ガンジーさん。
いつ途切れるかわかりませんが
今後ともよろしく。

408.気を落とすな。

ガンジーさん、気について思う。
1行目から「身体は落ち込んでいるよ」っていうから、
快調でないのだろうと思うが、
それでも「気」の持ち方ひとつで何かが大きく変わる。

たぶん、ガンジーさんにとっては、
気について考えたり書いたりすること自体が、
気を落とさないための方法なんだろうと思う。

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「気と機」

身体は落ち込んでるよ。
でもそれをひっしにささえ
少しでも上に持ち上げようと努力してるのが気分だ。
気をおとすなっ!てね。
病は気からと言われるが健気なヤツだぜ。
人との会話やネコのかわいいしぐさ、
お天気の如何で気分がかわる。
このごろとくに気になる気というヤツ。
いったいどうしてやる気をおこさせたり、
嫌気にさせたりのん気にさせたりするんだろ。

やる気嫌気の配線はどうなってるんだろうね。
スイッチがどこかについてるに違いない。
誰がいつ配線したんだろうか。
赤ん坊の時はそんなものない。
多分ものごころがつく頃だったんだろう。
配線をしてくれたのは両親か、教師か、
はたまた友人たちか、宗教という回路もありかな。

天才という言い方を信じないが
天賦の才能ってのはなんとなくわかる。
どちらも天性という言葉でまとまるが
まるっきり運にたよっているのと、
ものごころついたココロが
こっちだこっちだと誘導するのとの
差があるのではではないのか。
ここでもヤル気と嫌気が性格のテリトリーにまで
ふみこんで争ってる感じだ。

添付と貼付はおなじ意味だけど
何故ふたとうりの言葉があるのか。
もっとはっきり分けるために、ちょうふ、と読ませてる。
ま、そんなに物理的に考えないでさ。
そんな言い方がある以上どこかで
気というヤツが仕切ってるんだぜ。
気をつかう、気がかり、気おくれする、気をもむ、などなど
気の慣用句はじつに多い。
ためしに広辞苑ひいてみな、気絶しちゃうぜ。

何とか解明したいね。昭和30年ごろ
講道館に三船久蔵という人がいた。
この人は空気投げという
とてつもない技をあみ出したんだぜ。
ほとんど身体にふれずに相手を投げちゃうんだ。
直接見たわけじゃないけど新聞の写真にでてたよ。
合気道でも気心のしれた師弟間ではこんなことができる。
気心が通じてなきゃダメ、気が散っちゃうから。

オリムピックでは通用しない技だとおもう。
わざとつくったヤラセに近いからね。
これはアウンの呼吸できまるわざなので
ガンジーの考えでは師弟の関係にある者どうしでなけりゃ
きまらない技だ。
つまり戦うまえから屈服しちゃってるのよ。
でもそこにあるのはたしかに気というヤツだ。
それはどうやって発信受信できちゃうのか。

鍛錬だろうと思うが凄い気というヤツだ。
でもふだんは気まぐれな気ぃチャンだね。
ヤル気が顔をだしたりかくれちゃったりとあそんでる。
いい気なもんだぜ。
心機一転のキは気じゃない、機会のキだね。
でもガンジーには新気一転のほうがなっとくできる。
そうおもはない?
わたしはそんなこと気にならない、
木になる木の実のほうが気がかりだもん。
ちぇっ!はりきってたのに気がぬけちゃったよ。
え、どこからって?そりゃ身体からさ。
からだからだよ、からっぽのあたまからじゃい!


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あるんだよなぁ、気って。
でも、「科学的な説明」とかを聞いても、
そういうことなのかなぁ、と、信じにくいんだよなぁ。
いつかは、なにかの説明がちゃんとつくのかなぁ。


(つづく)


※『出前ガンジー』あるいは『ガンジー水戸黄門』の
企画について。
ガンジーさんの行脚先を募集しています。
詳しくは9月24日付けの『ガンジーさん』
ごらんくださいませ。

2001-10-11-THU

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