ガンジーさん。
いつ途切れるかわかりませんが
今後ともよろしく。

415.後悔せず。

タイトルが、宮本武蔵のコトバである。
「わたし」の考えと「武蔵」の考えが、
重なっているような重なってないような気持ちなのかな。

後悔せず、と強く言うときには、
後悔について考えている。
ぼくの場合は、たいていはそういう感じだ。

ガンジーさんの場合は、どうなんだろう。
自分の現状を「他人事のように感じる」と
言っていた時期があったけれど、
そういう視点からしたら、たしかに、
「事において後悔せず」と言えるんだろうなぁ。

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「我れ事において後悔せず...武蔵」

死のメニューは自殺を論外として、
事故死と病死に分けられるけど
事故死は悲惨だね。
年齢にもよるが病死の方がいい。
病死の場合は身辺整理のじかんがある。
入院中に同病の患者さんと話したことがあるが、
彼は手術中にそのまま死んだ方がよかったと
あまったれたことをいってた。

よく年寄りが、ぽっくり死願望を語ってるが
これは周囲にめいわくをかけたくない、とのおもいからで
手術中、事故死をふくめて即死がいい、と考えるのとは
わけがちがう。
もしかしたら自殺はこの
即死願望が根っ子にあるんじゃないかな。
あれこれ悩むのがいやだという意味だとは思うが
あまりに自分勝手じゃないだろうか。

その点ガンジーは幸せである。
身辺整理たとえば台湾のこどもへの遺産相続とか
フィリピンの娘の,,,うそうそうそだってば。
このようなほぼ日経由の親戚新聞によって
諸君に死を直前にした父のきもちを
すなおに言い残すことができる。
ガンジーもうれしいが諸君もしあわせだぜぇ。
もし事故死だったり突然死だったりしたら、
おやじ、死ぬ前になにか
言っときたいことがあったんじゃないかな?

いつかはそんなことを考える日がくるとおもう。
そのためにこのイトイ編集の親戚新聞は
とてもとても意義あるものと確信している。
親孝行したいときには親はなし。
オヤオヤ!
この反対車線にある父からのメッセージだ。
心して読みたまえ、うおっほん!
後悔は先にたたず、と当たり前のことが
ことわざになってるのも先達の智恵なんだろう。
今日がよければ明日もよい、と
明るくかんがえるのはいいことだ。
しかし一方でこのいい日が
明日もあさっても続くとはかぎらないことも
頭のすみっこに入れとこう。
葬式のときの言葉、おくやみ、というが
あれって後悔のきわみなんだろうね。
こいつには金を貸すんじゃなかった!

くやまないこと、
それは相手をおもいやるきもちに通じる。
自分だけの考えではそんな発想はうかばない。
だからあとで後悔するんだろうね。
ある後家さんが言ってた。
邪魔者亭主とおもってたが
病でたおれ家にいなくなってから、
すべてにやる気がなくなった、と。
あとの祭りだねぇ。

まい朝げんきよく部屋のふすまを開けて入ってきて、
ばたばたとカーテンを開けたりしてるタスデ美だが
ガンジーの入院中は、あぁ居ないんだなぁ、と
さみしさがこみあげたらしい。
照れ屋で独自の悲しみ消化法をこころえてる彼女が
ポロっとこぼした言葉に
一瞬むねがつまってしまったわい。

やさしい読者の方からのメールに、
タスデ美さんを一人にしないで!とあったが
うれしい言葉でした。
でも寿命だけはわからないもんねぇ。
もしかしてこの方は死ぬんだったら
かわりの亭主をあてがってからにしなさい!
っていう意味だったのかな?
大丈夫ですよ彼女にはネコがいます。
ガンジーのことは3日でわすれてくれまさぁ。  
トホホ...


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5・7・5でなにかを詠んで、
その後に「それにつけても金の欲しさよ」とか、
「根岸の里のわび住まい」と、
7・7をつけるというコトバ遊びがあるけれど、
ガンジーさんの文体模写をするなら、
なにか書いて、最後に「タスデ美」を付け加えるっていう
書き方をするんだろうなぁ。

「愛妻家」というより「想妻家」って感じですねぇ。

(つづく)


※『出前ガンジー』あるいは『ガンジー水戸黄門』の
企画について。
ガンジーさんの行脚先を募集しています。
詳しくは9月24日付けの『ガンジーさん』
ごらんくださいませ。

2001-10-18-THU

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