ほぼにちわ。darlingdarlingです。
「ガンジーさん」の命日に、いろんなことを思います。
なんだろう、肉親以上に、たくさん語り合ったからなのか、
思い出すことが多いんですね。
今年、「ほぼ日」に届いたたくさんのメールのなかに、
こんな名言がありました。
Learn as if you will Live Forever,
Live as if you will Die Tomorrow.
(永遠に生きるかのように学べ。
明日死ぬかのように生きろ。)
これは、ぼくらの間でも、大きな話題になりました。
「永遠に生きるように(学ぶことを)しろ」
「永遠どころか明日までの命だと思え」
ふたつの矛盾した気持を、持てということですから、
ほんとうは無理だと思うのです。
でも、とても、わかるし、
わかりたい言葉でした。
ぼく自身は、かなり最近まで、
「明日死んでも悔いを残さない」という気持に、
ちょっと自信があったのでした。
しかし、いつのまにか、
「たくさん生きること」が
とても大事だと思うようになりました。
すばらしい老人と呼ばれる人たちに、
たくさんお会いしたせいなのかもしれません。
そうなると、「明日死ぬ」のは困るわけです。
なのに、不思議なことなのですが、
明日死ぬのは、とてもイヤなのだけれど、
そんなに悔いは残さないというような気もするのです。
よくわかりませんけれど、
あんまり矛盾しないように思えるのです。
「けっこう、よかった」くらいのことは、
言えるような気もするのですね、自分だけの気持として。
むろん、ぼくの周囲の人たちは、
またちがうことを感じるのでしょうけれど。
自分のことを長々と言うつもりじゃなかったのですが、
「ガンジーさん」という人こそが、実際に
Learn as if you will Live Forever,
Live as if you will Die Tomorrow.
(永遠に生きるかのように学べ。
明日死ぬかのように生きろ。)
そういう生き方だったじゃないか、と気がついたのです。
『親戚新聞』のアーカイブをたどっていただければ
そのことが、よくわかると思います。
たくさんのガンジーさんファンと、
ガンジーさんを知らなかったという人たちのために、
そして、誰よりも、たくさんの人たちと
交流したがっていたガンジーさんのために、
今日、『ガンジーさん』のページを、
見えやすい場所に持ってきました。
「中締め」のまま1年経ちましたが、
ガンジーさんと、ご自分のために、
ちょっと、「なにか遠いこと」を心に置いてください。
2002年12月20日 糸井重里
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