ガンジー |
わたし、正直に申しますと、
糸井さんの文章の中には、
むつかしくてわからないところもあるんです。 |
糸井 |
そうですか(笑)。すみません。 |
ガンジー |
言葉は平易なんですよ。
だけど、糸井さんの書く世界は、
わたしには、まったくはじめてのもので。
今までは大体、町工場のおやじさんとか
そういう人と関わって仕事をしていましたし、
同級生でも、仲のいいのは、そういう連中です。
だから、私としては、「ほぼ日」は
まったく別の世界に入ったような・・・。
しかし、おもしろいですし、ねえ。 |
糸井 |
それは、どうなっても、
メールを打てる限り、くださいね。
冗談のように言っていますが、ほんとです。 |
ガンジー |
糸井さんは、縁を大事になさると、
ぼくは前にチラッとどこかで読んだのですが、
やっぱりそういう考えが根っこにあるんですか? |
糸井 |
はい。
これは、親鸞という人からの受け売りですが、
何かしようとして運命を変えられるだとか、
誰かを救うだとかいうことは、ありえない、
と、親鸞は、そう言ったらしいんです。
それをできるのは、天とか、
そういうものだけだとしたら、
親鸞にとって、何かをできるとしたら、
それはその都度の場合に応じたものであって、
そこで「面々の御計(はからい)」という
言葉を使っているんですけど・・・。 |
ガンジー |
はい。 |
糸井 |
「面々」というのは、
お面の「面」・・・「面前」ですよね?
会った人と会った人のあいだで生まれることを
どう作るのかが、「面々の御計」といっていて。
それを大切にしたい、というようなことを、
どうも、親鸞は、しゃべっていたらしいです。
「あっちではああ言ったけど、
こっちではこう言ってたじゃないか」
親鸞は、あちこちでそう言われたのですが、
だけど、それは全部「場合」が違うので、
それぞれの関係のなかでは、
生きている言葉でも、あったんです。
場合場合で、喋ることは
ぜんぶ違ってくると思うんですよ。
しかもその、
それぞれの場合ができるということも、
自分で決めたからじゃなくて、
たまたま目と目があったとか、
たまたま隣り合わせになったとか、
「たまたま」しかないんですよね、きっと。
ですから、ガンジーさんと
おなじご病気の人が、そのあと
たくさんメールをくださったけれども、
それは、一回ガンジーさんと縁ができてしまったら、
おんなじことを、またぼくが
ほぼ日でやる縁は、薄くなりますよね。 |
ガンジー |
じゃあ、わたし、お山の大将なんだ。 |
糸井 |
ええ。「ガンジー代表」で(笑)。 |
ガンジー |
それは、縁? |
糸井 |
そうでしょうね。
例えば、人と会っていても、
ずっと会うんだろうなあと思ったり、
一回だけしか会わないだろうなあ、
と感じさせたりする人がいるし。
それはもう、勘ですよね。
もちろん、いづれ
離れることも、あるだろうし。
例えば、一番仲のいい友達と
一年に一度しか会わないことって、
あるじゃないですか。
そういうのも、縁ですけど、
それはそれでで、かまわないですよね?
ぼくも、いちばん仲のいい友達とは
一年に、せいぜい2、3回しか会わないし、
毎日会っている人も、いるし。 |
ガンジー |
そうですよね。
頻繁に会えば、いい、
ってものでも、ないですよね。
昔、キャバレーの女の子が電話してきたり、
ほかの彼氏と旅行に行っては、
小さなおみやげを持ってきたりして、
わたしもけっこう、それでヨロヨロと
したことも、ありましたけども。 |
糸井 |
(笑) |
ガンジー |
頻繁に会っているからって、
仲がいいとは限らないですよ。
それは、おっしゃる通りですね。 |
糸井 |
そういうことも、自分では、
決められないような気がするんですよ。
自分のことって、いちばんわからないので、
まあ、なすがままに。 |
ガンジー |
たった一度しか行ったことがなくても、
たとえば昔、トリスバーというのがありまして。
それが安くて、サントリーを扱うところが
少し高かったんですけど、そこは
一回行っただけでも、印象強いですから。 |
糸井 |
ありますよね?
どうして、あの時には、
もう一回行かなかったんだろう、とか。
(つづく) |