんというかたが、
自分の病気を知ってしまったあとで、
どうやって強く生きていくのか、
あるいは、予定どおり弱く生きていくのか、と。
ガンジー 「予定どおり、弱く」って、おもしろい表現ですね。
わたしは、こういう話をうかがうのは、はじめてです。
糸井 冷酷に聞こえるので、
ふだんはこういうことを、
あんまり、人には言えないんですよ。

でも、要するに、自分のことでも、
ちょっと「どうでもいい」というところがあって、
・・・いや、まあ、大事にはしているんですけど。
でも、人のことでワンワン騒ぐ人というのが
いやらしく見えて仕方がないんですよ。

まあ、自分のこどものことだったり、
十代の人の死だったりしたら、
それはまた別でしょうけど、それ以外なら、
悲しいし、つらいものではあるけれども、
そこで騒ぐように死を盛り上げる風潮には、
「変だなあ」と感じていたものですから。

だから、冷たいように思われますが、
亡くなったら亡くなりました、って、
ふつうに出してみたい、と考えていました。
これは、ご本人を前にした言葉としては、
非常に失礼なんですけど・・・。
ガンジー いえいえ、かまいませんよ。
気持ちは、わかりますから。
糸井 ガンジーさんだから、
だけではなくて、ほかの方にでも、
ぼくは、そうしただろうと思います。
同情という、わけのわからないものに
「死」がまきこまれていくことに関しては、
おかしいなあ、と感じていましたから。
ガンジー うん、それはおかしい。
糸井 だって、全員がいづれは死ぬのに。
ガンジー そうです。
糸井 で、ガンジーさんの
お考えになっていることを読むと、
ぼくとちょっと近いものを感じましたので、
じゃあ、両方が実験台になりませんか、って。
ガンジー はあ、なるほど。
糸井 あとからどうせ、みんな順番に行くんだから。

だとしたら、折り返し地点から後の人たちが、
どういうふうに自分を表現していくかというのは、
悲しいだけではないテーマとして、ありますよね?

今までだと、あとで亡くなってから、
その人の残した日記を読むことはできましたが、
そうじゃないかたちで、例えば衆人監視の前で、
「俺はもうだめだ」
と言う文章は、見たことがなかったんです。

ただ、テレビでもラジオでも雑誌でも
そんな特集はできませんから、
もし自分がそういう病状だったら、
自分でやってもいいくらいだ、
とは、思っていました。
ガンジー うちの娘も、そういうところがありましてね、
だから「ほぼ日刊イトイ新聞」があるから、
お父さん読んでみなよ、と
紹介をしたのかもしれません。
糸井 やっぱり、娘さん、いいですよねえ。

「ガンジーさん」をはじめるにあたって
ぼくが気をつかったのはひとつだけで、
その結果、運命を変えてしまって、
なだらかに流れている運命を
自分でのぞんで、ではないかたちで
何かにまきこませてしまうと、
余計にいろいろなことが加速しちゃうというか。
それがいやだったので、名前は伏せて・・・。

あとは、テレビの取材とか、
けっこういろいろあったんですよ。
本人が、最後だから思いきり出たい、
というのがあれば、別なんですけどね。

依頼書には、大事にする、とは書いてあるけど、
やっぱり、結局は視聴率が欲しいんです。
ガンジー そういうところに出たら、
わたし、泣かなくちゃいけないですよ(笑)。
糸井 意識的に「明るくふるまう」とか・・・。
「いつもは何なさっているんですか?
 じゃあ、ローラーブレードのシーンを撮って」
なんて、いつも滑っていない時間帯に
撮影をしたら、嫌ですよね?
ガンジー そういう時は、転んじゃうんですよ。
糸井 (笑)
ガンジー ご配慮、ありがとうございます。
糸井 そこまで行くと、違うなあ、と思ってました。

あと、ふだんの毎日で、若い人が
それまでずっと生きてきた
年上の人の話を聞くチャンスは、
ほとんど、ないじゃないですか。
でも、ガンジーさんの言葉を通してなら
それができるんじゃないかなあと思ったんです。
そうなったら、おもしろいですよね?
ガンジー ええ。
糸井 あと、「ガンジーさん」をはじめる際に
こちらで小さな配慮をしたところは、
読者の反応を直に読めすぎることの
つらさが、あるとは思うので、
こちらとしては、たくさん来るメールは、
できるだけ負担にならないようなかたちで
ぼくが一回、ダムをつくって、
ちょろちょろ流していこうと・・・。

ぜんぶ読んでいたら、
たぶん、死んじゃってますからね。
ガンジー 「ダム」かあ。
うまいこと、よく、思いつきますね。
糸井 自分だったら、と思うと、
おそろしいですもん。
ガンジー いや、それもありますけど、
おもしろいのは「ダム」という言いかた。
まさしくダムじゃないですか。

そういうふうに、うまいことを思いつくのは、
糸井さんが、ひねくれているからですか?(笑)
糸井 (笑)はい。
ひねくれているんですよ。
ずっと静かに、四つくらいの目で
見てるんでしょうけど・・・。
いじわるなんですよ、きっと。

それはもう、ものを表現する人は、
ほんとはそんなことをしないで生きたいんです。
だけど、しょうがないんですよね。
「欠け」があるからついつい表現しちゃう。
ガンジー ところで、ガンジーの
賞味期限は、いかがでしょうか?
糸井 いや、ボケボケになっても
やっていただきたいんです。
あ、この人、あぶないな、って
人が言うようになっても、
それをそのまま出していいと思うんです。
ガンジー あ、ボケる人って、
まじめな人だ、って、
こないだ新聞に書いてありましたね。
糸井 (笑)そういう意味じゃ、
ボケないかもしれないけど。

(つづく)

2001-03-12-MON

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