ガンジーさんが来た日。
・・・鼠穴では、テープが回っていた。

第3回 縁と言うか、勘と言うか。


ガンジー わたし、正直に申しますと、
糸井さんの文章の中には、
むつかしくてわからないところもあるんです。
糸井 そうですか(笑)。すみません。
ガンジー 言葉は平易なんですよ。
だけど、糸井さんの書く世界は、
わたしには、まったくはじめてのもので。

今までは大体、町工場のおやじさんとか
そういう人と関わって仕事をしていましたし、
同級生でも、仲のいいのは、そういう連中です。

だから、私としては、「ほぼ日」は
まったく別の世界に入ったような・・・。
しかし、おもしろいですし、ねえ。
糸井 それは、どうなっても、
メールを打てる限り、くださいね。
冗談のように言っていますが、ほんとです。
ガンジー 糸井さんは、縁を大事になさると、
ぼくは前にチラッとどこかで読んだのですが、
やっぱりそういう考えが根っこにあるんですか?
糸井 はい。
これは、親鸞という人からの受け売りですが、
何かしようとして運命を変えられるだとか、
誰かを救うだとかいうことは、ありえない、
と、親鸞は、そう言ったらしいんです。

それをできるのは、天とか、
そういうものだけだとしたら、
親鸞にとって、何かをできるとしたら、
それはその都度の場合に応じたものであって、
そこで「面々の御計(はからい)」という
言葉を使っているんですけど・・・。
ガンジー はい。
糸井 「面々」というのは、
お面の「面」・・・「面前」ですよね?
会った人と会った人のあいだで生まれることを
どう作るのかが、「面々の御計」といっていて。

それを大切にしたい、というようなことを、
どうも、親鸞は、しゃべっていたらしいです。

「あっちではああ言ったけど、
 こっちではこう言ってたじゃないか」
親鸞は、あちこちでそう言われたのですが、
だけど、それは全部「場合」が違うので、
それぞれの関係のなかでは、
生きている言葉でも、あったんです。

場合場合で、喋ることは
ぜんぶ違ってくると思うんですよ。

しかもその、
それぞれの場合ができるということも、
自分で決めたからじゃなくて、
たまたま目と目があったとか、
たまたま隣り合わせになったとか、
「たまたま」しかないんですよね、きっと。

ですから、ガンジーさんと
おなじご病気の人が、そのあと
たくさんメールをくださったけれども、
それは、一回ガンジーさんと縁ができてしまったら、
おんなじことを、またぼくが
ほぼ日でやる縁は、薄くなりますよね。
ガンジー じゃあ、わたし、お山の大将なんだ。
糸井 ええ。「ガンジー代表」で(笑)。
ガンジー それは、縁?
糸井 そうでしょうね。
例えば、人と会っていても、
ずっと会うんだろうなあと思ったり、
一回だけしか会わないだろうなあ、
と感じさせたりする人がいるし。
それはもう、勘ですよね。
もちろん、いづれ
離れることも、あるだろうし。

例えば、一番仲のいい友達と
一年に一度しか会わないことって、
あるじゃないですか。
そういうのも、縁ですけど、
それはそれでで、かまわないですよね?

ぼくも、いちばん仲のいい友達とは
一年に、せいぜい2、3回しか会わないし、
毎日会っている人も、いるし。
ガンジー そうですよね。
頻繁に会えば、いい、
ってものでも、ないですよね。

昔、キャバレーの女の子が電話してきたり、
ほかの彼氏と旅行に行っては、
小さなおみやげを持ってきたりして、
わたしもけっこう、それでヨロヨロと
したことも、ありましたけども。
糸井 (笑)
ガンジー 頻繁に会っているからって、
仲がいいとは限らないですよ。
それは、おっしゃる通りですね。
糸井 そういうことも、自分では、
決められないような気がするんですよ。
自分のことって、いちばんわからないので、
まあ、なすがままに。
ガンジー たった一度しか行ったことがなくても、
たとえば昔、トリスバーというのがありまして。
それが安くて、サントリーを扱うところが
少し高かったんですけど、そこは
一回行っただけでも、印象強いですから。
糸井 ありますよね?
どうして、あの時には、
もう一回行かなかったんだろう、とか。

(つづく)

2001-03-14-WED

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