ガンジーさんが来た日。
・・・鼠穴では、テープが回っていた。

第5回 ハンディを、力に変える人なので。


ガンジー 糸井さんと話している横で、
こうやって、まわりで聞いておられる
ギャラリーのかたがいると、確かに、
話の内容も違ってくるというのが、ありますね。
「その場所にいることが、だいじだ」
というのは、そう言われてみればそうですよ。

そういう友達を、けっこう思い出します。
おもしろいから、とかじゃなくて、
損得を抜きにした奴が、いますよね。
糸井 「あいつも呼ぼうか」
って、いつも言われる奴が、
いちばんいい友達ですよね。
ガンジー かといって、そいつは、
仕切ったり何かするわけじゃないんだけど、
存在感は、あるんですよね。
糸井 そいつは、いりゃあ、いいんですよ。
ガンジー 余計なことは、言わないんですよ。
松本人志さんとの話だって、そうで。
糸井 ときどき、松本さんは、対談の仲でも
「(笑)」とかしか入っていなくて。
ガンジー あれも、面と面のものでしょうかね。
糸井 場をつくってるんでしょう。
ガンジー 最近、糸井さんが
「外に出よう」とおっしゃっているのには、
わたしは、大賛成です。
散歩でふだん2キロ3キロ歩きますけど、
やっぱり、毎日、景色が違いますから。
出会う犬も、違いますし。
糸井 ええ。「外に出よう」なんですよ。
ガンジー わたしも文章書くのは、
そんな感じでつづけているんです。
「よくつづきますね」
と友達には言われますが、
ほとんど、自分のからだが
つづくかどうかも、わかりませんから。
朝起きたらどうなっているかもわからないから。
糸井 毎日、その一日はその日しかないんだ、
というようなことを、
年寄りはいつもいいますけど、
その言葉をリアルに感じることって
非常にむずかしいと思うんですよね?

ガンジーさんみたいな立場にいても、
やっぱり、むずかしいと思うんです。
永遠に、むずかしいんですよね?
明後日死ぬと言われていても、
やっぱり、今日は今日でしかない。

その心境が、よくわかったら、
何でも、よくできるでしょうね・・・。
ガンジー 「死んで持っていけるもんじゃない」
と、よく貧乏人が言いますが、
わたしも、その貧乏人のひとりですが、
でも、生きていたらどうするんですか、と。
だから、明後日死ぬとしても、
使えないものは、使えないんですよね?
糸井 そうなんですよ。
ガンジー じゃあ、行きたいところに行こうか、
とか思っても、やっぱり行けない、というか、
どこかに、生きていそうな感じが、
からだの中に残っているのでしょうかねえ。
糸井 人間は、無意識のうちに、
自分は永遠に生きると思っているんでしょうね。
無意識なので、それは
なおさら、手におえないのですけど。
ですから『私は77歳で死にたい』という
本を書いている邱永漢さんの覚悟は、
たいしたもんだと思うんです。

それのために、77歳まで生きるから、
今ここでこのワインを買うと、
ちょうどこのあたりでなくなる、とか、
どんどん計画をしていったらしいんです。

それでおかしいのは、ワインを買ったら、
それが値上がりをしていって、
みんなが欲しがるから、
それを邱さんはあげたりして、買い直して、
でもそのワインも、また値上がりをして・・・。

そうやって、
死ぬまでに飲もうと思っていたワインが
なぜか、財産になっていったらしいんですよ。
考えた人のところに、やはり福が行ってますね。

あのかた、今年77歳になってしまうんだけど、
計画をちょっと変えなければならない、と。
おもしろいですよねえ。
元気なんですよ、また、よく食べられるし。
ガンジー あの方は、東京大学を出ていても
あの時代で台湾のご出身ということがありますから、
中央の官僚にはなれなかった、という、
そこのところで、
お金の方面に行かれたのでしょうか?
糸井 そうかもしれないですね。
あの方は、いつでも、
ハンディキャップを力に変える人なので。
一時は、台湾政府に逆らって、
いわばおたずねものになってしまって、
で、香港に亡命をしていたんですよね。

ひとつひとつ、やることが、
真ん中のラインには、乗らないんですよ。
じゃあ、横の階段で、ということになる。

邱さんがいつもおっしゃるのは、
世の中で言えることはたったひとつしかなくて、
「いつでも変わっている」ということらしいです。

要するに、絶えず変わっている、ということだけは
いつもそうなんだけど、それ以外に
何かはっきりと言えることは、特にないという。

邱さんの陰での勉強家ぶりは、
ものすごいらしいですよ。
漢詩の素養とか、こっそりと勉強しているでしょう。
あれだけ平易な言葉で、
大衆向きに語ってはいるけど、
おそらく、そうとうなものですよねえ。
ガンジー 中央階段を行かなかったがために。
ああ、そうですか。

わたしの場合、左目の視力がないんですよ。
それで、17歳の頃から、
オートバイに、無免許で乗っていたんです。
何度かつかまっていたんですが、
そのうち、つかまらないようになるんですね。

昭和35年の10月に法規改正があって、
両眼で、視野が180度あれば乗れることになって、
もう、一発で免許をとっちゃいました。

ただ、それまでの10年間というのは
ほんとに2回か3回しかつかまらかったのに、
それから、ばたばた、つかまっちゃった。
糸井 逆に。
ガンジー やっぱり、影にいるとかいう抑圧があると、
いろいろなところに神経を張りますよね?
だからわたしも、
無免許の時にはすごい優秀だった。

邱さんの場合には、裏階段でも何でも、
階段をとりあえず登っていこうという
その意欲が立派だったですよね?
糸井 しかも、裏でも、
いつも自分の足で歩いていますもん。
人に寄りかかったり、ということを、
邱さんは、いっさい、していませんから。
だから、おおぜいの人に、
ちゃんと言葉が通じるんでしょうね。
ガンジー そうですね。

(つづく)

2001-03-16-FRI

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